風の庫

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原著

 角川ソフィア文庫「西東三鬼全句集」より、第1句集「旗」を読み了える。
西東三鬼全句集 (2)
 全句集は、2018年・3刷。入手のいきさつは、2018年5月25日の記事、2冊を入手、で述べたのでご覧ください。


 原著は、1940年、三省堂・刊。自序、209句を収める。
 西東三鬼(さいとう・さんき、1900年~1962年)は、33歳で晩く俳句を始め、「京大俳句」に加入。「天香」創刊。
 1940年、京大俳句弾圧事件で検挙され、執筆停止となる。戦後は俳句を復活させる。

 「旗」では、キリスト教への関心、戦火想望俳句→厭戦的俳句、が混じる。既に口語調なのも新しい。
 芸術的前衛が、政治的前衛に向かう、時代的切迫があったのだろう。

 以下に5句を引く。
不眠症魚は遠い海にゐる
僧を乗せしづかに黒い艦が出る
空港に憲兵あゆむ寒き別離
機関銃熱キ蛇腹ヲ震ハスル
青き湖畔捕虜凸凹と地に眠る



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 角川書店「増補 現代俳句系」第15巻(1981年・刊)より、16番めの句集、森澄雄「鯉素」を詠み了える。
 先行する阿部みどり女・句集「月下美人」は、今月3日の記事にアップした。



 原著は、1976年、永田書房・刊。381句、著者・あとがきを収める。
 森澄雄(もり・すみお、1919年~2010年)は、1940年の加藤楸邨「寒雷」創刊に参加、1970年に「杉」を創刊。飯田龍太と共に、伝統俳句の代表作家と呼ばれた。
 その後も句集を刊行し、1997年に恩賜賞・日本芸術院賞を受け、芸術院会員となる。

 「鯉素」は、漢詩に依り、「手紙」の意である。4年間の句は、旅に得た作品が多い。旦那俳人が、地方の旦那衆俳人を巡って指導するようで、嫌味である。地元で吟じられた句は、嬉しいようにも思うけれども。社会性俳句、前衛俳句に、背を向けた果てだろう。


 以下に5句を引く。
をさなくてめをとはよけれ二つ雛
青涼の葦と暮らして葦長者
甘橿の国見に雲雀羽ふるふ
吾亦紅すこしいこへば空の冷
青紫蘇を嗅いで力に峠越

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写真ACより、「アジアンフード&ドリンク」のイラスト1枚。


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 角川書店「増補 現代俳句大系」第15巻(1981年・刊)より、14番めの句集、鷲谷七菜子「花寂び」を読み了える。
 先行する高木晴子・句集「春居」は、今月17日の記事にアップした。



 原著は、1977年、牧羊社・刊。1969年~1976年の394句、著者・あとがきを収める。
 鷲谷七菜子(わしたに・ななこ、1923年~2018年)は、1942年より水原秋桜子「馬酔木」に投句、1946年・山口草堂「南風」に入会した。1984年「南風」主宰、2004年・辞して名誉顧問となる。
 上方舞の楳茂都流3代家元・陸平と宝塚スター・吉野雪子の長女として生まれながら、生後間もなく祖父に引き取られ、人生・恋愛に挫折がありながら(巻末・対談より)、気品ある句を創ったとされる。
 2013年、全句集(角川書店・刊)あり。
 僕はこれまでよく分からなかった、1969年~1976年頃の、社会の心情的風潮に初めて接した気がした。以下の5句には引かなかったけれど、「沙羅の花雲霧は末の散りやすし」(1970年)、「雪の世に火を焚いてゐるうしろかげ」(1976年)等、まさに花寂びの句境と言える。


 以下に5句を引く。
髪の根を解くや夜の雪とめどなし(1970年)
かなかなや夕日を知らぬ谿の村(1971年)
紫雲英田のびつしり村に嫁来る日(1972年)
閉してなほ湖光の障子さくらどき(1973年)
ひかりみな湖にひそみて梅の青(1975年)

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写真ACより、「アジアンフード&ドリンク」のイラスト1枚。



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 角川書店「増補 現代俳句大系」第15巻(1981年・刊)より、9番めの句集、平畑静塔「壺国」を読み了える。
 先行する石川桂郎・句集「四温」は、昨年11月21日の記事にアップした。



 原著は、1976年、角川書店・刊。1970年~1974年の645句、著者・後記を収める。
 平畑静塔(ひらはた・せいとう、1905年~1997年)は、精神科医、1時カトリックに入信するが離れた。
 1933年、「京大俳句」創刊、1940年、「京大俳句事件」に遭う。1948年、山口誓子「天狼」創刊に参加。

 句集「四温」の記事にも書いたが、僕は1970年代(統一神霊協会が流行り、新左翼は内ゲバに入っていた)と、1980年代半ば頃までが、よくわからない。急速に保守化して行く時代に、付いて行けなかったのかも知れない。バブル景気、ビロード革命の頃より、記憶がはっきりしているようだ。

 句集「壺国」も、「原始時代からの記憶や伝統を反映する‥‥」「古くからの日本の行事・風俗・生活など、‥を素材とした」(同・大系の解説より)と、時代の保守化に流された事は否めない。
 「耐ゆる」(「耐ふる」が正しい)、「率ひて」(「率ゐて」が正しい)の2箇所の誤りは、角川書店にしては惜しい。


 以下に5句を引く。
右巻に凍てず廻るは花時計
水芭蕉ひらきし花の一頁
花売に粘り負けして西東忌
緑陰に誘ひてバースデーの妻
梨の花ふふむ裏戸に出る涙
(西村方壺訃報)
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写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。


 
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 角川書店「増補 現代俳句大系」第15巻(1981年・刊)より、5番目の句集、鈴木六林男「桜島」を読み了える。
 先の8月23日の記事、松村蒼石・句集「雁」を読む、に次ぐ。

 原著は、1975年、アド・ライフ社:刊。13年間の602句、長文の著者・後記を収める。
 鈴木六林男(すずき・むりお、1919年~2004年)は、戦前の新興俳句運動に関わった。戦場より負傷帰還、戦後の前衛俳句運動に関わったようだ。

 「桜島」の初めでは、字余りの句が多いが、師・西東三鬼の没後は少なくなる。社会的に実践する中で、吟じて来たようで、難解な句がある。例えば「父を逃れ母を逃れて墓標と撮られ」。
 あとがきに「ノートにある作品はすべて収録した」とある。それにしては句数が少なく、寡作と言える。


 以下に5句を引く。
病めば自愛の冬日さえぎり機関車過ぐ
戦争が戻つてきたのか夜の雪
なが雨の車窓から振り消えない手
三鬼なし夜寒の山が汽笛出す
稲輓く馬何の化身として憩う
0-64
写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




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