風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

全集

 沖積舎「梅崎春生全集」第3巻より、5回めの紹介をする。
 同(4)は、先の6月7日の記事にアップした。リンクより、過去記事へ遡れる。

 今回は、「拐帯者」、「春日尾行」、「雀荘」、「クマゼミとタマゴ」、「大王猫の病気」、「ボロ家の春秋」、6編を読んだ。
「拐帯者」
 同(3)の記事にアップした、「拾う」と似たテーマで、突然、大金を手にした男(この場合は会社のお金を持ち逃げしようとしている)が、1晩の遊蕩とアバンチュールに、満足しない。このテーマに、梅崎春生がなぜ拘ったか、わからない。
「春日尾行」

 ミステリーめいた進行で、最後に大団円で決着が付く。推理小説の流行があったのだろうか。
「雀荘」
 ジャン荘ではなく、「スズメ荘」の名のアパート6室(仕切りが3分の1しかない)の住人が、戦後のあぶれ者ばかりで、駆け引きをしながら生活している。
「クマゼミとタマゴ」
 全集で実質2ページの掌編で、同(2)で紹介した「ヒョウタン」と同じく、少年時の回想風の作品である。
「大王猫の病気」
 行き詰まりを宮沢賢治の口語体に救われた(椎名麟三「解説」より)という梅崎春生が、童話を試みた1編である。部下の猫たちに、戦時下の上下関係も見える。童話としては優れていない。
「ボロ家の春秋」
 直木賞を受賞した、名作とされる。
 権利金を騙し取られた「僕」と「野呂」の下宿人が、夜逃げした所有者より家を差し押さえた陳さんに家賃を払う羽目になる。2人は陳さんより、家を買い取り、お互いが家を単独で所有しようと画策する。

 これら近親憎悪は、従軍して生き残った者の、お互いの後ろめたさから来ているようだ。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


 沖積舎「梅崎春生全集」第3巻(1984年・刊)より、4回めの紹介をする。
 同(3)は、先の5月1日の記事にアップした。
概要
 今回は、「春の月」、「A君の手紙」、「カロ三代」、「服」の、4編を読み了えた。
 「春の月」、「A君の手紙」は中編、「カロ三代」は短編、「服」は掌編と呼べるだろう。
感想
「春の月」

 出会った人物ごとに、主人公が次々に移る。下宿の追い立てをくらっている男、倒産する社長、流しのバイオリン弾き、流行らない薬局の店主、等、冴えない男ばかりを描いている。主人公の移るのは新手法かも知れないが、です・ます調なのが惜しい。
「A君の手紙」
 老人の2通の手紙(書簡体)より成る。小説家に話題提供の代わりに、お金の無心と、返済延期の申し出である。登場人物が貧しく、無気力な、世の1画を描く。
「カロ三代」

 三代めの飼い猫・カロを敵視して、竹の蠅叩きで追い回す話である。しまいに隣家の天井裏で死んでいる所を発見される。夫人から「あんたがあまりいじめるから、カロは自殺したのよ」と責められる。梅崎春生は、猫的性格から、猫を嫌ったのだろうか。
「服」
 自分によく似る(服装、境遇)人物と、近くに居ねばならない苦痛、というこれまで繰り返されたテーマの復習というか、まとめのような掌編で、全集で実質2ページである。よく似た境遇の大衆の憎しみを、作家は感受しているようだ。
 4編とも、当時の市井の1画を、捉えたようだ。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 沖積舎「梅崎春生全集」第3巻(1984年・刊)より、3回目の紹介をする。
 同(2)は、昨年12月30日の記事にアップした。
 短編小説3編を読むのに、なぜこんなに月日が掛かるかというと、この本を応接間に置いて、音楽を聞いたりする短い間しか、読まないからである。
概要
 今回は、「拾う」、「山名の場合」、「Sの背中」の3短編を読んだ。
 「山名の場合」、「Sの背中」は、です・ます調で書かれ、やや長く、中編小説と呼んでも良いくらいである。
感想

「拾う」
 1951年・初出で、千円札10枚を拾った穴山三郎(30歳、独身)が、会社を休み1日で遣い果たそうとする。食堂でボルシチを食べ、映画館で知り合った女性と鰻屋で飲み食いし、飲み屋で飲むが、女性の誘いに乗らず、、逃げ出してしまう。そして残った多くの紙幣を、拾った凹みに戻してしまう。
「山名の場合」
 夜学教師の山名申吉が、同僚の五味司郎太をライバル心から、憎み始め、様々な策を弄するがうまく行かない。しかし憎悪が山名の生き甲斐となる。
「Sの背中」
 蟹江四郎は、飲み屋の久美子を好きになって、結婚するが、1年半で久美子が亡くなってしまう。彼女の日記に、Sの背中の痣が好きだとあり、かつて彼女に好意を寄せていた猿沢佐介の事かと勘ぐり、蟹江は猿沢の背中を見ようと画策するが、うまく行かない。


 豊かでもない人々の、生き甲斐のない生活が、あるいは強い拘りを持つ事で情熱を燃やす様を描く。戦後6、7年が経ち、虚脱のような毎日で、生き甲斐を求める生活が描かれるようだ。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


 

 沖積舎「梅崎春生全集」第3巻(1984年・刊)より、2回目の紹介をする。
 
同(1)は、今年4月13日に記事アップした。
概要
 今回は、「破片」(「三角帽子」「鏡」の2編より成る)、「莫邪」(「是好日」「黒い紳士」「溶ける男」3編の連作短編より成る)、「ヒョウタン」、「指」の4編を読んだ。
感想
「破片」
 「三角帽子」は、学徒兵より復学したが、大学へ行かず、飴売りをして29歳になった「三郎」が古道具屋の三角帽子に執着しながら、復学する貯金のために買えないでいる、という話である。
 「鏡」は、「次郎」の借家と背中合わせの借家に移って来た「仁木」という男が、次郎に大工道具をしばしば借りに来る。気がつくと次郎の家(2間)と同じ調度の有り様となり、鏡を備えて追い抜く、という奇妙な話である。
「莫邪の一日」
 失業中の「莫邪」が兄に代わって婚礼祝賀会、告別式2つに出る事で、日当を貰う話である。2つの席に「黒い紳士」が現われ、共に式を滅茶苦茶にしてしまう。黒い紳士はしまいに、草原で目玉だけ残して溶けてしまう。
「ヒョウタン」
 幼い次郎が苗売りの小父さんからヒョウタンの苗を買うが、生ったのはヘチマの実だったけれども、次郎は小父さんが間違えたので騙したとは思わない、という短い童話風の掌編である。
「指」
 奇妙な縁で知り合った復員兵が、5年後に再会し、1人は闇屋崩れよりサンドイッチマンに成っていて、帰郷するよ、と飲み屋で語ると言うストーリーである。

 戦後に社会が安定して来ながら、それに乗れない者の侘びしさを描くようだ。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。





 河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・全訳)第2巻(1956年・刊)より、同巻・最後の作品、短編小説「鰐」を読み了える。
 今月8日の記事、
同・中編「いやな話」に次ぐ。
概要
 初出は、ドストエフスキーの主宰していた雑誌、「エポーハ」の1865年2月号(終刊号)だった。
 この全集では、収録ページ数の関係か、掲載順と発表順が違っている。
 1865年は、流刑・兵役よりドストエフスキーがペテルブルクへ1858年に戻った後であり、「死の家の記録」、「地下室の手記」の発表後である。また翌年には「罪と罰」を発表している。
感想
 「私」の友人、イヴァン・マトヴェーイチが見世物の鰐に呑み込まれて、腹中で元気に生き続け、見物人の多さに自惚れる、というストーリーである。「新しい経済関係の独創的な新理論を発明して」「人類の運命を逆転させ得る人間だ」という具合に。
 作者は「ただ読者を笑わすための純文学的な戯作」と述べたようだ。
 あまりにばかばかしいストーリーなので、何か深い寓意が込められているかと、僕は勘繰りたくなる。実際、憶測が世間一般に広がり、本人は後に唖然としたという。
 軽い冗談にも意味はある。この作品は、未完である。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。



 河出書房「ドストエーフスキイ全集」第2巻(1956年・刊)より、中編小説「初恋」を読み了える。
 先の5月21日の記事、
同・「白夜」に次ぐ。
概要
 創作されたのは、ペトラシェフスキー事件で監禁中の1849年で、1857年の「祖国雑誌」に匿名で掲載された。
結婚の挙式費用に窮したためとされる。
感想
 旧題は「小さい英雄」で、主人公は11歳の少年である。上流社会に紛れ込み(親、兄弟への言及はない)、暴れ馬を乗りこなして金髪美人の貴婦人と親しくなり、ひそかに慕うM夫人の窮地を救う。
 しかし題名は「小さい英雄」のままが良かった。
 M夫人への思慕も、初恋というより、15歳で母を(17歳で父を)亡くしたドストエフスキーの、幼年時代の豊かな生活と母への親しみを、失くしたことへの追慕であろう。
 ドストエフスキーの小説には、どうしてこう激情型の人物が現われるのだろう。
 父親が課したという、厳しい躾(のちには規律)への、反動だろうか。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。


 河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・全訳)第2巻(1956年・刊)より、短編小説「クリスマスと結婚式」を読み了える。
 今月6日の記事、
同・「正直な泥棒」に次ぐ。
概要
 初出は「正直な泥棒」と同じく、1848年の「祖国雑誌」である。副題は「無名氏の手記」。
 「私」の手記という形である。5年前の大晦日の、子供の舞踏会へ場違いながら呼ばれるが、知名の実業家の手蔓たちに疲れ、小さい客間へ引っ込む。実業家の幼い娘と、恵まれない少年が睦んでいる所へ、主賓のユリアン・マスターコヴィッチが現われ、娘の持参金・30万ルーブリが結婚できる5年後には50万ルーブリになるだろうと算段して、「私」に気づかず、娘にお愛想を使う。主人夫妻も、その結婚に賛成の様である。
 5年後「私」は、16歳になったその娘と、ユリアンの結婚式の場を見掛けるが、娘の眼は泣き腫らしている。
感想
 実業家が名士と手蔓がほしくて娘を結婚させ、名士は持参金ほしさに女性の気持ちを汲まずに結婚する。
 妻に嫌われて、大金があっても、豊かに暮らせるものだろうか。
 また本当に強欲な者は、弱者に愛想もせず、自分が正しいと信じて強奪する、というのが僕の感想である。
 ドストエフスキーが本当に批判しているにしては、描写が客観的で、「私」に「それにしても胸算用が鮮やかに行ったもんだな!」との感慨を持たせた。発表時の検閲を恐れたのだろうか。

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写真ACより、「ゲームキャラクター」のイラスト1枚。



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