風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 お報らせです。2020年9月6日で以って、Kindle本「少年詩集 鳶の歌」を自力発行致しました。原稿は自分で作成し、表紙はデザイナーさんにお願いしました。上梓は自力で行いました。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリで、「少年詩集 鳶の歌」と検索すれば、すぐに出て来ます。右サイドバーのバナーよりも至れます。僕のペンネームは柴田哲夫です。価格は500円ですが、Kindle Unlimited版を追加金無料で購入できます。多くの方のご購読を願っております。

公民館

 7月14日(第2火曜日)の午前10時より、公民館の1室で、和田たんぽぽ読書会の7月例会が持たれた。
 6月例会は、先の6月17日の記事にアップした。



島本理生 ファーストラブ
 7月読書会の課題本は、島本理生の長編小説「ファーストラヴ」だった。なおこの作品は、第159回直木賞を受賞している。自傷のため買った包丁が、誤まって父に刺さったが、女子大生はその場を放棄してしまう事件を扱う。
 連絡先と体温が37・5度以下である事の記入、全員マスク、窓を開け放ち、互いに距離を置いての読書会だった。
 島本理生の生活、被批評、などを図書で調べた人、飛ばし読みしたけれど内容が重くて深いと述べる人がいた。ある人は、主人公の母親が考えられない、言いたいことはわかるけれども、と語った。
 僕は摘まみ読みで通読しなかった。ストーリーが読めてしまうこと、裁判での量刑が不自然なこと(過失致死と保護者遺棄(?)で懲役8年は重いと思われた)、裁判後には真実の追及に関わった人々が幸せになってしまうことなどに、違和感を感じた。
 ストーリーに自分の幼年時代を重ねて感情移入する人、男性二人に仏教から来た名を付けていることに作者の思いを推測する人もいた。
 作品は、若者から先輩へのプレゼントだ、との発言がまとめになった。
 コロナ禍のため部屋の使用が1時間に制限されていた。ぼくが先日、県立図書館のかたらい文庫で借りた、三浦しをん「愛なき世界」を7人全員に配って、11時過ぎに散会した。



 2月14日午前10時より、和田公民館にて、和田たんぽぽ読書会が持たれた。
 前回の同(3)新年会をかねて、は先の1月15日の記事にアップした。



奥のほそ道 リチャード・フラナガン
 今回の課題図書は、リチャード・フラナガン「奥のほそ道」(渡辺佐智江・訳、2018年・白水社・刊)。454ページ。

 僕はこの本を、ほとんど読まなかった。当事者ではない著者であり、僕は敗戦者の子として、おびやかしは感ずるけれども、これからの反戦に役立つか疑義があった。

 戦争は苛酷であり、戦後も幸せになれない(ベトナムより帰還した米兵など)。それなのに内戦という戦争は、今も熄まない。
 著者と訳者の間合いが良い(翻訳が優れている)との意見も出た。
 イギリスの文学賞、ブッカー賞を受賞している。

 僕は自作のパンフ「決定版Ⅸ 方言集」を配り、属する同人誌誌「青魚」の最新No.91の1冊を回覧に差し出した。
 次回の課題図書、藤田宜永「愛の領分」を配り、あと始末をして、12時近くに散会した。


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 昨日(月曜日、体育の日)の午前11時半~午後2時半、円山公民館で、「第5回ふるさと学級」があり、僕は初参加した。
 計6回ある学級は、後半生を円山地区で送った詩人・則武三雄(のりたけ・かずお、1909年~1990年)を顕彰するものである。
 前半1時間は、詩人・川上明日夫さんによる講演「則武三雄を語り継ぐ」。
 写真は、講演の直前である。写真に入りきらなかった受講者を含めて、40人を越える参加だった。
 川上さんの講演は、敗戦前に朝鮮にいた則武さんが、三好達治を招待して2ヶ月の旅行をし、戦後は三国町に寓居した三好達治が則武さんを呼び寄せて3年を暮らしながら、再上京した達治はその後、則武さんに一切触れなかった因縁を語った。
 師・達治の没後、呪縛を解かれた則武さんが、優れた詩業を成した、とも述べた。
 12時半より、弁当(代は受講者が前以って支払った)のあと、休憩時間に則武さんが作詞した「大東中学校校歌」を中学コーラス部が歌唱(アンコール付き)した。
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 午後1時半より1時間、山岳エッセイスト・詩誌「木立ち」同人の増永迪男さんを担当者として、「語らい 則武学校」。写真は、その直前。
 則武さんは、出版に詳しく紙に愛着があり、詩人、近在の出版社・印刷社が、詩集の出版法を知らない戦後福井で、発行所「北荘文庫」を開き、若い詩人の詩集等を、次々に出版した。
 「則武学校」と呼ばれる程、詩人たちに慕われ、同人詩誌「木立ち」(現・125号)が出発し、中央で活躍する荒川洋治さんらも育った。
 仕舞いに僕を含め、3名が発言した。
 1969年3月(1月に東大安田講堂の落城事件があった年)に、高校(文芸部)を卒業する僕とM・晴美さん、それにI・秀子さんらが料理屋で、則武さんらと会食した時、学生運動に共鳴も反発もせず、「彼らの行く末を見てみたい」と、増永さんの言葉通り「政治的には傍観者」だった。
 増永さんが「生活的無能力者」と呼んだのは、則武さんが県立図書館の館長を勤め上げ、定年後も某大学の図書館館長を勤めた事を知る僕には、近しくなかったので信じがたいのだが。

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