角川書店「増補 現代俳句大系」第13巻(1980年・刊)より、20番目、しまいの句集、福田甲子雄「藁火」を読み了える。
 今月17日の記事、
古舘曹人・句集「能登の蛙」に次ぐ。
 今年1月15日に、第13巻初めの句集、古賀まり子「洗禮」を報告している。
 なおこの本にはあと、「解説・年表」(83ページ)を付す。僕は同・第14巻の読書に入る予定である。
概要
 原著は、1971年、雲母社・刊。飯田龍太・序「よもぎの香」、426句(1946年~1970年の作を年次順に)、著者・後記を収める。
 福田甲子雄(ふくだ・きねお、1927年~2005年)は、敗戦により満州から1946年に帰郷、俳句を始める。同郷・山梨県の飯田蛇笏「雲母」に投句、1960年より飯田龍太に師事。
 1992年の「雲母」終刊により、「白露」創刊同人。
 第38回・蛇笏賞、読売俳壇・選者、等。
感想
 若々しさは、師の飯田龍太・譲りだろうか。比喩の句が多いが、当時の飯田龍太のすでに象徴に近い「忘音」の句に及ばなかった。
 僕が比喩の俳歌を好まないのは、戦後詩「荒地」派とその影響を受けた者(当時の詩人のほとんど総てであり、僕も1員だった)によって比喩は徹底的に発掘され、1975年の荒川洋治・詩集「水駅」によって終わりを告げられたと感じ思うからである。
 俳歌に独自の比喩があるなら、それは生き延びるだろうけれど。
 俳句の読者として、俳句に俳味、諧謔を求めるのは、古いのだろうか。
 「藁火」は第1句集であり、なおこの後に、福田甲子雄に6句集がある。
引用

 以下に5句を引く。
書道塾出る子入る子に玉霰
炭火吹く秋風を負ひ一家負ひ
炎天の海をめざして神父の歩
短夜の鱈はこぶ馬車鈴ならし(網走)
笛合はす祭の若き男たち

0-92
写真ACより、「おもてなし」のしまいのイラスト。