思潮社「関根弘詩集」(1968年・刊)の詩集「絵の宿題」より、「カメラ・アイ」の章を読み了える。
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同・「絵の宿題」の章は、今月7日の記事にアップした。
 これで4章に渉る詩集「絵の宿題」を読み了えた事になる。
概要
 「カメラ・アイ」の章は、9編の散文詩を含む12編より成る。
 「カメラ・アイ」と題されながら、カメラ・アイを感じる作品はなかった。モノクロ写真と、カラー・デジタル写真の、感覚の差だろうか。
感想
 散文詩「花火」は、幼時の花火(両国の川開き)の、年に1度の楽しい思い出を描いて哀切である。しかも「思い出はすでに取片付けられているのだ」と、過去に執着せず、未来を視る決意を見せる。彼は個人的な事を描いた作品で、意外と優れているようだ。社会と大衆を描く詩人、とされながら。
 散文詩「焼跡」では、敗戦後の再建を夢見ながら、焼跡の残る現実を描いて、庶民の日のあたらない生活を示す。
 自由詩「挽歌」では、「名前を盗まれた僕を哀れむのは/僕です。/貧しい男と女の骨を抱いて/どこにも行くまい。」と名文句で見得を切っている。全体を読んでほしい1編である。
 自由詩「兵隊」では、国の再保守化をうたう(彼はレッドパージに遭っている)のだろうか。「この生きかえった兵隊は/やはり兵隊だった//しばらくおとなしかったが/やがて命令をとり戻した。…」と、日本の再軍備化を批判するようだ。
 しかし絵本風な語りなどで、リアリズムとアヴァンギャルドの統一、と称してほしくない。
 事情はあっただろうが、もっと編数を少なくして、大衆に読みやすい詩集にするべきではなかったか。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。