風の庫

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句会

 思潮社の現代詩文庫155「続・辻征夫詩集」より、「俳諧辻詩集」から、を読み了える。
 先行する詩集「河口眺望」は、今月20日に記事アップした。

 リンクより、過去の詩集感想記事へ、遡り得る。

 「誹諧辻詩集」から、には春夏秋冬4章に分けて、18編の詩を収める。詩集題にあるように、作品題の前後あたりに自作の俳句を配している。
 辻征夫と句作の関係は、今年2月23日の記事、彼の句集「貨物船句集」の感想で述べた。


 この詩集の目論見は、成功していないように思える。彼は月1度の「余白句会」で点数などを競ったのみで、俳誌に参加しなかったようだ。詩人の多い「余白句会」で競って、新奇な俳句を作した。新奇な俳句は、句集にまとめられて良いが、詩に配されては印象が良くない。「橋」では背景設定が時代小説の中だったりする(生活感情が細かくわからない時代小説では、美談が幾らでも書ける)。
 神経症的な「葱」では、「ちがうあいつはいまむこうをむいたんだ/葱に顔をそむけられちゃあ/おしまいだなって…」と綴る。
 「夏館」では、曾祖父から祖父、母に至る家系を辿る。詩人は知らないが、作家は大成すると、血族史、一族物語を書き、上がりとなる。(暗い宿命を背負った三浦哲郎は別である)。
 「下駄」では亡き父の下駄を履いて懐旧する。僕は親族の死を、挽歌に書き尽くして、あまりしみじみ思い出さない。
 「落葉」の1行に共感した。「頭
(こうべ)に白髪(はくはつ)を置き 子の行末に思い悩みつ」。(娘の1人が5歳の時に大病をしたらしい)。かつて僕も思い悩んだ。しかし「半生は…束の間だった」とは思わない。
 俳句を配したこの詩集の手法は、成功と言い難い。この後、詩人はこの手法を採らなかった。
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写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。



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 福井県俳句作家協会・編の「年刊句集 福井県 第59集」(2020年の句のアンソロジー)より、2回めの紹介をする。
 先行する1回めは、今月4日の記事にアップした。


 今回は福井地区(福井市、吉田郡)の初め(33ページ)~半ば(58ページ)の26ページ、52名520句を読んだ事になる。
 一般会員であり、役員等の句より、清新である。句会、俳誌での競争、被指導等によって、新と真を追求するのだろう。新といっても世事的題材の新のみでなく、新しい心情、新しい用語法(レトリック?)を、流行りを追うのではなく、見出さねばならない。
 境地の上達は、文学に携わる者の念願であるから、福井の俳句も上昇して行くであろう。旦那芸、女将芸に安楽する場ではない。

 以下に5句を引く。
秋草の野にあるこころ活けんとす(N・瀧三)
新年やひと息入れて生きていく(N・知子)
うららかにほやろほやつて昼さがり(K・洋治)
 
(ほやろ・ほやっては、そうだろう・そうだって、の意の福井方言)
木の実落つ沈んで浮いて流れゆく(T・利彦)
月光に心の縺れさらけ出す(D・清二)
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 写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。




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 県内にお住いの詩人、こじま ひろさんが贈って下さった詩集、「逝き咲き」を読み了える。
 受贈は、今月7日の記事、「届いた4冊(3)」にアップした。

 

詩集 1 
 上の写真は、表紙と帯(県ふるさと詩人クラブ・代表、川上明日夫さんの帯文)である。同じく川上明日夫さんの4ページに渉る栞を付す。
 2019年9月、山吹文庫・刊。3章22編の詩、あとがき、略歴を収める。84ページ。


 彼は1936年・生まれの一人子だったが、1944年に父が戦死した。中学校卒業後、農業で生計を立てたようだが、後に建築大工ともなった。
 還暦を過ぎた1998年に句会に参加、2001年に歌会に参加、2003年に詩の会に参加、と多彩で旺盛な活動を始め、今も活躍している。

 「行き咲き」では、「爺の体の古釘は/バールではぬけない」と、身に沁み込んだ苦労を窺わせる。文学に出会って、「一編の詩とのせめぎあい」が「渇いた心をいやすよう」と述べる。
 お孫さんにも恵まれるが、「節分」の豆撒きの終連は「老いは外と聞こえてくる/何処へもいけない」と、家庭で孤独であろうか。
 終章の「戦争があった風景」は圧巻である。掉尾の「無花果」では、父が戦死後の母子の苦しい生活を述べ、終連では「爺は/そっとよく熟れた無花果の/ひとつを かみしめた」と老後の楽しみを味わう。

 レトリックとは情意をよく伝える方便だが、「そそっかしい春が引っ越して来た」、「宵がこぼれないように」などの上滑りな比喩がある。
 リアリズムで表すには、深刻な人生だったのかもしれない。


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