風の庫

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 河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・個人全訳)第2巻(1956年・刊)より、短編小説「九通の手紙に盛られた小説」を読み了える。
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短編小説「プロハルチン氏」は、今月4日の記事にアップした。
 7通の往復書簡と、それぞれの妻の手紙、2通より成る。
 書簡体小説らしく、いきなりトラブルめいた書簡で始まり、2人のいかさまカルタ師が1人の田舎領主の青年から、お金を巻き上げていたが、1人が金を独占して姿をくらましている事がわかる。
 しかし、2人に暴露された妻たちの手紙に拠って、2人の妻とも青年と密通していた事が明らかになる。このどんでん返しは、さほど面白くない。
 兄への手紙で、ドストエフスキーがお金が無くてネクラーソフの所へ寄った時、この小説のアイデアが浮かび、さっそく1晩で書き上げたと、伝えている。ドストエフスキーには自負があったようだが、当時の評論家・ベリンスキーも否定的だった。解説には他に、ゴーゴリ、ツルゲーネフの名前が出て来て、19世紀ロシア文学の隆盛を知る。
 短編小説は読みやすく、長大な小説で知られるドストエフスキーに、これら短編がある事は好ましい。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



 沖積舎「梅崎春生全集」第2巻(1984年・刊)より、8回目の紹介をする。
 
同・(7)は、今年5月23日の記事にアップした。
 今回に僕が読んだのは、「猫男」、「傾斜」、「一時期」の、3短篇小説である。
 いずれも1948年(昭和23年、敗戦後3年目)の初出である。戦後だが、僕の誕生の前だと思うと、不思議な気がする。
 「猫男」は、口からは出まかせの嘘も言い、偽りの行ないもして、社会の底辺を渡る中年男を描く。どの社会にも、一人はいるタイプの人物で、その卑怯さを作者は注視している。
 「傾斜」は、クリスチャンで闇屋の鬼頭鳥子、娘の花子、太郎の家に間借りする事になった「彼」が、気づくと部屋は馬小屋と隣り合っていた、という話だ。鳥子の矛盾(?)、花子の顔の火傷、子供ながら博打をする太郎、「彼」の戦時体験など、混乱の残る世界を描いている。
 「一時期」は、戦中の役所で、若手ばかりの仲間が、日中から隠れて博打をしたり、飲み屋に行列したりする話である。設定は梅崎春生と合うので、幾らかは事実だったかも知れない。彼らには徴兵、更には敗戦まで、予感されていたのかも知れない。
 第2巻で残るのは、あと4短編小説である。読み了えたなら、ここで紹介したい。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


 河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・個人全訳)第2巻(1956年11月・刊)より、初めの短編小説「プロハルチン氏」を読み了える。
 先の6月24日の記事で紹介した、同・第1巻の
「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」に継ぐ。
 貧しい下級官吏・プロハルチンが、「役所が閉鎖される」という、冗談を信じて悩み、床に就く。同じ下宿の下宿人やかみさんに騒ぎ立てられたあげく、亡くなってしまう。
 下宿人たちが、彼のへそくりを引きずり出すと、2,497ルーブリ50コペイカあった、という落ちが付く。下宿代は月5ルーブリとされているから、その多額さが知れる。
 小心な官吏が、真面目に節約し、酒も博打も関わらないで中年まで生きて来て、たちの悪い冗談に惑わされて、狂気の果てに亡くなってしまう、喜劇立てじみた悲劇である。
 ドストエフスキーが、「分身」を発表した後、幾多の中短編を書いた、その第1作である。ドストエフスキーはその手紙で、「プロハルチン氏は大変評判がいい」と報じている(巻末・解説より)。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


 河出書房新社「ドストエーフスキイ全集」第1巻(1958年・2刷、米川正夫・訳)より、第2作「分身」を読み了える。
 同・第1作
「貧しき人々」は、先の4月30日の記事にアップした。
 主人公・ゴリャードキン(下級官吏、後に旧ゴリャードキンとも呼ばれる)が、何か大金を得て、心因性の診察を受ける身でありながら、入手した以上の額の買い物の約束をする。主人公はまた、イヴァーノヴィッチ家の食事会で入室を拒まれ、失態を演じてしまう。
 職場では、同姓同名同郷を名乗る男(新ゴリャードキンとも呼ばれる)が雇われ、ずるい方法で主人公の功績を奪い、上役にも取り入ってお気に入りとなり、主人公を愚弄する。主人公は悩みの果て、精神科病院へ送られる。
 解説等では、新ゴリャードキンを、主人公の幻覚だとするが、僕はフィクションながら有り得る話だと思う。貧しい下級官吏の世界では、悪辣な人物が居ても、おかしくはない。
 主人公の大金の入手と、上流家庭への進出の意向は、あるいは「貧しき人々」で成功した、ドストエフスキー自身から得た着想かも知れない。
 中編小説かと思っていたが、かなりな長編小説だった。
 「貧しき人々」と「分身」は、昔に読んだ記憶があるが、次の「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」は初めてで、難渋するか、興味を持って読めるか、今はわからない。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。




 沖積舎「梅崎春生全集」(全8巻)の第2巻より、7回目の紹介をする。
 
同・(6)は、今年3月21日の記事にアップした。
 今回に僕が読んだのは、「青春」「虚像」「ある男の一日」の3短編小説である。
 「青春」は、旧制高校だろうか、仲間内で卒業に失敗した二人のみ、「ぼく」と「城田」が、飲み屋で落ち合ってヤケ酒を飲み、阿蘇山に行こうと(熊本高校生だろうか)、タクシーに乗る。「城田」は途中で降りてしまい、「ぼく」も先の途中で降り、うどん屋でさらにお酒を飲む。店主の女と1夜を共にして、翌朝独りで出掛けようとする所で終わる。のどかな時代の、暗い話だ。
 「虚像」は、台湾に兵だった「高垣」に内地から、恋文を寄越した「幾子」を、戦後の電車内で見掛けるが、注視も声掛けもせず、心理的にあれこれ思うのみだったストーリーである。戦争の心の傷が、薄らぐ時期だっただろうか。
 「ある男の一日」は、裁判所に証人として出廷した男が、「良子」という娘を喫茶店に1時間半も待たせたあげく、映画を観るのだが途中で映画館を出て、別れてしまう話だ。戦争のエピソードは無いが、これも戦争の傷跡がさせるストーリーだろうか。
 いずれも1948年に発表された短編である。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。



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