風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケが、2017年10月17日付けで、AmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)を発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 再任用・リタイア前後の、庶民の日々の悲喜哀歓を綴った4章48編と、巻末に哲学風小連作・2章7編を収めます。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 詩集 日々のソネット」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。
 また、ブログの右サイドバーの上部、アクセスカウンターの下に、Amazonアソシエイトのリンク画像「あなたへ詩集をAmazonで」を貼りましたので、画像をクリックしてくだされば、購入サイトへ飛びます。
 kindle版で540円(税込み)、kindle unlimited版も発行しています。よろしくご購入をお願い致します。

全歌集

 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、10番目の歌集、「灰白の群」を読み了える。
 今月7日の記事、
同・「運河」に次ぐ。
概要
 「灰白(くわいはく)の群(むれ)」の原著は、1949年、新風詩社・刊。前歌集「運河」の7日後の刊行である。
 雑誌「刑政」の原稿のため、囚人の様子をみせてもらい、「雑居房」、「灰白の群」、「愛蠅」の3章にした、特殊な題材の短歌を1集に仕上げたからである。
 265首、長文のあとがき「巻末小記」を、収める。
感想
 雑居房、荷役、刑務所を、看守部長らの案内で詳しくみて、「現在の私の全力を傾注したものであり、日夜苦心するところがあつた…」と、あとがきに書きつける。
 囚人を「愛すべき人間たち」と呼びながら、短歌指導等の救済(「なかなか新鋭な歌を作るものがあり」と、あとがきにある)を採らない。時代的背景が、あったのかも知れない。
 荷役囚の踵がこぼれた塩のため割れるさまを繰り返し描いたのは、抗議の思いがあったのだろうか。
 戦前に左翼だった頃、1歩誤れば似る状況に陥っていたかも知れない、という思いもあっただろう。
引用

 以下に6首を引用する。
ゴム足袋を刺す縫針に老(お)い弱き視力を凝(あつ)むこの補綴夫は
いくたびか罪を犯して就役す髪にやうやくにみゆる半白
指のなき地下足袋をわづかに履けるのみ塩を負ひ斑雪(はだれ)の陽炎をくる
地下足袋の中に踏みこむ岩塩にどの囚人もくるぶしを傷(やぶ)
ただこゑなき冬の監房よ青衣を着(き)ねむる囚人の縮めたる足よ
番号を胸に小さく縫ひつけぬ莚を織りまた靴に鋲を打つ
0-10
 写真ACより、「アールデコ・パターン」のイラスト1枚。



 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、9番目の歌集「運河」を読み了える。
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歌集「風」は、先の4月6日の記事にアップした。
概要
 原著は、1949年、新協出版社・刊。277首、著者・巻末小記を収める。
 教育を受けたある恩師、竹馬の友である新協出版社・社主、結社「青垣」の師・橋本徳壽、装丁の棟方志功らへの感謝の言葉が、巻末小記に満ちている。
感想
 1949年は、私の生まれる前である。それを思えば、これらの歌は新しかっただろう。
 「私の罪」という言葉が出る。兵役に取られなかったのは理由があるだろう。また米軍の空襲に遭わなかったのも幸いした。また食事に困るほど困窮しなかった。専売局員として、当時、専売品だった塩の運び屋などを摘発した。妻ならぬ女性との恋慕もあった。
 世が少し落ち着いて来ると、それらが歌人の良心の責めとなって来るのだろう。
 8歳で失った実母を偲ぶ歌もある。
 結局、心の拠り所を、妻との生活に求めている。
引用

 以下に7首を引く。
うつしみの骨にはあらぬ木片(もくへん)の遺骨を守(も)りて苦しきを経め
老ゆるものなべてかかれか昼さへや濁りに沈む大き独逸鯉
吾がねむり浅かりしかばをりをりに海上の雷(らい)の余響を聞けり
明日にくる何も信ぜずねむりつつ夜のあけがたの乳いろの砂
ひとときの虹なりしかど吾が母をしぬぶゆふべの海に立ちたり
私の罪を思へり冬雲のくれなゐも早やはつかになりて
連翹の黄に彩(いろ)ふ妻の掌をとるに寂しすぎたる過去とも思ふ

0-57
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。





 

 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、この全歌集で8番目、「風」を読み了える。
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歌集「玄冬」は、先の3月4日の記事にアップした。
概要
 原著は、1948年、高嶺書房・刊。428首、著者「巻末小記」を収める。
 巻末小記に、師・橋本徳壽の励ましや、出版に丸山忠治という人の援助があったと記されている。
 壮んに活動していると、援ける人も現れるのだろう。
 また交友のあった棟方志功の装画を得ている。
感想
 40歳、壮年に至って、苦労をかけた妻を憐れむ歌が多い。
 また良心に痛む事もあるらしく、それを詠う歌もある。
 それは「ふかぶかとしたる陥穽をつくりつつ彼が陥ちるのを傍観しをり」という、生き方にも因るのだろう。
引用
 以下に7首を引く。
雪の夜の蠟のまたたき寒けきに何編む妻よともに生きたし
ゆたかなる雪美しき夜の縁に吾が妻が乾す潤鰯(うるめ)ひとつひとつ
煮ゆる小豆小指(をゆび)の腹にためしゐる妻よ五人目の児をみごもるか
少年は炎を浴びて働けり貧しき母に生れたるゆゑに(銑鉄)
ぎりぎりに生くるいのちか朝早も暗き焦燥がこころを嚙むも
冬青(もち)の葉のひとつひとつに溜る光(ひ)のにぎやかに寂し照りにつつあり
午後となる冬日にやさし吾が妻の鋏にむすぶ小さき鈴は
0-35
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。





 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、7番めの歌集「玄冬」を読み了える。
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歌集「激流」は、先の2月19日の記事にアップした。
概要
 原著は、1948年、氷見新聞社・刊。1947年の作品、386首を収める。
 1945年の敗戦から既に、5冊目の歌集である。財力を尽くしただけでなく、各方面からの援助もあった(次の歌集「風」のように)のだろう。
感想
 昨日に紹介した、土岐友浩・歌集「Bootleg」がニューウェーブに近く、この「玄冬」が写生の古典派に近い。
 僕の読書のストライクゾーンが広いと言っても、これだけ志向が違うと、僕の心も揺れる。
 写生といっても、自然詠は多くなく、人事詠、家庭詠が多くなる。
 また「雑囊を負ひしもの貨車に混合してあはれあはれ強き日本人の体臭」にあるような、破調の歌も散見される。
 彼の財力をあれこれ書いてきたが、彼は3男であったけれども、年譜には「1930年、22歳、岡部太一郎の3女ミツと結婚、本家岡部信太郎家の後を継ぐ。」とあり、家に歌集を出版する財力はあったのだろう。他人の財布を、あれこれ言っても仕方がないが。
引用

 以下に7首を引く。
濁りつつ生きゆく吾を歎けどもけふ鮎市をみて帰り来ぬ
養子となり苦しみし過去もはるかにて今夜(こよひ)鰊を煮込みつつ食ふ
湯より帰る子にコンビーフの鑵切りて待つに短くなりし日の暮
くるしみにさめしかたへに吾が妻の小さき顔あり白く眠りて
売るものも干鰯(ほしか)林檎の類にして川岸にならぶ小さきマーケット(引揚者市場)
後向けてその細い肩を抱いてやるまたひとり産む妻がいたいたしく
したしみをひとり感じつつ夜(よは)にをり炭(すみ)に火が移るかすかの音よ
0-33
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。




 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、6番目の歌集、「激流(げきりう)」を読み了える。
 先行す
歌集「朱鷺」は、先の1月12日の記事にアップした。
概要
 原著は、1947年、北陸青垣会・刊。463首、巻末小記を収める。
 青垣叢書「いしかは」「流氷」「寒雉集」「魚紋」の歌集の選に洩れた作品より成る。「いしかは」は1937年・刊の合同歌集であり、「流氷」はこの題名でなく合同歌集「日月」として1944年に刊行された。
 戦後・刊の「寒雉集」「魚紋」に就いては、このブログで取り上げた。
感想
 1926年~1946年の、7度の転任ごとに章をまとめ、巻末に「虫芥集」の章を置く。
 先の「朱鷺」の1ヶ月後の刊行であり、熱意と、資力のありようが偲ばれる。
 1940年~1943年の「信州飯山」の章に、「あかあかにぬり絵の線をはみいでて児(こ)がクレヨンのいろぞ量(かさ)なす」があり、今なら読み過ごしてしまいそうだが、当時としては贅沢な品だったろう。
 資力があったから悪い、というのではなく、蕩尽せずに歌集として残した事は、後の道を行くものにとって有益である。
 自信があったであろう「虫芥集」は、あまり感銘を受けなかった。生活詠・家庭詠に、惹かれる作品が多かった。
引用

 以下に7首を引く。
薄暗き本堂に吾ら掌(て)をたたきひそまりきくに鳴龍啼きけり
色渇せし麻蚊帳のなかにふしてをり家の貧しさを吾が思はざらむ
河の洲にいまだものこる夕明り子らほうほうと蟹追ふこゑす
夜を一夜(ひとよ)水鶏(くひな)のこゑのひびくなりこの山住(やまずみ)に堪へなむとおもふ
犯したるみにくき責(せめ)のいくつかは私にして隠し終ふべし
葱汁に鶏卵(けいらん)ひとつおとすさへおどおどとしてあからさまにせず
朝湯より帰り来し吾がをさなめを片粉(かたこ)の花のごともおもほゆ
0-12
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。





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