BRILLIANT CLASSICS版の廉価版「ヴィヴァルディ作品集」(全66CD)の最終回、66枚目のCD、「ソプラノとアルトのためのカンタータ Ⅱ」を聴き了える。写真は、紙ジャケットの表である。
先の11回目の紹介は、先の3月12日の記事にアップした。
ヴィヴァルディ(1678年~1741年)は、イタリア、バロック期の作曲家である。没後、忘れられたが、19世紀末にバッハが再評価されると共に、彼の作品も復興した。
CD66は、RV666「憧れの瞳よ」、RV671「懐かしい森、友なる牧場」など、全6曲、総58分余を収める。ソプラノとアルトの、美しい歌声だった。
現在では、オペラ、歌曲より、協奏曲が高く評価されるようだ。
彼は多産な作曲家で、RV番号は819番まである。
これで「ヴィヴァルディ作品集」を1通り聴き了えたが、重ねて聴くかどうかはわからない。
作品集
「ヴィヴァルディ作品集」より(11)

BRILLIANT CLASSICS版の廉価版「ヴィヴァルディ作品集」(全66CD)より、11回目、63枚目の紹介をする。写真は、紙ジャケットの表である。
先の10回目は、昨年9月11日、51枚目だった。
前回より12枚目かというと、そうではなくて、オペラ3題6枚を飛ばした。CDなので、場面がわからない、言葉がわからない、でタモリではないがオペラは苦手である。
今回の「ソプラノのためのカンタータⅡ」は、ソプラノの甘い声が、時にファルセット(?)になって、美しい6曲である。総54分余。
カンタータは宗教楽かと思っていた。広辞苑に拠ると、「器楽伴奏による声楽曲」で、教会カンタータと世俗カンタータがある、との事。
今回の邦題「哀れなわが心」、「お前の心はよくわかる」、「夜も更けて」などに拠ると、世俗カンタータらしい。
ソプラノ歌手は2人で、区別がつかなかったが、共に美声である。
次の紹介は、最後、66枚目にしたい。


ネットプリント「ゆふぎり」を読む
つかさんのツイートを、佐佐木頼綱さんがフェイスブックでシェアしていて、短歌のネットプリントの発行を知った。3月6日午後3時頃、近くのローソンで取り出した。
ネットプリントは、今年1月29日の記事にアップした「else 短歌連作交換」以来である。
概要
題名「ゆふぎり(夕霧)」、セブンイレブン以外のコンビニでは、3月9日14時まで、ユーザー番号は8HM4FTYYNE。
白黒、A4判、両面印刷、2枚、80円。
大塚亜紀さんが企画・編集。1979年生まれの6人の歌人の協力で、一人7首(題名なし、自己紹介あり)の42首の作品集となった。
感想
結社の枠をはみ出し、綜合歌誌の依頼を待たず、こうして短歌作品の発表の場を持てる事は、ITの成熟の1環だろうか。
露悪的な人、子育て中の女性、敬虔な人、同年生まれといっても、性格は様ざまである。
しかしバブル期に育ち、就職氷河期を越えた、性格的に危機的なものが共通しているように思える。今の世を生きる者の、共通点か? 仕事をリタイアした僕には、よく判らないけれども。
引用
参加者名と1首を、掲載順に引く。
尼崎武
きみが死んで悲しむ人はいるけれどほっとする人ならもっといる
山本夏子
風船のように無口になる娘そんなにがんばらなくてもいいよ
本条恵
「銀のさら」のチラシを前に夢想する「鬱」一人前「愛」三人前
大塚亜紀
がんばるなとか言わないで がんばるをやめたら目玉焼きも焼けない
工藤吉生
無愛想だった郵便局員が今日はにこやか。その理由とは?
佐佐木頼綱
日本語は違ふ気がしてアリゾナの鹿の骸にただ手を合はす
永田和宏・歌集「日和」を読む
青磁社「永田和宏作品集 Ⅰ」(2017年5月・刊)より、仕舞いの第11歌集「日和」を読み了える。
第10歌集「後の日々」は、今月2日の記事にアップした。
概要
原著は、2009年、砂子屋書房・刊。2003年~2007年の597首と、あとがきを収める。
歌の数がやや多いのは、還暦以降は旧かなの歌に移行し、新かなの歌をすべて収めたせいである。
この歌集のあと、「作品集 Ⅰ」には、細かい年譜と、初句索引を収める。
この作品集のあと、歌集「夏・二〇一〇」(2012年・刊)がある。
感想
付箋を貼りながら読んでゆくのだが、20余枚となり、このブログの例の7首前後には多すぎる。研究の仕事の思い深い歌・痛快な歌、孫との歌、顔の見えない母の夢の歌など、削らざるを得なかった。
乳癌手術後の妻・河野裕子に関わる歌だけを残した。相聞歌を取り上げたい訳ではないが、彼の場合、歌人家族という特殊な関係の1員である事が、強い特徴であり、歌人家族の歌は大きな流れだった。
還暦以降、河野裕子・死去(2010年)後も、研究に、短歌に、出版に、忙しく動いている。
引用
以下に8首を引用する。
あそこにも、ああ、あそこにもとゆびさして山の桜の残れるを言う
さびしくて先に寝ねしか対応のまずさを娘はわれに指摘す
不意に泣き、顔裏返すように泣く ひとりの前にたじたじとわれは
段戸襤褸菊(だんどぼろぎく)はじめてきみが教えたる雨山(あめやま)に続く坂の中ほど
はかなくて傾ぎてわれに寄り添える人には重すぎてこの花の鬱
待ち続け待ちくたびれて病みたりと悲しきことばはまっすぐに来る
不機嫌がすぐ表情にあらわれるそこが青いと妻は批判す
河野裕子がインターネットにのめりこむ不思議な世とはなりにけるかな

写真ACの「童話キャラクター」の、「浦島太郎」よりイラスト1枚。


第10歌集「後の日々」は、今月2日の記事にアップした。
概要
原著は、2009年、砂子屋書房・刊。2003年~2007年の597首と、あとがきを収める。
歌の数がやや多いのは、還暦以降は旧かなの歌に移行し、新かなの歌をすべて収めたせいである。
この歌集のあと、「作品集 Ⅰ」には、細かい年譜と、初句索引を収める。
この作品集のあと、歌集「夏・二〇一〇」(2012年・刊)がある。
感想
付箋を貼りながら読んでゆくのだが、20余枚となり、このブログの例の7首前後には多すぎる。研究の仕事の思い深い歌・痛快な歌、孫との歌、顔の見えない母の夢の歌など、削らざるを得なかった。
乳癌手術後の妻・河野裕子に関わる歌だけを残した。相聞歌を取り上げたい訳ではないが、彼の場合、歌人家族という特殊な関係の1員である事が、強い特徴であり、歌人家族の歌は大きな流れだった。
還暦以降、河野裕子・死去(2010年)後も、研究に、短歌に、出版に、忙しく動いている。
引用
以下に8首を引用する。
あそこにも、ああ、あそこにもとゆびさして山の桜の残れるを言う
さびしくて先に寝ねしか対応のまずさを娘はわれに指摘す
不意に泣き、顔裏返すように泣く ひとりの前にたじたじとわれは
段戸襤褸菊(だんどぼろぎく)はじめてきみが教えたる雨山(あめやま)に続く坂の中ほど
はかなくて傾ぎてわれに寄り添える人には重すぎてこの花の鬱
待ち続け待ちくたびれて病みたりと悲しきことばはまっすぐに来る
不機嫌がすぐ表情にあらわれるそこが青いと妻は批判す
河野裕子がインターネットにのめりこむ不思議な世とはなりにけるかな

写真ACの「童話キャラクター」の、「浦島太郎」よりイラスト1枚。


「ヴィヴァルディ作品集」より(10)

BRILLIANT CLASSICS版の廉価版「ヴィヴァルディ作品集」(全66CD)より、10回目、51枚目の紹介をする。写真は、紙ジャケットの表。
前回、同(9)回目、44枚目の紹介は、先の7月20日の記事にアップした。
この51枚目は、オペラ「テウッツォーネ」(全3CD)の1枚目である。
僕などは、ヴィヴァルディの奇想風の器楽曲に親しみを感じるが、生存中はオペラ作家として有名だったらしい。しかしウィキペディアに当たってみると、多くのオペラ曲が「紛失」となっている。
詩人・アポストロ・ゼーノの台本は、中国を舞台とする、恋模様と王位継承をめぐる問題を主軸にした、ドラマティックなストーリーである。
ストーリーは聴き取れないが、オペラ(クラシック音楽)の美声と、歌謡曲・ポップスの美声は違う、という事を感じる。声を響かせるため、喉より発声し、深い響きを持つ。
またオペラの歌は、多く会話であり、相手への思い遣りがこもっている。
クラシックをよく知らない、オペラが苦手な、僕の感想である。


永田和宏・歌集「荒神」を読む
青磁社「永田和宏作品集 Ⅰ」より、第7歌集「荒神」を読み了える。
先行する歌集「饗庭」は、今月1日の記事で紹介した。
概要
原著は、2001年、砂子屋書房・刊。
1995年~1998年初めまでの作品を収める。
題名は、職場のすぐ横にある、荒神橋より採った。
感想
生物学研究の組織等の代表となり、多忙であった。
短歌関係の講演、対談・鼎談・座談会を多くこなしている。
娘・紅の京都大学入学、息子・淳の大学卒業・就職等、妻・河野裕子を寂しがらせながらも、安定期であった。
歌集「華氏」が1997年・寺山修司短歌賞・受賞、1998年、歌集「饗庭」を刊行している。
主宰する歌誌「塔」も、若手が頑張って編集していた。
48歳~50歳越えの、働き盛りの時代の歌集である。
引用
以下に7首を引用する。
くりかえしわれの不在を嘆き言う歌うように言う妻という人
この家にあなたは住んでいないという言葉短しくりかえし責む
名東区極楽二丁目いささかの恩義のありていくたびも書く
訪ねくる人とはなりてヘルメット提げたる息子がのっと入り来
遺伝子の複製を娘(こ)に教えいしがさびしき妻は早く眠りき
台所、屋根裏、二階と棲み分けて歌つくりおりまことに不気味
どくだみの匂う近道疲れやすくなりたるひとは疲れつつ来る

写真ACの「童話キャラクター」より、「シンデレラ姫」のイラスト1枚。


先行する歌集「饗庭」は、今月1日の記事で紹介した。
概要
原著は、2001年、砂子屋書房・刊。
1995年~1998年初めまでの作品を収める。
題名は、職場のすぐ横にある、荒神橋より採った。
感想
生物学研究の組織等の代表となり、多忙であった。
短歌関係の講演、対談・鼎談・座談会を多くこなしている。
娘・紅の京都大学入学、息子・淳の大学卒業・就職等、妻・河野裕子を寂しがらせながらも、安定期であった。
歌集「華氏」が1997年・寺山修司短歌賞・受賞、1998年、歌集「饗庭」を刊行している。
主宰する歌誌「塔」も、若手が頑張って編集していた。
48歳~50歳越えの、働き盛りの時代の歌集である。
引用
以下に7首を引用する。
くりかえしわれの不在を嘆き言う歌うように言う妻という人
この家にあなたは住んでいないという言葉短しくりかえし責む
名東区極楽二丁目いささかの恩義のありていくたびも書く
訪ねくる人とはなりてヘルメット提げたる息子がのっと入り来
遺伝子の複製を娘(こ)に教えいしがさびしき妻は早く眠りき
台所、屋根裏、二階と棲み分けて歌つくりおりまことに不気味
どくだみの匂う近道疲れやすくなりたるひとは疲れつつ来る

写真ACの「童話キャラクター」より、「シンデレラ姫」のイラスト1枚。


永田和宏・歌集「やぐるま」を読む
青磁社「永田和宏作品集 Ⅰ」(2017年5月・刊)より、第4歌集「やぐるま」を読み了える。
第3歌集「無限軌道」は、今月5日の記事にアップした。
原著は、1986年、雁書館・刊。
歌集名について、「π(ぱい)」などが候補に挙がったが、イメージ・チェンジして「やぐるま」に決まった経緯は、歌集で初めての「あとがき」で詳しく述べられる。
作品は、1981年~1984年の4年間の作で、そのあと彼はアメリカで2年間の研究生活(家族同伴)を送る。
彼は優しさに就いて、歌集「無限軌道」で「やさしさはやさしさゆえに滅ぶべし 夕ぐれの野を漕げる野あざみ」と読んで、圧し留めようとしている。
それは歌壇や生物学研究で、ライバルと厳しく競争しなければならなかった故だろう。ただし女性歌人や子どもたちには、優しい面もあったようだ。
また妻の歌人・河野裕子との関わりも、多く詠まれている。
この期に、作品発表の他、評論(「普遍性という病」、「虚像論ノート」、他)、対談(斎藤史、岡井隆)、女性短歌討論会(河野裕子、阿木津英、道浦母都子、永井陽子ら)の企画・司会など、短歌活動は盛んだった。
以下に7首を引く。
草原に汽罐車ありき鉄塊は銹びて臓器のごとくやさしき
もの言わで笑止の螢 いきいきとなじりて日照雨(そばえ)のごとし女は
将来を未来に賭けて待つべくも銹(さび)つつ虚空に朴(ほお)しずもれる
精神の岬灯(ひ)ともし怺えおるゆえ願わくば迂回されたし
悪口雑言いきいきとして艶めくに思えばおまえになき喉仏
あるときは枝として子がぶら下がるゆさゆさと葉を繁らせてわれは
にこやかにわれの時間をかすめゆく「できれば」と言い「ぜひ」と重ねつ

写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


第3歌集「無限軌道」は、今月5日の記事にアップした。
原著は、1986年、雁書館・刊。
歌集名について、「π(ぱい)」などが候補に挙がったが、イメージ・チェンジして「やぐるま」に決まった経緯は、歌集で初めての「あとがき」で詳しく述べられる。
作品は、1981年~1984年の4年間の作で、そのあと彼はアメリカで2年間の研究生活(家族同伴)を送る。
彼は優しさに就いて、歌集「無限軌道」で「やさしさはやさしさゆえに滅ぶべし 夕ぐれの野を漕げる野あざみ」と読んで、圧し留めようとしている。
それは歌壇や生物学研究で、ライバルと厳しく競争しなければならなかった故だろう。ただし女性歌人や子どもたちには、優しい面もあったようだ。
また妻の歌人・河野裕子との関わりも、多く詠まれている。
この期に、作品発表の他、評論(「普遍性という病」、「虚像論ノート」、他)、対談(斎藤史、岡井隆)、女性短歌討論会(河野裕子、阿木津英、道浦母都子、永井陽子ら)の企画・司会など、短歌活動は盛んだった。
以下に7首を引く。
草原に汽罐車ありき鉄塊は銹びて臓器のごとくやさしき
もの言わで笑止の螢 いきいきとなじりて日照雨(そばえ)のごとし女は
将来を未来に賭けて待つべくも銹(さび)つつ虚空に朴(ほお)しずもれる
精神の岬灯(ひ)ともし怺えおるゆえ願わくば迂回されたし
悪口雑言いきいきとして艶めくに思えばおまえになき喉仏
あるときは枝として子がぶら下がるゆさゆさと葉を繁らせてわれは
にこやかにわれの時間をかすめゆく「できれば」と言い「ぜひ」と重ねつ

写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。

