風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

優しさ

 今月7日の記事、届いた4冊(4)で報せた本から昨日に続き、関章人さんより受贈した詩集、「在所」を読み了える。

 

詩集2
 リンク記事で、関章人さんの過去の詩集の記録がない、と書いた。県立図書館の蔵書にもなく(県内の詩人は詩集を出版すると、ほとんど必ず寄贈する。この「在所」も蔵書検索に浮かぶ)、第1詩集のようだ。
 年刊アンソロジー「詩集ふくい」への寄稿が先か、同人誌誌「角」への寄稿が先か(代表・金田久璋さんに誘われて)、今はわからない。

 第Ⅰ章は、東北大震災をちょうど3ヶ月後に詠った「白煙がゆれている」から始まり、比較しつつ福井震災を描く「 わが福井震災の記憶と」が続く。福井空襲と原発禍を対比する「いのちの在所」の編もある。

 第Ⅱ章には、言葉を問う「ことばの翳り」、「とどかないことば」がある。
 「耳鳴り」の「透明になった過去と/崩れて行く明日と/幻像は水面に揺らいでいる」とあいまいながら、焼け跡世代の現在の思いを伝える。
 第Ⅲ章の「鯨塚」は、天明4年(1784年)と文政3年(1820年)の史実を物語って、郷土史研究家の面目を見せている。
 「囲い込み幻想」は、国の領海・領空を囲い込み、「ひとり歩きする」コトバで国民を囲い込もうとする、権力に反発する。
 第Ⅳ章では、生活をリアルに切り取って優れる。「廃品回収」の「次には僕が廃品回収やなァ」「いやいや まだまだ使える貴重な資源です」の会話は、庶民の機知と知恵と優しさである。
 第Ⅴ章の3編は古く、ベトナム戦争などを詠っている。

 総じて問題意識に貫かれた詩集である。


 これまで記事にアップしなかったけれど、寺井奈緒美・歌集「アーのようなカー」Kindle Unlimited版をタブレットにダウンロードしており、先日に読み了えた。
寺井奈緒美「アーのようなカー」
 書肆侃侃房・新鋭短歌シリーズ46。同シリーズとして、先の8月3日の記事、二三川練・歌集「惑星ジンタ」に次ぐ。

 単行本:2019年4月11日・刊。価格:1,836円。
 Kindle版:2019年8月2日・刊。価格:1,600円。
 掲載首数、不明。東直子・解説「「そこにいた時間」の新しい豊かさ」、著者・あとがきを付す。

 優しさを施したい、求めたい心情がある。言葉の斡旋がうまく、レトリックが上手になって、人生の真実味が深まらないようだ。
 あとがきに「色を失っていたのは街ではなく自分自身だったのだと、ようやく気がついた。」とある。人生の暗部も見つめつつ、歌に拠って、危うい時代を生きて行ってほしい。

 以下に7首を引く。

舌打ちの音でマッチの火が灯るようなやさしい手品がしたい
フジツボのように背中を張り付かせ駅の柱はやさしい岩場
コピーアンドペーストのため囲われた文字に地下への隠し通路を
追い炊きのボタンを君に埋め込んで一年経つが未だ押せずに
戦前を生きるぼくらは目の前にボタンがあれば押してしまうね
街をいく人たちみんな大根を持っているけど何かの予兆
再生をされてトイレットペーパーになったら隣り合わせましょうね


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 今月2日の記事、届いた2冊(9)で報せたうち、マンガ・ムック「猫まんが いつでもモフモフ」を読み了える。
 プロ・漫画家、ブロガー、インスタグラマー等としてご活躍の、暁龍さんがブログ「あんことむぎと」で強く推している。
 マガジンハウス、2019年9月5日付け・刊(既刊)。
 暁龍さんをはじめ、14氏の14編を読み了える。
 暁龍さんの「あんこと麦と」(4コマ・マンガ、10編)は、優れた特徴がある。まず数少ないオールカラーであること。背景がしっかり描かれていること(これまでのコマや、商用頒布の、背景を用いているらしい)。2匹の猫を取り上げているので、猫だけで4コマを成す作品があること。苦労を重ねたらしい、優しさが伝わってくる。
 今日マチ子さんの「猫嬢ムーム」がファンシーで、新しい方面だろうか。
 すべて、心がほっこりする作品で、この本を買って良かったと思う。


「角」第50号
 先の6月25日の記事、第2回「蝸牛忌」余話で書いた通り、同人詩誌の代表K・久璋さんから頂いた、「角」第50号を詩作品中心に読み了える。
 今年2月12日の記事、同・第48号を読む以来の記事となる。同・第49号は入手しなかったらしい。
T・常光「コラージュ」
 福島県の原発事故のその後を描いて、結行「心の奥底にデブリが落ちる」と深い作品である。しかし「森の奥の神を探る」とあるように、神に心を寄せる者しか、深い作品は書けないのだろうか。
T・百代子「心残り」
 近所の寝たっきりの妻とその老いた夫の許に、「週に三回、三年」温かい惣菜を運び続けるが、ついに妻が亡くなる。「これだけしか出来なかったことが/心残りで、もう少し何かをするべきだった」と書くが、僕は充分だと思う。彼女の、信念に基ずく優しさはわかる。
N・六「語り歌」

 祖父母が孫に、明るい未来を説く図である。しかしその子世代のことは描かれない。仕事が定まらない子、結婚しない子、過労の子を抱える、還暦過ぎの老人は、身近に多い。アラフォー世代に、未来がないようではないか。
提言
 詩誌の第50号に至ったことをお祝いすると共に、次の提言をする。散文に重きを置くことと、裏表紙に目次を置くことは、止めたら如何だろうか。詩誌の品格に関わると思うのだけれども。


 今月6日の記事、入手した5冊(2)の3番めに置いた詩誌「水脈」65号を、詩を中心に読み了える。
 同・64号の感想は、今年2月13日の記事にアップした。リンクより、過去号の記事へ遡れる。

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 65号は、2019年6月20日、水脈の会・刊。
 編集後記に拠ると、新入会員1名、復活会員2名、1般からの投稿1名、寄稿(随筆)1名と、盛んなようである。
 現場から引退した会員が多いようだ。彼らが長く願って来たことは達成されていない。
 現場の企業戦士からは、「倒れたもん勝ち」という自虐が洩れるくらいである。
 戦後の、弱さは正しいという信念が追いやられ、優しさと善意では生き抜けない世の中となったようだ。
 僕は、囲碁(盤上では、窃盗、放火、殺人あり)で勝負(半目勝てば良い)を学び、花札のコイコイで相手の手の内を読むことを学んだ。
 悪意を持てというのではないが、隣人と社会の悪意には、敏感でなくてはならない。
 N・千代子さんのエッセイ「母の着物」に出てくる、服飾リサイクルの仲間など、これから家族を含めて小さな仲間が寄り添って助け合い、世を生き抜くしかないのだろう。
 僕の親しむ立原道造がそうだったと信じるが、次の次の世の解放を信じられるように思う。



「ぱらぽっぽ」38号a
 今月12日の記事で到着を報せた、児童文学誌「ぱらぽっぽ」38号を読み了える。
概要
 概要めいた事を、リンク記事に書いたので、ご参照ください。
 ただ、現在の「ふくい児童文学会」会員は18名(昨年8月に宇野・Tさんが亡くなった)、また年度末ごと年刊の「ぱらぽっぽ」発刊の他、毎月、研修会と会報発行を続けている。
感想
 詩6編の内、代表・藤井さんの「うふふふふ」にのみ触れる。父親から「根性が曲がってるからやろ」と言われた息子が、辞書で「根性」を引いて嘆くが、母親は「あんたは素直ないい子や」と宥め、息子も慰められる、少年詩である。

 童話に入り、K・陽子さんの「おじさんとクロと ないしょのはなし」は、70歳の「おじさん」と飼い犬「クロ」は仲良しだったが、おじさんに「いじわる虫」が住み着いて、あまり構わなくなったけれども、「クロ」が気を引く仕草の果てに衰えた時、「おじさん」が優しさを取り戻すストーリーである。
 K・葉子さんの「カラス語がわかるといいね」は烏の言葉の意味を、子どもと曽祖母が想像する、常識とは違った世界である。
 K・希美枝さんの「オオカミくんとクマさんと」は、寂しがり屋のクマさんが、孤高派のオオカミくんを、コンサートに誘って親しくなる、老いの心にも優しい動物譚である。
 M・生子さんの「光が先に」は、大人の童話だろうか。縄文時代らしい設定に、兄・シブシと耳の聴こえない妹・キセ、兄の婚約者・ヨリの感情の縺れが、お互い優れた技術を発揮している内、兄妹の母親の助言もあって、解けるストーリーである。
 他の作品も含めて、常識を離れてみた、想像力を思いきり羽ばたかせた、世界である。
 触れられなかった作品と随筆、宇野さん追悼記事には、心残りである。



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