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 昨日の記事「僕の未読全歌集」に挙げた内、最後の「葛原繁全歌集」(1994年、石川書房・刊)より、初めの歌集「蟬」を読み了える。
 葛原妙子や山崎放代を語るのは、まだ早いようだ。
概要
 1955年、白玉書房・刊。484首を収める。
 1945年夏(26歳)~1952年秋(33歳)までの作品。軍隊より復員して、電器設計に携わりつつ、宮柊二を中心とするガリ版誌・勉強会「一叢会」で研鑚する。
 27歳の時、父が死去、弟は病み、一家の責任を負う立場となる。
 労働争議に加わり、退職させられ、事務職となる。
感想
 戦後の窮乏の中で、その暗さを見せない。時代は新しく、彼も若かった故か。
 夫人・田鶴との馴れ初め、結婚が詠まれる。労働争議とその敗北も詠まれる(「崩壊の日々」の章)。
 しかし「後記」で著者は「僕は生きてゆく事の激しさ美しさを信じ疑ふ事を知らなかつた。」と述べる。戦後青春の典型だろう。
 葛原繁は結社誌「コスモス」の先達である。僕は24年間、「コスモス」に在籍したけれども、入会した1993年は、亡くなられた直後だったらしい。僕が読んだ話では、宮柊二・没後の「コスモス」を分裂させずにまとめた、力量を評価されていた。
引用

 以下に7首を引く。
大学は戦に黒く塗られきと我ら添ひゆくその黒き壁に
ちちのみを葬りまつると御棺(みひつぎ)に焔移さむ火を持たされぬ
かいかがみ寒さ堪へつつ設計を為して越えむか一、二、三月
嫁ぐ日の前の日までも蒲団縫ひ荷物ささやかに整へあげつ(妹嫁ぐ)
四階に事務をとるとき窓に見ゆ水の面(も)暗く澱める運河
カットの類襖の継ぎに妻は貼れど犬あり兎あり悲哀も住めり
始めての対面をせり小さき顔力(りき)みて泣く児(こ)秤の上に