風の庫

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主宰

 角川書店「増補 現代俳句大系」第15巻(1981年・刊)より、13番目の句集、高木晴子「晴居(はるきよ)」を読み了える。
 先行する下村ひろし・句集「西陲集」は、今月6日の記事にアップした。



 原著は、1977年、玉藻社・刊。高浜虚子・序、316句、著者・あとがきを収める。
 第1部は、「晴子句集」(1951年・刊)の200句、第2部はそれ以後116句を集めている。
 高木晴子(たかぎ・はるこ、1915年~2000年)は、高浜虚子の8人の子の内、5女である。
 彼女の俳句は、虚子の膝下に伸び伸びと育ち、夫(日本銀行員)の転勤による北国生活以外、ほとんど屈折を持たない。1984年、俳誌「晴居」を創刊・主宰した。
 後の句集に「続晴居」がある。

 以下に5句を引く。
この街に二た月すぎぬあられふる
搗初の水車の杵のみな動く
親しさの別れの句会薄紅葉
ふと音の大きくなりて暖炉燃ゆ
卓の上うちはの他になにもなし
0-01
写真ACより、「アジアンフード&ドリンク」のイラスト1枚。





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 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、10番目の句集、森田峠「避暑散歩」を読み了える。
 今月14日の記事、成瀬桜桃子・句集「風色」に次ぐ。
概要
 原著は、1973年、牧羊社・刊。阿波野青畝・序、450句、著者・あとがき、火村卓造・解説を収める。1951年~1970年の句を、年毎に年次順に収めてある、第1句集。
 森田峠(もりた・とうげ、1924年~2013年)は大学卒業後、高校教員となる。
 1951年、阿波野青畝「かつらぎ」に入門、1990年、同誌・主宰を継承した。1986年「俳人協会賞」、2004年「詩歌文学館賞」受賞など。
感想
 まず題名(阿波野青畝・命名)から、違和感を持つ。避暑地の別荘を持っていた訳ではないようだが、避暑地の散歩は、僕には馴染まなかった。僕は農家の次男に生まれ、帰郷して働いたが、避暑の余裕はなかった。(子の幼い頃、家族で海水浴へは何年か行ったけれども)。近隣の在が、農家から兼業農家となる貧しさで、誰も避暑地へ行く考えが浮かばなかっただろう。
 1961年、「吟行を専らとする競詠会結成。」とある。時間と金銭の掛かる吟行会を専らとするのは、職業が教師だった余裕だろうか。
 句風は、虚子、青畝に学んだ写生を究めようとしたとされ、風物、吟じかたに新しさがある。
引用

 以下に5句を引く。
(ともづな)のくひこめるまま道凍てて
流失の橋のたもとに麦を干す
教へ子に逢へば春著の匂ふなり
わがためのもの奥にあり冷蔵庫
稿成りて春あけぼのの湯に浸る
0-14
写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




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 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、2番目の句集、原裕「葦牙」を読み了える。
 先の8月30日の記事、
岡本眸・句集「朝」に次ぐ。
概要
 原著「葦牙(あしかび)」は、1971年、春日書房・刊。321句、著者後記、原コウ子「解説にかへて」を収める。
 原裕(はら・ゆたか、1930年~1999年)は、俳誌「鹿火屋(かびや)」の主宰・原石鼎の没後、夫人の原コウ子の要請により養子縁組。1974年、原コウ子より主宰を継承した。
感想
 原裕は、社会性俳句以後の<第4世代>として現われ、「なつかしい句」を主唱したとされる。社会性俳句、根源俳句を避けたのであろうか、「後記」でも「自念自然流である」と言いきっている。
 作意のある俳句より、時に驚くような鮮やかな句が生まれるようだ。
 後期にも、俳句の完成度を高めたようだ。
引用
 以下に5句を引く。
猫寒く雨の浦安波こまか
児が泣けば冬浜に集(よ)る日の翼
忘却の彼方に大樹蟬しぐれ
指吸ひつつ仮眠男児や夏一途
秋風にひらきて十指とぎすます
0-01
写真ACより、「折り紙」のイラスト1枚。





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