風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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偲ぶ

 A・幸代さんの年刊個人詩誌「野ゆき」vol.11を読み了える。
 到着は今月2日の記事、2冊と1紙が届く、にアップした。


 リンクより、過去号の記事へ遡れる。

「野ゆき」vol.11
 「野ゆき」vol.11の表紙である。発行者名は、ブランクにしてある。
 「返事して」、「満月」、「亀」、「焼き芋」、「友よ」の5編の短詩を収める。
 「返事して」は、見失ったメガネ、ケイタイ、鍵などが、呼んだら返事してくれる機能を備えるよう、願う内容である。ITの進歩で、実現しそうである。
 「友よ」は、10数年前に亡くなった、異性の友を偲ぶ。「私のほうが憎まれっ子だったか」ほか自省的である。優しく、清潔で、かつ行動力のある彼女の、1面が知られる。
 了解は得ていないけれど、「満月」という、全6行の作品を引く。

  満月
   A・幸代

あれまあ満月は
過ぎちまったのかえ
あんなに待ってたのに
しばらく雨続きだったから
仕方ないけど

空は薄情だよねえ

 満月は、人生の盛りを表すのだろうか。盛りの時期を、煙って過ぎた人を、憐れむのだろうか。僕の場合は大丈夫である。紙の詩集を最近出版していないが、ネットで活動し、Kindle本を何冊か出版し、次の目標も次の次の目標もある。
 11号に至る、着実な歩みを続ける年刊個人詩誌「野ゆき」の、次の号を待ちたい。

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 思潮社・現代詩文庫242「続続 荒川洋治詩集」より、「未刊詩篇<炭素>」7編を読み了える。
 先行する「詩集<北山十八間戸>全篇」を読む、は今月5日の記事にアップした。



 彼が「文学も出世の手段としか考えない」と、本音か、フィクション混じりにか、書いたことに就いて一言。日本の近代以降の文学者は、世のあぶれ者から出発しながら、芸術家のプライドを保って来た。その流れからすると、彼の1行は許せないかも知れない。しかしヨーロッパの近代文学が多くブルジョアの慰みごとであった事は措き、古代中国の詩人たちが、詩文に依って出世を計った事を考えると、彼の考えも納得できる。しかし現代日本は、古代中国とは違う。

 「伏見」より。「いめひとの伏見/の特徴だ」は、「伏見のいめひと(夢人を連想させる)」を、引っくり返しただけのようだ。「その日から私は変わったと/その日から 日本は変わったと/突然の美しい声で叫ぶ」の楽観には、むしろ危うさを感じる。
 「蔚山」より。戦前の親日作家「白鉄」が病気(肺結核?)の身で、「とてもよく してもらったので」住むことを決め、諦めない希望を「いまでもいちばん人はきれいだ」と、現代詩作家は讃える。
 「プラトン」は、「ソクラテスの弁明」とトルストイ「戦争と平和」を、混ぜ合わせたような作品だ。
 「炭素」は、16歳まで30年間、旺盛な活動をした(年代測定がくるっている)四国の四人の話が、四国生まれの目を治療する少女たちの話にすり替わる。
 「民報」では、「悪化した胸」の作家野川(島に帰った)を、四つ年下の東京の作家が、偲ぶ話である。旧友が村人と交わりを持てていることに、東京の作家は「ひそかに胸をなでおろし」ている。現代詩作家も、多くの旧友(恵まれた境涯にいない)を偲ぶのだろう。
 恩賜賞・芸術院賞を受けた荒川洋治氏の、これからの活動に僕は関心深い。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


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 6月23日(第4日曜日)午後1時半より、敦賀市立北公民館3階ホールにて、詩人・岡崎純さんを偲ぶ、第2回「蝸牛忌」が催された。
蝸牛忌・全景
 上は、K・久璋さんの開会挨拶の場の、背面よりの全景である。もっとも、画面を外れて左側に椅子を出して、数名が座っていた。
 昨年には、僕は急な事情で参加できず、残念だった。その事情は、昨年6月11日の記事、第1回「蝸牛忌」参加・断念の記に記したので、ご覧ください。

蝸牛忌・題字と遺影
 上の写真は、今回の題字と、若き日の岡崎純さんの遺影である。
 忌祭は(午前中の墓参を了えて)、4時半までの予定で始まった。
 S・博美さんの総合司会で、K・久璋さん(詩誌「角」代表)の開会挨拶のあと、S・道明さん(詩人・作家・評論家)の基調講演「岡崎純詩の怒りとユーモア―日野山の山容が育んだもの―」があった。資料と実地体験と研究に想像力を合わせた、自身の老化の自覚に抗いつつ、凄みのある講演だった。若き日の出会いから始まって、①優れた文学者には、模倣者が現れる。岡崎純さんの詩には、模倣者がおり、模倣を一概に悪いとは言えない。②農民の信心を、美徳とは捉えていない。無念を彼岸に持ち越したのだ。

 岡崎純さんの4編の詩に、M・勇さんが作曲し(ピアノ伴奏を得て)独唱した。
 10分間の休憩ののち、第2部。画廊喫茶のマッチ箱にかつて印刷した14編の短詩を、約10名が朗読した。
 岡崎純さんの詩にしばしば現れる小動物に因んで、詩人・フランス文学者のT・武光さんがルナールの詩集「博物誌」より何篇かを原語で朗読し、Y・勝さんが邦訳(岸田国士・訳)を読み上げた。スクリーンに挿し絵を写しての、僕には新しい世界だった。
 催しのしまいに、「岡崎純の詩をめぐって」というシンポジウムがあり、K・久璋さん司会のもと、T・晃弘さん、K・不二夫さん、I・秀子さんが、岡崎純さんとの出会いから、作品論までを語った。
 岡崎さんのお孫さんのY・杏子さんから遺族・謝辞、W・本爾さん(福井県詩人懇話会・代表)の閉会挨拶があり、遠路参加者へのK・久璋さんの配慮のお陰で、定刻の4時半に第2回「蝸牛忌」を了えた。


 
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