風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

一茶

 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)、2003年・刊より、6回めの紹介をする。
  同(5)は、先の12月24日の記事にアップした。



 今回は文化13年7月~12月の半年分、243ページ~293ページの51ページを読んだ。
 俳句ページの頭部に一茶の記録メモが記されるが、漢文読みくだし文で読みにくく、天候記録が多く、訪問先も記されるが、一々追っていられない。見開き2ページの左端に校注者の語注欄があり、理解の助けになる。
 年末の句数は記載なく、江戸を去る時の餞別1覧が載っている。金額など、今の僕にはわからない。
 男子の世継ぎ(当時としては当然だろう)を望むらしい句、老境の句がある。
 最大の支援者だった成美への追悼連作9句がある。
 在菴156日、他郷228日と、やや在菴日が増えたか。
 9月5日の頭部記録に、「キクト中山菅刈 茸取 栗拾」とあり、微笑ましい。

 以下に5句を引く。
老(おい)が世に桃太郎も出よ捨瓢(すてひさご
茹(ゆで)栗と一所(いつしよ)に終るはなし哉
おもしろう豆の転(ころが)る夜寒哉
浅ましや熟柿をしやぶる体(てい)たらく
霜がれや米くれろ迚(とて)鳴(なく)雀
0-07
写真ACより、「ウィンターアイコン」の1枚。





 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、5回めの紹介をする。
 同(4)は、今月7日の記事にアップした。
 

 今回は文化12年正月~同6月の半年間、197ページ~242ページの46ページを読んだ。
 3春262句、3夏303句とあり、計565句である。

 この期の一茶の大事として、妻との間に長男・千太郎が生まれたが、1月足らずで夭死した。解説では、「この子に愛情を感じる暇もなかったらしく、」と書かれるが、男の子を吟じた句が多くあり、追悼句とされる「はつ袷(
あはせ)にくまれ盛(ざかり)にはやくなれ」は哀切である。

 田を吟じたり、蛙を吟じたり(「痩蛙(
やせがへる)負けるな一茶是(これ)に有(あり)」の有名な句)など、帰住した安心と、旺盛な創作意欲を見せる。
 有り得ない句として、「梅の木にぢだんだを踏(
ふむ)烏哉」を挙げて置く。

 以下に5句を引く。
陽炎(
かげらふ)やわらで足拭く這入(はひり)口
むらのない苗代とてもなかりけり
老(
おい)の身は日の永いにも泪(なみだ)かな
妹(
いも)が子は穂麦の風にふとりけり
老(
おい)けりな扇づかひの小ぜはしき
0-01
写真ACより、「ウィンターアイコン」の1枚。








 1昨日(12月5日、土曜日)の夜、激しい腹痛に見舞われ、昨日(12月6日)は記事更新を失礼した。日曜日の休日診察を受け、体調はかなり良い。

 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、4回めの紹介をする。
 同(3)は、先の11月25日の記事にアップした。




 今回は、文化12年7月~同12月の半年分、152ページ~196ページ、45ページを読んだ。
 芭蕉の「道のべの木槿は馬に食はれけり」に通じる句、良寛・作「焚くほどは風がもてくる落葉かな」に極似の「焚
(たく)ほどは風がくれたる落葉哉」、見立て・擬人化などの並みでない句(江戸の流行に遅れまいとした)がある。妻のお菊に掛けた「我菊や」の1句があり、仲睦まじかったとされる夫婦が見える。
 3春の合計句はないが毎月の句数を足して242句、3夏:236句、3秋:198句、3冬:206句、合計で年:882句であり、俳人として多いか少ないか分からない。
 年末に、凡355日(陰暦のため)、在庵:106日、他郷:249日、とあり相変わらず俳句指導に飛び回っていた年と知れる。

 以下に5句を引く。
秋風の一もくさんに来る家
(や)
馬の子や横に加
(咥)へし草の花
我菊や形
(なり)にもふりにもかまはずに
猫の子がちよいと押
(おさ)へるおち葉哉
はいかいを守らせ給へ雪仏
落ち葉
写真ACより、「落ち葉」のイラスト1枚。




 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、3回めの紹介をする。
 同(2)は、今月7日の記事にアップした。




 今回は、文化12年正月~6月の半年分、111ページ~151ページ、41ページを読んだ。
 北信濃の宗匠として活躍し、自然豊かで、蛙、燕、雲雀、キリギリス、蟬、梟、雀、猫などの小動物も吟じられている。
 暗喩、フィクションなどの句もあるが、これはないでしょうという現実離れした句もある。
 諧謔ではなく、正統的に吟じられた清しい句もある。
 131ページ頭記には3春(正月~3月)46日在庵、151ページ頭記には3夏(4月~6月)25日在庵、(半年で)在庵71日と記され、変わらず出張指導に忙しかった事が知られる。
 また3夏236句と記され、変わらず健吟であった。


 以下に5句を引く。
膳先
(ぜんさき)へ月のさしけり梅の花
野ばくちが打
(うつ)(散)らかりて鳴(なく)雲雀
門先
(かどさき)や汁の実畠拵(こしら)へる
白雨
(ゆふだち)がせんだくしたる古屋(ふるや)
我菴
(いほ)や小川をかりて冷(ひや)し瓜
ツバメ
写真ACより、「ツバメ」のイラスト1枚。





 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、2回めの紹介をする。
 同(1)は、先の10月29日の記事にアップした。


 

 今回は、文化11年7月~12月、63ページ~109ページ、47ページを読んだ。ただし文化12年7月分の書き込み、22句が12月分の後に入れられている。

 田畑を持った故だろう、畠の句や案山子を吟じた連作がある。有力者・素封家の招きが多かったか、河豚を食べる句も多い。
 年尾976句と記され多産である。凡354日、在庵77日とも記され、多忙だった事が知られる。

 以下に5句を引く。
痩畠
(やせはた)もそれ相応に秋の露
膝節
(ひざぶし)の古びも行(ゆく)か秋の風
(あり)たけの力出してや秋の蟬
浄ルリの兵
(つはもの)どもや鰒汁(ふくとじる)
我程は寒さまけせぬ菜畠(なばた)
案山子
写真ACより、「カカシ」のイラスト1枚。



 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、1回めの紹介をする。
 先行する同(上)を読む(7)は、今月10日の記事にアップした。




一茶「七番日記」(下)
  上巻と同じく、2003年・刊、本文ヤケがある。
 今回は前回に続いて、文化11年正月~6月の半年分、11ページ~62ページ、52ページを読んだ。
 前年正月に、遺産分配が成立して、一茶は田畑、山林、屋敷を得た。畠打ち、菜の花、苗代などを吟じた句が現れる。
 同年4月、一茶は52歳にして28歳の妻、(常田)菊を迎えた。当時の女性としては、晩婚だっただろう。菊は働き者で、指導で外泊の多い留守を守り、家事、畑仕事までこなしたという。一茶の俳句には、すぐには現れない。

 以下に5句を引く。
雪とけて村一ぱいの子ども哉
門番が小菜もぱつぱと咲
(さき)にけり
ちる花に鉢をさし出ス羅漢哉
来よ蛍一本草も夜の露
しんぼしたどてらの綿よ隙
(ひま)やるぞ




 岩波文庫の一茶「七番日記」(上)より、7回め、しまいの紹介をする。
 同(6)は、今月11日の記事にアップした。




 今回は、文化10年7月~12月(閏11月あり)、387ページ~439ページ、53ページを読んだ。
 年末に、383日・在庵75日、年尾・1123句、と記した。
 定住した北信濃は住み心地が良かったらしく、夏の涼むともなく、山霧の抜ける座敷、冬の炭火などを吟じている。
 51歳での独身を嘆くが、翌年、文化11年には52歳で初めて妻を迎えた。
 以下に5句を引く。
(すずみ)をばし(知)らで仕廻(しまひ)しことし哉
膳先
(ぜんさき)は葎雫(むぐらしづく)や野分吹(ふく)
汁鍋にむしり込(こん)だり菊の花
福豆も福茶も只の一人哉
(ゆく)としや何をいぢむぢ夕千鳥
コチドリ
写真ACより、「コチドリ」の写真1枚。




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