風の庫

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吉本隆明

 思潮社「吉本隆明全詩集」(2003年2刷)より、「第Ⅳ部 初期詩篇」の「日時計篇 Ⅰ (1950)」の4回目の紹介をする。このブログ上で、11回目の紹介である。
 
同・(3)は、先の4月1日の記事にアップした。
概要
 今回は、1043ページ「<午後>」より、1072ページ「<わたしたちが葬ふときの歌>」に至る、24編を読み了えた。
 「日時計篇 Ⅰ」は、22編を残す。解題に拠れば、「日時計篇 Ⅰ (1950)」は、1950年8月頃から、1950年12月22日まで、148編が手製原稿に書かれた。「日時計篇 Ⅱ (1951)」が、1月3日より始まっており、年末・年始の休みが入る事がおかしい。
感想
 1950年といえば、僕の生まれた年である。吉本隆明は1924年生まれ、26歳頃の作品としても、昔の作である。それで古いか、新しいかは、別である。
 「<鎮魂歌>Ⅱ」では、末連2行「愛する者はすべて眠つてしまひ 憎しみはいつまでも覚醒してゐる/わたしはただその覚醒に形態を与へようと願ふのみだ」と、憎悪の哲学を閃かせている。
 旧かな遣いは、1種の異化で、詩編はフィクションになる。新かな遣いに直すと、然程でもない詩行もある。
 吉本隆明の思想も、社会主義、実存主義、構造主義と、流行を追うように移り、晩年は宗教論に至ってしまった。彼には必然性があったのだろうが、読者は納得していないのではないか。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。




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 思潮社「吉本隆明全詩集」(2003年2刷)より、「第Ⅳ部 初期詩篇」の「日時計篇 Ⅰ (1950)」の3回目の紹介をする。このブログ上で、10回目の紹介である。
 
同・(2)は、先の2月26日の記事にアップした。
概要
 今回は、1004ページ「<緑色のある暮景>」より、1042ページ「<雲が眠入る間の歌>」に至る、35編を読み了えた。
 「日時計篇 Ⅰ」には、計算上、あと46編が残っている。
感想
 幾つかの散りばめられた箴言風の言葉に気づきながら、彼のその時代の詩に刺される事はない。
 彼は第1詩集「固有時との対話」(1952年)に至っても、旧かな遣いを守っている。戦前への懐旧だろうか。レトリックとして、古風な文体をあえて用いたのだろうか。かな遣いにおいて、かれは守旧派だった。
 彼の思想によって、社会的、政治的には、何も変わらなかったように思える。「言語にとって美とはなにか」において、新しい文学論が開かれただけである。
 「定本詩集 Ⅳ (1953~1957)」中の「僕が罪を忘れないうちに」で「それから 先が罪だ/…/ぼくは ぼくの冷酷なこころに/論理をあたえた …/」のように、彼は冷酷な心を持っており、信奉者に幾人かの自殺者を出した。
 彼が「吉本隆明はオウム真理教擁護者だ」とのデマによって沈んだ時、デマだけではなく、彼への不満が鬱積していた所為もあるだろう。
 この後の詩編に、心打たれる作品もあるかと、僕は読み続けて行く。
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写真ACより、「ゲームキャラクター」のイラスト1枚。


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 思潮社「吉本隆明全詩集」(2003年・2刷)より、「第Ⅳ部 初期詩篇」の「日時計篇 Ⅰ (1950)」の2回目の紹介をする。このブログ上で、9回目の紹介である。
 
同・(1)は、今月18日の記事にアップした。
概要
 「日時計篇 Ⅰ (1950)」148編の内、今回は「<光のうちとそとの歌>」(958ページ)より「<鳥獣の歌>」(1004ページ)に至る、35編を読み了える。
感想
 「<並んでゆく蹄の音のやうに>」では、X軸、Y軸、Z軸という、これまで詩人に考えられなかった、数学の言葉と表現を得ている。
 彼は熊本県を父祖の地とする(母親が妊娠中に、一家は没落して東京へ移住した)、故郷喪失者である。郷愁はなく、むしろ嫌っている。その事が、近親憎悪(家族は最大10人だったようだ)に始まる、憎悪の哲学の始まりと思われる。
 「<抽象せられた史劇の序歌>」で、「人間をやめるために抽象してきたのだ 風景を かなしみを 思考を…」とあるけれども、科学の抽象化に苦しんだに過ぎない、と思う。科学的なまでの論理性は、彼の感性の論理化の強みとなるけれども。
 「<鳥獣の歌>」の末尾では、「わたしは鳥獣のやうに終には寒駅のY字形の鉄骨や 陽の影の下で生きて無心でありたかつた」とある。「無心」とは言わないけれど、ネットと読書に明け暮れる、僕の今の安穏な生活心境を、彼が再び乱す事は無いだろう。

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写真ACより、「ゲームキャラクター」のイラスト1枚。



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 思潮社「吉本隆明全詩集」(2003年・2刷)より、「第Ⅳ部 初期詩編」の 「Ⅻ 日時計篇 Ⅰ(1950)」の1回目の紹介をする。このブログ上で8回目の紹介である。
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同・「Ⅺ 残照篇」は、先の1月18日の記事にアップした。
概要
 「日時計篇 Ⅰ」は、手製原稿数100枚に、1950年8月頃から年末にかけて書かれた148編の詩である。
 その内今回は、初めの「日時計」(916ページ)から「少女にまつはること」(958ページ)に至る、32編を読み了える。
感想
 「<暗い時圏>」の冒頭で「一九四九年四月からわたしはコンクリートの壁にはりめぐらされた部屋の中で 一日の明るい時間を過さねばならなかつた」とあるのは、年譜に拠ると、東京工大の「特別研究生」(現在の大学院生に該当)として学び始めたからである。ここでも異性関係の不幸と、強い孤独「喜怒哀楽のやうな 言はばにんげんの一次感覚ともいふべきものの喪失のうへに成立つ」、神経症的でさえある孤独を感じている。
 「詩への贈答」では、「この苦難にみちた時代にあつて/巧みな技倆と殉教者のやうにしかめた貌を視せる/あの姿勢(ポオズ)はまことの詩人のものとは思はれない」と、1部の詩人を批判している。
 「秋の予感」の末尾「それがもの言ふんだ もの言ふんだ!」の放擲的な書きぶりは、所々に現われ、中原中也の影響だろうか。
 「<海べの街の記憶>」でも投げやりな口調の後に、「ぼくはお礼に洗濯石鹸やハーモニカをとりだして/ついでに誓つてみせたものだ/きつと偉いひとになりますといふ具合に」と、おかみさんたちに誓っている。そして彼は後に、1部の人に仰がれて、全集類が何度か出版される有力者となった。彼の詩作品しか、僕は有力視しないけれども。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。


 



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 思潮社「吉本隆明全詩集」(2003年2刷)より、「第Ⅳ部 初期詩編」の「Ⅺ 残照編 (1949~1950)」を読み了える。7回目の紹介である。
 先行する
同・「Ⅹ 詩稿Ⅹ」は、今月13日の記事にアップした。
概要
 27編を集める。なお(1949~1950)と添え書きされるが、1950年には「Ⅻ 日時計編Ⅰ」148編が制作されている。
 手製の原稿用紙24枚の表裏48ページの詩稿とされる。全50編のうち、残り23編は判読困難とされて、収められなかった。
感想
 この詩編群では、これまでよりも思想性が露わになっている。
 「午前」では「清廉 潔白 端正な形の眉/ああそいつはぼくの心理のいづれのはしくれも占めてゐない/汚濁 反抗 忿瞋と泥沼/まるでどうにもならないやりきれなさで充ちてゐるんだ」と戦後派のやりきれなさを描いている。
 「理神の独白」では、「ぼくは生存の条件/を何か他の要素でおきかへたため 脱落して路頭にある」と孤立の思いを確かめている。
 「列島の民のための歌」では「大凡ありとあらゆる地上の愚劣と卑小は/この島を占有してゐる/いまも眠つてゐる太古のままの民たちよ」と日本庶民の未開を嘆く。
 「昔の歌」では「ぼくもうたをうたふからには/たしかに人間の集積してきた巨大な精神を/すべて忌みきらひ反抗するのであつて/妥協の余地はないのである」と、反抗の詩人としての決意を明らかにしている。
 「長駆」では「たゆたふことなく論理は心理の影像を帯びはじめた」と心理と論理の一体化した、思想を展べる基礎が現われる。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。



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 思潮社「吉本隆明全詩集」(2003年2刷)より、「第Ⅳ部 初期詩編」の「Ⅹ 詩稿Ⅹ(1948)」の(2)残り63編の詩編より紹介する。6回目の紹介である。
 
5回目の紹介は、今月4日の記事にアップした。
概要
 前回は、104編ある「詩稿Ⅹ」のうち、初めの「挽歌」より41編目の「打鐘の時」までを読んだ。今回は42編目の「芥河」からしまいの「(とほい昔のひとが住んでゐる)」に至る63編を読み了える。
 1948年の詩作の、現在発見されている詩稿のすべてと思われる。「詩稿Ⅴ」~「詩稿Ⅸ」は発見されていない。
感想
 変わらず旧仮名遣い(1部誤まっている)であり、定型調の短詩が散見される。
 ハイトーンに「訣別」のテーマが詠われる。「回帰の幻想」の「立ち訣れた心理のイメージの中に/…」、「青桐」の「時がふたりを訣れさせる/…」、「荒天」の「訣れ路をひとがとほる/…」、「告訣」、と止めどがない。
 「雪崩」の末連「すなはち女性からは絶望を宣告され/高邁なヒユマニズムの医師からは/ありつたけの力で逃げてきた/ひん死の病者こそわたしだから」と自分を見詰め、掉尾の「(とほい昔のひとが住んでゐた)」の終行で「おゝこれからはどうしよう!」と嘆いている。
 しかし「少年期」の末2行「もうすべてが視えなくなつたかはりに/すべてがみえるようになったから」と不可視の関係が視えるようになった彼は、「祈り」の第2連「おお/貧しいものたち/おまへの願ひは決してきかれない/鋭敏な革命家によつても/神によつても」と、庶民からの思想に出立するようである。
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写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。


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 思潮社「吉本隆明全詩集」(2003年2刷)より、「第Ⅳ部 初期詩編」の「Ⅸ 白日の旅から (1947)」3編と、「Ⅹ 詩稿Ⅹ (1948)」より1回目を、紹介する。
 
前回は、昨年12月2日の記事にアップした。5回目の紹介である。
Ⅸ 白日の旅から (1947)
 3編の詩のみより成る。「定本詩集」編に収められた長詩「(海の風に)」と同じ日記帳断片に、ばらばらに収められていたという。
 「(にぶい陽の耀きが洩れて)」は、題名がなく、初行を題名としたのだろうか。「草葉のやうになげき/鳥たちのやうにうたふ/だが異様につらいうたを」とあり、のびやかな口調で苛酷な心を謳う素地はあった。
Ⅹ 詩稿Ⅹ (1948)
 雑記帳に書かれた104編より、あまりに編数が多いので、今回は初めの「挽歌」より「打鐘の時」に至る41編を読み了える。彼は22歳くらいと若く、嘆き(姉を亡くした嘆きとされる)も、怒りも、僕には遠い。
 「打鐘の時」では、「瞋怒は過去に投げられ/…/影ははるばる過去を投げて」と謳われる。今の僕には、成されないであろう事に由って未来に瞋恚を持ち、過去はささやかながら愛しむものである。
 彼の老年の思いが、後期の詩篇より読み取れるか、今はわからない。
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写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。


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