風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

Kindle本の第1歌集「雉子の来る庭」をKDPしました。右サイドバーのアソシエイト・バナーよりか、AmazonのKindleストアで「柴田哲夫 雉子の来る庭」で検索して、購入画面へ行けます。Kindle価格:250円か、Kindle Unlimitedで、お買い求めくださるよう、お願いします。

初期詩篇

 思潮社「吉本隆明全詩集」(2003年2刷)より、「第Ⅳ部 初期詩篇」の「日時計篇 Ⅰ (1950)」の3回目の紹介をする。このブログ上で、10回目の紹介である。
 
同・(2)は、先の2月26日の記事にアップした。
概要
 今回は、1004ページ「<緑色のある暮景>」より、1042ページ「<雲が眠入る間の歌>」に至る、35編を読み了えた。
 「日時計篇 Ⅰ」には、計算上、あと46編が残っている。
感想
 幾つかの散りばめられた箴言風の言葉に気づきながら、彼のその時代の詩に刺される事はない。
 彼は第1詩集「固有時との対話」(1952年)に至っても、旧かな遣いを守っている。戦前への懐旧だろうか。レトリックとして、古風な文体をあえて用いたのだろうか。かな遣いにおいて、かれは守旧派だった。
 彼の思想によって、社会的、政治的には、何も変わらなかったように思える。「言語にとって美とはなにか」において、新しい文学論が開かれただけである。
 「定本詩集 Ⅳ (1953~1957)」中の「僕が罪を忘れないうちに」で「それから 先が罪だ/…/ぼくは ぼくの冷酷なこころに/論理をあたえた …/」のように、彼は冷酷な心を持っており、信奉者に幾人かの自殺者を出した。
 彼が「吉本隆明はオウム真理教擁護者だ」とのデマによって沈んだ時、デマだけではなく、彼への不満が鬱積していた所為もあるだろう。
 この後の詩編に、心打たれる作品もあるかと、僕は読み続けて行く。
0-11
写真ACより、「ゲームキャラクター」のイラスト1枚。


このエントリーをはてなブックマークに追加

 思潮社「吉本隆明全詩集」(2003年・2刷)より、「第Ⅳ部 初期詩篇」の「日時計篇 Ⅰ (1950)」の2回目の紹介をする。このブログ上で、9回目の紹介である。
 
同・(1)は、今月18日の記事にアップした。
概要
 「日時計篇 Ⅰ (1950)」148編の内、今回は「<光のうちとそとの歌>」(958ページ)より「<鳥獣の歌>」(1004ページ)に至る、35編を読み了える。
感想
 「<並んでゆく蹄の音のやうに>」では、X軸、Y軸、Z軸という、これまで詩人に考えられなかった、数学の言葉と表現を得ている。
 彼は熊本県を父祖の地とする(母親が妊娠中に、一家は没落して東京へ移住した)、故郷喪失者である。郷愁はなく、むしろ嫌っている。その事が、近親憎悪(家族は最大10人だったようだ)に始まる、憎悪の哲学の始まりと思われる。
 「<抽象せられた史劇の序歌>」で、「人間をやめるために抽象してきたのだ 風景を かなしみを 思考を…」とあるけれども、科学の抽象化に苦しんだに過ぎない、と思う。科学的なまでの論理性は、彼の感性の論理化の強みとなるけれども。
 「<鳥獣の歌>」の末尾では、「わたしは鳥獣のやうに終には寒駅のY字形の鉄骨や 陽の影の下で生きて無心でありたかつた」とある。「無心」とは言わないけれど、ネットと読書に明け暮れる、僕の今の安穏な生活心境を、彼が再び乱す事は無いだろう。

0-22
写真ACより、「ゲームキャラクター」のイラスト1枚。



このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ