風の庫

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全歌集

 角川書店「生方たつゑ全歌集」(1979年初版、1987年・再版)より、第3歌集「春盡きず」を読みおえる。
 第2歌集
「雪明」は、昨年12月12日の記事にアップした。
 1941年(太平洋戦争が始まる)~1946年(敗戦後すぐ)に至る作品である。
 第4歌集「淺紅」(1950年・刊)よりも遅れて、1952年に刊行された。
 なお1945年の敗戦後、今井邦子の「明日香」を去り、「国民文学」の松村英一に師事する。
 「春盡きず」の選歌も松村英一がしており、何らかの手が加わった可能性はある。
 歌集では、自分の思い、人間関係を詠んだ歌は少なく、和語を用いた自然詠が並ぶ。
 以下に7首を引く。人間くさい作品を多く引いた。
ぶな渓にこだまとなりてひろごりしわがこゑはひとりききゐるものか
いちにんの舅のみまかりまししよりなぐさまざりし春もゆくべし
波ひだにあかき光は漾(ただよふ)とこころうごきて朝うみにをり
春くさにこころしづかに寄るらしきあかき牛らがいまだねてをり
ひかるばかり雨の洗ひしをみなへし群落ゆきて折ることもなし
み柩を火に葬(はふ)りたる火葬場のかたへの道に立ち去りがたし(逝く母)
集ひきていのちやすけき小鳥らよ枯葉を踏むもついばむもあり
焚き火5
フリー素材サイト「Pixabay」より、焚き火の1枚。








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 「生方たつゑ全歌集」(角川書店、1979年・初版、1987年・再版)より、第2歌集「雪明」を読みおえる。
 第1歌集「山花集」は、今月12日の
記事(←リンクしてあり)にアップした。
 歌集「雪明」は、1944年、青磁社・刊。1938年~1941年9月の628首。
 1937年には日中戦争が始まり、1941年12月には太平洋戦争が始まっている。
 生方たつゑの義弟の応召があったが、彼女は依然として旧家を守った。
 1936年、「アララギ」を脱会した今井邦子が、当時唯一の、女性のみの結社・月刊誌として「明日香」を立ち上げた時、生方たつゑも参加したが、1945年に事情を話して退会した。
 三重県の温暖な地に生まれ、大学哲学科聴講生の娘さんが、雪国の群馬県の旧家に嫁いだ苦しみから、歌に励んだともされる。
 以下に7首を引く。
渓だにを埋めし雪をわれはみてものを言ひたりひとりさびしく
蠟燭のはだか火さむく土蔵より持ちゆかしむる刀を選びつ(義弟応召)
寒潮のくらき面にかもめらはこゑ啼かずして光を曳きぬ
雪げかぜ吹くとは言へど庭石に凍(し)みつつ青き苔のうるほふ
春なかば雪のとざせる細谷を音にたちつつゆくみづはあり
秋の日のはやおとろふる高山に野鳩まどけきこゑつたはりぬ
野うばらとおぼしきしろさゆるる野に入りゆきし子よこゑさへもなし
暖炉4
フリー素材サイト「Pixabay」より、暖炉の1枚。








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 kindle版「橘曙覧全歌集」を読み進んで、補遺「福寿艸」(←リンク記事あり)まで読みおえた。
 それに続く、万葉仮名の歌集と長歌集は、僕の力では読み解けないので、スルーした。
 これで全歌集編は過ぎたのだが、「附録」として、正岡子規「曙覧の歌」と、折口信夫「橘曙覧評伝」が付されているので、今回は子規「曙覧の歌」の論を読んだ。
 日本新聞社の「日本」に、1989年3月22日~4月23日まで、9回に分けて載せられた文章である。
 子規は、橘曙覧の貧しいながら、えせ文人のように金銭を汚いかに扱わず、書・歌の代を入手して喜ぶ等、生活をそのまま詠んだ事、国学に熱心であった事などを、弱点も挙げながら、とても誉めている。
 「万葉集」・実朝に及ばないながら、それ以後ただ一人の歌人だとまで賞揚した。
 この論によって、橘曙覧の歌が広まったようだ。
コスモス5
 「フリー素材タウン」より、コスモスの1枚。

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 kindle本「橘曙全歌集」より、補遺「福寿艸」を、タブレットで読みおえる。
 今月20日の
記事(←リンクしてあり)、同・「白蛇艸」に継ぐ。
 「福寿艸」は、曙覧没後、子息が歌集を作った際、草稿等より拾遺した集である。
 曙覧(1812年~1868年、享年57歳)は、富裕な商家に生まれながら、2歳で母と、15歳で父と死別、若くして家督を弟に譲り隠遁した。
 国学の徒として、明治政府直前に亡くなった。
 彼の歌は、正岡子規の激賞により有名になった。
 第2次大戦中に戦意高揚に利用され、敗戦後に忘れられかけた。
 アメリカのクリントン大統領が、昭和天皇夫妻を招いての晩餐会のスピーチで、曙覧の「独楽吟」より1首を引用して、再び脚光を浴びた。地元でも熱意ある人たちによって、「橘曙覧記念館」が建てられ、「平成独楽吟」の募集の催しが今も続いている。

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 kindle本「橘曙覧全歌集」より、第5集「白蛇艸(しろへみぐさ)」を、タブレットで読みおえる。
 このkindle版・全歌集の優れている点の1つは、詞書(ことばがき)をすべて載せている事である。
 幾冊かの全歌評釈書が出版されているが、煩瑣と見るのか、詞書を省略しているようである。
 橘曙覧(1812年~1868年)が、貧しいながら、他人の所蔵する絵画を欲しがって、手づるを使って入手し、とても喜ぶ歌(例えば以下の4首め)など、ユーモラスな面がある。
 以下に5首を引く。
破れたる硯いだきて窓囲む竹看る心誰にかたらむ
真名鶴の立つる一声鳴(なき)やみて後(のち)も響をのこす大空
うちわたす野山の広さゆく水のながさ目にあく時なかるべし
痩肩をそびやかしてもほこるかな雲ゐる山を手に入れつとて
更科やをばすて山にまさる月なぐさめたりき夜はのねざめを
柿3
フリー素材サイト「Pixabay」より、柿の一枚。
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 kindle本「橘曙覧全歌集」を読み継いで、第4集「君来艸(きみきぐさ)」を読みおえる。
 橘曙覧(たちばなのあけみ)は、有名な連作「独楽吟」に惹かれて、貧窮生活を平明に読んだ歌人と思われがちである。
 しかし以下に引く4首めや、連作「赤心報国」7首など、国学者の面も強い。
 また藩主よりの召し抱えの要請を、撥ね付ける程の一途さもある。
 以下に5首を引く。
人あまた来入りつどひて夜昼と千代よろづ代ににぎははむ家
秋のきくおのづからなる花は見でうるさく人の作りなす哉
戸をあけて還る人々雪しろくたまれりといひわびわびぞ行(ゆく)
神国(かみぐに)の神のをしへを千よろづの国にほどこせ神の国人(くにびと)
まのあたりたよりよげなる事がらも後(のち)に到りてさあらぬが多し
栗4
フリー素材サイト「Pixabay」より、栗の一枚。

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