風の庫

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七番日記

 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、10回めの紹介をする。
 同(9)は、今月16日の記事にアップした。


 今回で「七番日記」の紹介は了いである。表紙写真を再度、アップする。
一茶「七番日記」(下)
 今回は、文化15年7月~12月の半年分、425ページ~465ページ、41ページ分を読んだ。
 前回に書き忘れたが、長男・千太郎亡きあと、文化15年5月、長女・さとが生まれた。その児を可愛がる句が散見される。
 北信濃の寒さや大雪を嫌がる句、馬などへの愛着を吟じた句がある。惣計896句とあり、文化15年の句数だろう。
 このあと一茶は、さとを幼くて亡くし、2人の男児を得るが共に夭逝だった。妻・菊を文政6年5月に亡くした。武家の娘・雪と再婚するが、合わず離婚。3度めの妻・やをを迎える。
 一茶は文政10年、65歳で死去。その時に、妻・やをは身籠っており、生まれた次女・やたは健やかに育ち、血脈は危うく保たれた。
 句風を継ぐ俳人はなかったが、明治時代の自然主義文学の隆盛により、一茶の評価は高まって、芭蕉、蕪村と並び称されるに至った。

 「七番日記」(上)439ページ、(下)本文465ページ(あとは解説と初句索引)と、計904ページの大冊を読み了えられたのは、読者の方の様々な応援のお陰と、感謝している。

 以下に5句を引く。
ながらへば絞
(しぼり)(あさがほ)何のかのと
五六度やばか念入
(いれ)て初嵐
若い衆
(しゆ)に頼んで寝たる榾火(ほだび)
鬼打
(うち)の豆に辷(すべつ)て立(たつ)子哉
蓬莱を引
(ひつ)とらまへて立子哉



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 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、9回めの紹介をする。
 同(8)は、先の2月25日の記事にアップした。リンクより、過去記事へ遡れる。


 今回は文化15年正月~同6月の半年分、367ページ~424ページ、58ページ分を読んだ。
 諧謔味の句も多いが、物寂しい景、老いの二人暮らしの句なども交じる。鶯や雁の野鳥に思いを寄せている。
 一茶は小規模ながら地主である(1部は妻のお菊が耕作した)が、土地の広さは田畑合わせて3石6斗余と解説にあるのみで、何町何反と示されず、僕には想像できない(他に山林・若干)。田畑の作物の生長を吟じている。物質的には、満足している風がある。
 くすぐり、うがち風でなく、馬のいる景を大柄に吟じるなど、新しい境地を広げた。
 3春・347句、3夏・207句の記入がある。

 以下に8句を引く。
追分の一里手前の秋の暮
そこに居よ下手でもおれが鶯ぞ
春風や馬をほしたる門
(かど)の原
目出度
(めでたし)といふも二人の雑煮哉
(わが)村や春降(ふる)雪も二三尺
米炊ぐ水とくとくや秋の暮
はつ蛍ついとそれたる手風
(てかぜ)
稲の葉に願ひ通りの暑
(あつさ)
ウグイス
写真ACより、「ウグイス」のイラスト1枚。




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 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、7回めの紹介をする。
 同(6)は、先の1月7日の記事にアップした。


 今回は、文化14年正月~6月の半年分、295ページ~329ページ、35ページ分を読んだ。
 江戸俳壇を離れ、54歳で得た長男・千太郎が早逝し、老境に入る。それでも新しい発想の句を吟じ、類想句はわずかである。得意の口語体の句を進め、郷里の風土を含め、先駆的に吟じている。
 6月の項の末尾に、398句とあるのは、正月からの総計だろう。

 以下に5句を引く。
はつ空にはやキズ
(疵)(つけ)るけぶり哉
秋雨
(さめ)や乳放(ちばな)れ馬の旅に立(たつ)
有明(ありあけ)にかこち皃(がほ)也夫婦(ふうふ)
短夜(みじかよ)にさて手の込んだ草の花
(いひ)ぶんのあるつらつきや引(ひき)がへる
0-15
写真ACより、「ウィンターアイコン」の1枚。





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 1昨日(12月5日、土曜日)の夜、激しい腹痛に見舞われ、昨日(12月6日)は記事更新を失礼した。日曜日の休日診察を受け、体調はかなり良い。

 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、4回めの紹介をする。
 同(3)は、先の11月25日の記事にアップした。




 今回は、文化12年7月~同12月の半年分、152ページ~196ページ、45ページを読んだ。
 芭蕉の「道のべの木槿は馬に食はれけり」に通じる句、良寛・作「焚くほどは風がもてくる落葉かな」に極似の「焚
(たく)ほどは風がくれたる落葉哉」、見立て・擬人化などの並みでない句(江戸の流行に遅れまいとした)がある。妻のお菊に掛けた「我菊や」の1句があり、仲睦まじかったとされる夫婦が見える。
 3春の合計句はないが毎月の句数を足して242句、3夏:236句、3秋:198句、3冬:206句、合計で年:882句であり、俳人として多いか少ないか分からない。
 年末に、凡355日(陰暦のため)、在庵:106日、他郷:249日、とあり相変わらず俳句指導に飛び回っていた年と知れる。

 以下に5句を引く。
秋風の一もくさんに来る家
(や)
馬の子や横に加
(咥)へし草の花
我菊や形
(なり)にもふりにもかまはずに
猫の子がちよいと押
(おさ)へるおち葉哉
はいかいを守らせ給へ雪仏
落ち葉
写真ACより、「落ち葉」のイラスト1枚。




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 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、3回めの紹介をする。
 同(2)は、今月7日の記事にアップした。




 今回は、文化12年正月~6月の半年分、111ページ~151ページ、41ページを読んだ。
 北信濃の宗匠として活躍し、自然豊かで、蛙、燕、雲雀、キリギリス、蟬、梟、雀、猫などの小動物も吟じられている。
 暗喩、フィクションなどの句もあるが、これはないでしょうという現実離れした句もある。
 諧謔ではなく、正統的に吟じられた清しい句もある。
 131ページ頭記には3春(正月~3月)46日在庵、151ページ頭記には3夏(4月~6月)25日在庵、(半年で)在庵71日と記され、変わらず出張指導に忙しかった事が知られる。
 また3夏236句と記され、変わらず健吟であった。


 以下に5句を引く。
膳先
(ぜんさき)へ月のさしけり梅の花
野ばくちが打
(うつ)(散)らかりて鳴(なく)雲雀
門先
(かどさき)や汁の実畠拵(こしら)へる
白雨
(ゆふだち)がせんだくしたる古屋(ふるや)
我菴
(いほ)や小川をかりて冷(ひや)し瓜
ツバメ
写真ACより、「ツバメ」のイラスト1枚。





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 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、2回めの紹介をする。
 同(1)は、先の10月29日の記事にアップした。


 

 今回は、文化11年7月~12月、63ページ~109ページ、47ページを読んだ。ただし文化12年7月分の書き込み、22句が12月分の後に入れられている。

 田畑を持った故だろう、畠の句や案山子を吟じた連作がある。有力者・素封家の招きが多かったか、河豚を食べる句も多い。
 年尾976句と記され多産である。凡354日、在庵77日とも記され、多忙だった事が知られる。

 以下に5句を引く。
痩畠
(やせはた)もそれ相応に秋の露
膝節
(ひざぶし)の古びも行(ゆく)か秋の風
(あり)たけの力出してや秋の蟬
浄ルリの兵
(つはもの)どもや鰒汁(ふくとじる)
我程は寒さまけせぬ菜畠(なばた)
案山子
写真ACより、「カカシ」のイラスト1枚。



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 岩波文庫の一茶「七番日記」(下)より、1回めの紹介をする。
 先行する同(上)を読む(7)は、今月10日の記事にアップした。




一茶「七番日記」(下)
  上巻と同じく、2003年・刊、本文ヤケがある。
 今回は前回に続いて、文化11年正月~6月の半年分、11ページ~62ページ、52ページを読んだ。
 前年正月に、遺産分配が成立して、一茶は田畑、山林、屋敷を得た。畠打ち、菜の花、苗代などを吟じた句が現れる。
 同年4月、一茶は52歳にして28歳の妻、(常田)菊を迎えた。当時の女性としては、晩婚だっただろう。菊は働き者で、指導で外泊の多い留守を守り、家事、畑仕事までこなしたという。一茶の俳句には、すぐには現れない。

 以下に5句を引く。
雪とけて村一ぱいの子ども哉
門番が小菜もぱつぱと咲
(さき)にけり
ちる花に鉢をさし出ス羅漢哉
来よ蛍一本草も夜の露
しんぼしたどてらの綿よ隙
(ひま)やるぞ




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