思潮社の現代詩文庫181「続続・辻征夫詩集」より、辻征夫論である作品論・詩人論と、辻征夫・自筆の年譜(補遺・八木幹夫)を読む。


 没後のシリーズ最後の作品論・詩人論として、清岡卓行(詩人)「詩的自画像の楽しさ」、高橋源一郎(作家)「萌えいづる言葉に対峙して」、岡井隆(歌人)「巧まざる技巧の冴え」、藤井貞和(詩人)「自由な定型と定型の自由」を載せている。僕が名を知る文人であり、生前のように揶揄することもない。
 現代詩と定型の問題について、僕はアマチュア文学として短歌(現在は口語・新かな)と、ソネットの詩(俳句、短歌に次ぐ第3の大衆定型詩として)を書いており、矛盾は感じていない。僕にソネットを止めるよう勧める先輩詩人がいるけれども、ソネットを詩のライフワークとする、と公言した者に余計なお世話である。
 自筆年譜は、詩に個人的背景を背負った作品があり、作品の感受のために重要である。

 僕が辻征夫の作品と出会ったのは、昨年8月18日の記事の通り、振興商品券で現代詩文庫「辻征夫詩集」を含む3冊をまとめ買いしたからである。

 現代詩文庫は他にもあったが、僕にわからないようだった。辻征夫の名前は、その時まで知らなかった。数々の賞を受賞し、ある世代の詩人の仲間には、評価されたようだ。没後、人口に膾炙する詩人としては、残らないようだ。
 でも僕は、3冊の現代詩文庫を処分しないだろう。3冊で全詩と散文の1部を収めている。僕は没後の全集に弱いのだ。



友誼紅
 南越前町・花はす公園より、「友誼紅」の1枚。