風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

全歌集

 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、9番目の歌集「運河」を読み了える。
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歌集「風」は、先の4月6日の記事にアップした。
概要
 原著は、1949年、新協出版社・刊。277首、著者・巻末小記を収める。
 教育を受けたある恩師、竹馬の友である新協出版社・社主、結社「青垣」の師・橋本徳壽、装丁の棟方志功らへの感謝の言葉が、巻末小記に満ちている。
感想
 1949年は、私の生まれる前である。それを思えば、これらの歌は新しかっただろう。
 「私の罪」という言葉が出る。兵役に取られなかったのは理由があるだろう。また米軍の空襲に遭わなかったのも幸いした。また食事に困るほど困窮しなかった。専売局員として、当時、専売品だった塩の運び屋などを摘発した。妻ならぬ女性との恋慕もあった。
 世が少し落ち着いて来ると、それらが歌人の良心の責めとなって来るのだろう。
 8歳で失った実母を偲ぶ歌もある。
 結局、心の拠り所を、妻との生活に求めている。
引用

 以下に7首を引く。
うつしみの骨にはあらぬ木片(もくへん)の遺骨を守(も)りて苦しきを経め
老ゆるものなべてかかれか昼さへや濁りに沈む大き独逸鯉
吾がねむり浅かりしかばをりをりに海上の雷(らい)の余響を聞けり
明日にくる何も信ぜずねむりつつ夜のあけがたの乳いろの砂
ひとときの虹なりしかど吾が母をしぬぶゆふべの海に立ちたり
私の罪を思へり冬雲のくれなゐも早やはつかになりて
連翹の黄に彩(いろ)ふ妻の掌をとるに寂しすぎたる過去とも思ふ

0-57
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。





 

 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、この全歌集で8番目、「風」を読み了える。
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歌集「玄冬」は、先の3月4日の記事にアップした。
概要
 原著は、1948年、高嶺書房・刊。428首、著者「巻末小記」を収める。
 巻末小記に、師・橋本徳壽の励ましや、出版に丸山忠治という人の援助があったと記されている。
 壮んに活動していると、援ける人も現れるのだろう。
 また交友のあった棟方志功の装画を得ている。
感想
 40歳、壮年に至って、苦労をかけた妻を憐れむ歌が多い。
 また良心に痛む事もあるらしく、それを詠う歌もある。
 それは「ふかぶかとしたる陥穽をつくりつつ彼が陥ちるのを傍観しをり」という、生き方にも因るのだろう。
引用
 以下に7首を引く。
雪の夜の蠟のまたたき寒けきに何編む妻よともに生きたし
ゆたかなる雪美しき夜の縁に吾が妻が乾す潤鰯(うるめ)ひとつひとつ
煮ゆる小豆小指(をゆび)の腹にためしゐる妻よ五人目の児をみごもるか
少年は炎を浴びて働けり貧しき母に生れたるゆゑに(銑鉄)
ぎりぎりに生くるいのちか朝早も暗き焦燥がこころを嚙むも
冬青(もち)の葉のひとつひとつに溜る光(ひ)のにぎやかに寂し照りにつつあり
午後となる冬日にやさし吾が妻の鋏にむすぶ小さき鈴は
0-35
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。





 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、7番めの歌集「玄冬」を読み了える。
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歌集「激流」は、先の2月19日の記事にアップした。
概要
 原著は、1948年、氷見新聞社・刊。1947年の作品、386首を収める。
 1945年の敗戦から既に、5冊目の歌集である。財力を尽くしただけでなく、各方面からの援助もあった(次の歌集「風」のように)のだろう。
感想
 昨日に紹介した、土岐友浩・歌集「Bootleg」がニューウェーブに近く、この「玄冬」が写生の古典派に近い。
 僕の読書のストライクゾーンが広いと言っても、これだけ志向が違うと、僕の心も揺れる。
 写生といっても、自然詠は多くなく、人事詠、家庭詠が多くなる。
 また「雑囊を負ひしもの貨車に混合してあはれあはれ強き日本人の体臭」にあるような、破調の歌も散見される。
 彼の財力をあれこれ書いてきたが、彼は3男であったけれども、年譜には「1930年、22歳、岡部太一郎の3女ミツと結婚、本家岡部信太郎家の後を継ぐ。」とあり、家に歌集を出版する財力はあったのだろう。他人の財布を、あれこれ言っても仕方がないが。
引用

 以下に7首を引く。
濁りつつ生きゆく吾を歎けどもけふ鮎市をみて帰り来ぬ
養子となり苦しみし過去もはるかにて今夜(こよひ)鰊を煮込みつつ食ふ
湯より帰る子にコンビーフの鑵切りて待つに短くなりし日の暮
くるしみにさめしかたへに吾が妻の小さき顔あり白く眠りて
売るものも干鰯(ほしか)林檎の類にして川岸にならぶ小さきマーケット(引揚者市場)
後向けてその細い肩を抱いてやるまたひとり産む妻がいたいたしく
したしみをひとり感じつつ夜(よは)にをり炭(すみ)に火が移るかすかの音よ
0-33
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。




 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、6番目の歌集、「激流(げきりう)」を読み了える。
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歌集「朱鷺」は、先の1月12日の記事にアップした。
概要
 原著は、1947年、北陸青垣会・刊。463首、巻末小記を収める。
 青垣叢書「いしかは」「流氷」「寒雉集」「魚紋」の歌集の選に洩れた作品より成る。「いしかは」は1937年・刊の合同歌集であり、「流氷」はこの題名でなく合同歌集「日月」として1944年に刊行された。
 戦後・刊の「寒雉集」「魚紋」に就いては、このブログで取り上げた。
感想
 1926年~1946年の、7度の転任ごとに章をまとめ、巻末に「虫芥集」の章を置く。
 先の「朱鷺」の1ヶ月後の刊行であり、熱意と、資力のありようが偲ばれる。
 1940年~1943年の「信州飯山」の章に、「あかあかにぬり絵の線をはみいでて児(こ)がクレヨンのいろぞ量(かさ)なす」があり、今なら読み過ごしてしまいそうだが、当時としては贅沢な品だったろう。
 資力があったから悪い、というのではなく、蕩尽せずに歌集として残した事は、後の道を行くものにとって有益である。
 自信があったであろう「虫芥集」は、あまり感銘を受けなかった。生活詠・家庭詠に、惹かれる作品が多かった。
引用

 以下に7首を引く。
薄暗き本堂に吾ら掌(て)をたたきひそまりきくに鳴龍啼きけり
色渇せし麻蚊帳のなかにふしてをり家の貧しさを吾が思はざらむ
河の洲にいまだものこる夕明り子らほうほうと蟹追ふこゑす
夜を一夜(ひとよ)水鶏(くひな)のこゑのひびくなりこの山住(やまずみ)に堪へなむとおもふ
犯したるみにくき責(せめ)のいくつかは私にして隠し終ふべし
葱汁に鶏卵(けいらん)ひとつおとすさへおどおどとしてあからさまにせず
朝湯より帰り来し吾がをさなめを片粉(かたこ)の花のごともおもほゆ
0-12
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。





 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、第5歌集「朱鷺」を読み了える。
 
第4歌集「魚紋」は、昨年12月11日の記事にアップした。
概要
 原著は、1947年9月、青垣会・刊。先の「魚紋」より、約9ヶ月後の刊行だった。
 橋本徳寿・序文「岡部君」、464首、著者後記「巻末小記」を収める。
感想
 橋本徳寿は序文で、敗戦の痛苦をしみじみ感じていない者の旺盛な作歌を不思議、美しい、頼もしいと述べ、また同じような者からの第二芸術論その他を空しい言葉だと断じている。序文の末尾で、「君の作品は大いに動きつつあるやうに感じる」と感嘆している。
 自然詠は純化し、主情の歌(相聞歌、家庭詠、産業詠を含む)は純化し、時に混じり合う作品もありながら、手応えは感じているようだ。
 掉尾の歌が「口にいでていまだいふべきことにあらぬひとつの思想昨日よりもちぬ」であって、弱者を踏み越えてでも前進しよう、という思想のように今は受け取れる。
引用

 以下に7首を引く。
笹山の寒きくもりにひびきつつ鶫のこゑかまたしきりなり
冬の光(ひ)はうすらにさむし白白とこの山中の砂に素枯に
(も)ゆる火の余燼のごとしといふなかれいのちかがやきて君を恋ふのみ
ふかき夜を地震(なゐ)に目ざめてひとりなり吾が児の骨は昨日葬りし
闇市に日の暮に来つ雑踏の饐(す)えし空気の黄も堪へがたき
あたたかき乳のコップを卓におきいづこより差すひかりとおもふ

貨車の炭(たん)降りこむ飯(いひ)を食ふ母児(おやこ)いづくをたより引揚げゆかむ
0-06
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。




 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、第4歌集「魚紋(ぎよもん)」を読み了える。
 
第3歌集「寒雉集」は、先の11月26日の記事にアップした。
概要
 原著は、「寒雉集」と同じ1946年、3ヶ月をおいて発行された。
 486首と著者「巻末小記」を収める。青垣会・刊。
感想
 結社「青垣」と師の橋本徳寿の主張として、「現実の相に根を張り、自己を強く打ち出す」(三省堂「現代短歌大事典」2004年・刊に拠る)があった。
 写生にも主情にも徹せず、生活詠にも自然詠にも徹せず、読んでいてもどかしい思いを多くした。彼が後年、どのように発展して行ったかは知らないのだが。
 またその半ばする所を詠んだ、「虹鱒養殖場」の連作には、圧倒される。
 専売局の職員だったので、数少ない職場詠の、塩の運び屋を検挙する連作はリアルだった。
引用

 以下に7首を引用する。
闇市に飛魚(とび)青青と並べたり氷見(ひみ)の海よりはこべるらしも
綿を売りけふいくばくの金あれば米を買ひこゑあげてをさなごの食ふ
市役所の暗きにかがむいくたりか抑留者名簿を指によみつつ
二升余の塩をさげたるまづしきは吾がみのがさむゆけと押しやる
涌きかへり播餌を襲ふ虹鱒の激(たぎ)のごときを茫然とみぬ
山なかの寒きひかりに朴の落葉檪の落葉降りつもりたり
しづかなる蛹となりし毛虫ひとつ枳殻(きこく)にみつつかへすあゆみを
0-03
写真ACの「童話キャラクター」より、「白雪姫」の1枚。






 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、第3歌集「寒雉集(かんちしふ)」を読み了える。
 
第2歌集「鑿岩夫」は、先の10月24日の記事にアップした。
概要
 「寒雉集」は、戦後の1946年、青垣会・刊。981首。青垣叢書第21篇。
 なお2歌集の間に、合同歌集「いしかは」(1937年・刊)、「日月」(1944年・刊)がある。
感想
 初め2歌集ののち、岡部文夫はプロレタリア歌人同盟から脱退し、1931年、橋本徳壽に入門、「青垣」会員となる。
 プロレタリアの叫び的な自由律短歌から、生活からの写実を旨とした短歌に移った。写生・写実を絶対としない今の短歌の風からは、古風に読める。
 それとこの全歌集が、1ページ20首組みと混んでおり、また歌数も981首と多い事から、かなり読みにくかった。読書の前途の困難を思わせる。
 なおこの当時、作歌意欲旺盛で、1946年にこの「寒雉集」を含め2歌集、1947年に2歌集、1948年に2歌集、1949年に2歌集と、続々上梓している。

引用
 「寒雉集」より、7首を引く。
この夏にひとたび刈りし草(かや)の山蕨と笹とやうやく秀(た)けぬ
ふかぶかとしたるくもりは湖の上に垂(た)りつつ動くともなし
みすずかる信濃の山に汝(な)はおきて任(まけ)のまにまに遠く来にけり
磯の畑の麦を播きをへしくつろぎに和倉のみ湯に姉はゆくとふ
たたなはる砺波の山の上にしてひとひらの雲と昼月とあり
黄なる光(ひ)は渚の上に照りながら浜斑猫のかぎりなくをり
炎天の深き埃(ほこり)を横ぎるにこのかなへびはためらひなしも
0-02
写真ACより、「ウィンタースポーツ」のイラスト1枚。



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