風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

全詩集

 最近に入手した4冊を紹介する。
 同(3)は、昨年12月9日の記事にアップした。

1・大杉スミ子全詩集
 出版社の紫陽社より、「大杉スミ子全詩集」が送られて来た。県内在住の詩人自身の贈呈だろう。
 これまでの5詩集すべてを収める。2019年10月25日・付け・刊。309ページ。

2・歌集・甘藍の扉
 出版社の柊書房より、大野英子・歌集「甘藍の扉(かんらんのと)」を送られた。大野英子さんは「コスモス」の歌人で、僕は「コスモス」在籍中にもあまり関わりが無かったので、柊書房のご配慮だろう。
3・歌壇・10月号
 本阿弥書店より、綜合歌誌「歌壇」2019年10月号が届く。僕の予約購読している、月刊誌である。
4・小坂井大輔 平和園に帰ろうよ
 書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズ48、小坂井大輔の「平和園に帰ろうよ」Kindle Unlimited版を、Amazonよりタブレットにダウンロードした。
 平和園は、名古屋市にある中華料理屋さんで、短歌の聖地となっている。事情は歌人のブログ記事などに、よく出て来る。

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 今月18日の記事、「第39回会員の詩書を祝う会」のおり、当人より「稲木信夫詩集」を頂いた。
 土曜美術社出版販売の新・日本現代詩文庫143。
 3冊の詩集を収め、今のところの全詩集と伺った。
 写真は照りを抑えるため、ビニールカバーを外してある。

1月号3月号
4月号
 プロ・マンガ家で、ブログ「あんこと麦と」他を運営の暁龍さんが、ブログより読める「PECO」での週1連載の他、月刊誌「別冊家庭サスペンス」にもマンガを掲載中である。
 4月号が僕のメモにあったので、Amazonで検索すると、確かにある。しかし1冊670円で、買い合わせ商品になっている。そこで暁さんに問い合わせた所、1月号、3月号にも作品掲載との事。
 そこで3冊、2,010円で規制をクリアし注文、翌日24日に届いた。順に1月号「炎上」32ページ、3月号「お前が言うな」34ページ、4月号「街角」24ページを載せている。

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 同じ24日に、所属する結社の歌誌「覇王樹」2019年3月号が届いた。第99巻第3号。
 「紅玉集」の僕の6首(出詠8首より選)は特選だった。
 僕の6首・他は、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」の、
2月25日付け記事より、少しずつ順次アップしてゆくので、横書きながら是非ご覧ください。



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 10月14日(第2日曜日)、午後2時より、第13回「苜蓿忌(もくしゅくき)」が催された。
 昨年の
第12回「同」は、10月9日に催された。
 苜蓿忌は、郷土の故・詩人・広部英一さん(思潮社より、全詩集あり)を偲ぶ忌祭である。
 上の写真は、旧・清水町のきららパークで、詩碑前の碑前祭である。
 参集者は、碑前祭のみで帰った方を含め、約40名だった。
 実行委員のMさん、次いでKさん(詩誌「木立ち」の編集長を継いだ)の挨拶、K・Tさんによる広部さんの詩の朗読、献花、献本(詩誌「木立ち」関係)を以って碑前祭を了えた。

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 次いで隣接する「きらら館」の1室に移り、偲ぶ会(茶話会)が持たれた。
 Mさんの司会のもと、Kさんの挨拶、県ふるさと文学館館長の挨拶があった。Mさんの指名で、6名が広部さんの思い出を語った。
 いったん休憩に入り、広部さんの実弟によるハープ演奏が1曲(時間が押していたため)弾かれた。
 その後、4名の語りがあり、Mさんの「他に話したい人は?」に僕が手を挙げた。旧ブログ「サスケの本棚」にて、「広部英一全詩集」の各詩集、未収録詩編は何回かに分けて、拙い感想をアップした事を述べ、皆さんも感想を文章化する事を勧めた。
 これでもって、偲ぶ語りを了えた。故・詩人の夫人より謝辞があり、全体集合写真を撮って、偲ぶ会は4時半にお開きとなった。


 思潮社「吉本隆明全詩集」(2003年2刷)より、「第Ⅳ部 初期詩篇」の「日時計篇 Ⅰ (1950)」の4回目の紹介をする。このブログ上で、11回目の紹介である。
 
同・(3)は、先の4月1日の記事にアップした。
概要
 今回は、1043ページ「<午後>」より、1072ページ「<わたしたちが葬ふときの歌>」に至る、24編を読み了えた。
 「日時計篇 Ⅰ」は、22編を残す。解題に拠れば、「日時計篇 Ⅰ (1950)」は、1950年8月頃から、1950年12月22日まで、148編が手製原稿に書かれた。「日時計篇 Ⅱ (1951)」が、1月3日より始まっており、年末・年始の休みが入る事がおかしい。
感想
 1950年といえば、僕の生まれた年である。吉本隆明は1924年生まれ、26歳頃の作品としても、昔の作である。それで古いか、新しいかは、別である。
 「<鎮魂歌>Ⅱ」では、末連2行「愛する者はすべて眠つてしまひ 憎しみはいつまでも覚醒してゐる/わたしはただその覚醒に形態を与へようと願ふのみだ」と、憎悪の哲学を閃かせている。
 旧かな遣いは、1種の異化で、詩編はフィクションになる。新かな遣いに直すと、然程でもない詩行もある。
 吉本隆明の思想も、社会主義、実存主義、構造主義と、流行を追うように移り、晩年は宗教論に至ってしまった。彼には必然性があったのだろうが、読者は納得していないのではないか。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。




 思潮社「吉本隆明全詩集」(2003年2刷)より、「第Ⅳ部 初期詩篇」の「日時計篇 Ⅰ (1950)」の3回目の紹介をする。このブログ上で、10回目の紹介である。
 
同・(2)は、先の2月26日の記事にアップした。
概要
 今回は、1004ページ「<緑色のある暮景>」より、1042ページ「<雲が眠入る間の歌>」に至る、35編を読み了えた。
 「日時計篇 Ⅰ」には、計算上、あと46編が残っている。
感想
 幾つかの散りばめられた箴言風の言葉に気づきながら、彼のその時代の詩に刺される事はない。
 彼は第1詩集「固有時との対話」(1952年)に至っても、旧かな遣いを守っている。戦前への懐旧だろうか。レトリックとして、古風な文体をあえて用いたのだろうか。かな遣いにおいて、かれは守旧派だった。
 彼の思想によって、社会的、政治的には、何も変わらなかったように思える。「言語にとって美とはなにか」において、新しい文学論が開かれただけである。
 「定本詩集 Ⅳ (1953~1957)」中の「僕が罪を忘れないうちに」で「それから 先が罪だ/…/ぼくは ぼくの冷酷なこころに/論理をあたえた …/」のように、彼は冷酷な心を持っており、信奉者に幾人かの自殺者を出した。
 彼が「吉本隆明はオウム真理教擁護者だ」とのデマによって沈んだ時、デマだけではなく、彼への不満が鬱積していた所為もあるだろう。
 この後の詩編に、心打たれる作品もあるかと、僕は読み続けて行く。
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写真ACより、「ゲームキャラクター」のイラスト1枚。


 思潮社「吉本隆明全詩集」(2003年・2刷)より、「第Ⅳ部 初期詩篇」の「日時計篇 Ⅰ (1950)」の2回目の紹介をする。このブログ上で、9回目の紹介である。
 
同・(1)は、今月18日の記事にアップした。
概要
 「日時計篇 Ⅰ (1950)」148編の内、今回は「<光のうちとそとの歌>」(958ページ)より「<鳥獣の歌>」(1004ページ)に至る、35編を読み了える。
感想
 「<並んでゆく蹄の音のやうに>」では、X軸、Y軸、Z軸という、これまで詩人に考えられなかった、数学の言葉と表現を得ている。
 彼は熊本県を父祖の地とする(母親が妊娠中に、一家は没落して東京へ移住した)、故郷喪失者である。郷愁はなく、むしろ嫌っている。その事が、近親憎悪(家族は最大10人だったようだ)に始まる、憎悪の哲学の始まりと思われる。
 「<抽象せられた史劇の序歌>」で、「人間をやめるために抽象してきたのだ 風景を かなしみを 思考を…」とあるけれども、科学の抽象化に苦しんだに過ぎない、と思う。科学的なまでの論理性は、彼の感性の論理化の強みとなるけれども。
 「<鳥獣の歌>」の末尾では、「わたしは鳥獣のやうに終には寒駅のY字形の鉄骨や 陽の影の下で生きて無心でありたかつた」とある。「無心」とは言わないけれど、ネットと読書に明け暮れる、僕の今の安穏な生活心境を、彼が再び乱す事は無いだろう。

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写真ACより、「ゲームキャラクター」のイラスト1枚。



 思潮社「吉本隆明全詩集」(2003年・2刷)より、「第Ⅳ部 初期詩編」の 「Ⅻ 日時計篇 Ⅰ(1950)」の1回目の紹介をする。このブログ上で8回目の紹介である。
 先行する
同・「Ⅺ 残照篇」は、先の1月18日の記事にアップした。
概要
 「日時計篇 Ⅰ」は、手製原稿数100枚に、1950年8月頃から年末にかけて書かれた148編の詩である。
 その内今回は、初めの「日時計」(916ページ)から「少女にまつはること」(958ページ)に至る、32編を読み了える。
感想
 「<暗い時圏>」の冒頭で「一九四九年四月からわたしはコンクリートの壁にはりめぐらされた部屋の中で 一日の明るい時間を過さねばならなかつた」とあるのは、年譜に拠ると、東京工大の「特別研究生」(現在の大学院生に該当)として学び始めたからである。ここでも異性関係の不幸と、強い孤独「喜怒哀楽のやうな 言はばにんげんの一次感覚ともいふべきものの喪失のうへに成立つ」、神経症的でさえある孤独を感じている。
 「詩への贈答」では、「この苦難にみちた時代にあつて/巧みな技倆と殉教者のやうにしかめた貌を視せる/あの姿勢(ポオズ)はまことの詩人のものとは思はれない」と、1部の詩人を批判している。
 「秋の予感」の末尾「それがもの言ふんだ もの言ふんだ!」の放擲的な書きぶりは、所々に現われ、中原中也の影響だろうか。
 「<海べの街の記憶>」でも投げやりな口調の後に、「ぼくはお礼に洗濯石鹸やハーモニカをとりだして/ついでに誓つてみせたものだ/きつと偉いひとになりますといふ具合に」と、おかみさんたちに誓っている。そして彼は後に、1部の人に仰がれて、全集類が何度か出版される有力者となった。彼の詩作品しか、僕は有力視しないけれども。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。


 



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