風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

喫茶店

 8月18日(第3日曜日)の午後1時半、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会A第59回を持った。
 同・第58回は、先の7月18日の記事にアップした。
 僕は少し早めに着いて、アイスコーヒーを注文してスマホのインスタグラムを見ていると、定刻前にTさんとMさんが現れた。2人はレモンスカッシュを注文し、歌誌の貸し借り・返却、方言集の手渡し等のあと、研究会Aに入る。


 短歌研究会Aは、お互いの詠草の検討である。
Mさんの10首より。
 1首めの「逸れしか」を「逃れしか」に、「走井」を「湧井」に直すよう、僕とTさんが提案した。
 8首めの上句「ライトバンの後部ガラスを」の「後部ガラス」を「リアウィンドー」に直すよう、僕が提案した。他に何ヶ所か。
Tさんの10首より。
 6首めに「生活」の語があるので、「くらし」と訓むのかと僕がTさんに訊くと、「たつき」と訓ませるつもりだったが、普通の「くらし」で良いとの返事だった。
 9首めの中句「おさまらず」は、旧かなでは「をさまらず」だと、僕が指摘した。他に何ヶ所か。
僕の10首より。

 参院選を詠んだ3首があり、政治的過ぎるかと思ったが、2人はそれくらい詠んで良い、との意見だった。
 10首めは、中句「話振れば」に無理があるなどするので、別の歌と差し替える事にした。他に何ヶ所か。

 研究会のあと、僕の今期110首余を2人に読んでもらい、感想をもらった。次回短歌研究会Bの日程を決め、さらに研究会Aの次回が第60回になり節目なので食事会をする約束をした。
 10時45分頃に散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 今月18日の記事、短歌研究会A第58回の末尾で、今月は同・Bをパスすると書いた。しかし差し障りのあるMさんを措いて、Tさんに同・Bをお願いすると、7月26日(第4金曜日)に持つ事を快諾して下さった。
 定刻の9時半少し前に喫茶店に着き、アイスコーヒーのモーニング・セットを摂り了えた頃、Tさんが現れた。
 歌誌・本などの貸し借り・受け渡しのあと、短歌研究会Bに入る。先の6月27日の記事、短歌研究会B第34回に次ぐ。同・Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。


 今回は、歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)より、1963年の「新秋」の章(174ページ)より入る。
「新秋」の章より。
 2首めの「藤棚の下(した)曇りきて」の藤棚は、歌集の題名にもあり、宮柊二の庭にあったのだろう。
 3首めの上句「さまざまに嘆(なげき)を過ぎぬ」は、嘆きの思いを重ねた過ぎゆきだったのだろう。
 しまいの歌の2句3句「言葉の出でぬ折り折りを」は、病気ではなく老化だろうかと僕が言うと、Tさんは、複雑な感情を抱いての故だろう、と述べた。
1963年に入る。
「明闇」の章より。

 「明闇」は、「みょうあん」の訓みで広辞苑にあるけれども、短歌界の通用で「あけぐれ」と訓むのかも知れない。
 2首めの中句下句「かたむけし力みずから頼まむものを」には、努力への自負がある。結語の「ものを」をTさんが訝るので、僕は強調であり照れ隠しでもあるのだろうと述べた。
「芥子の図」の節より。
 4首めの結句「あぶらの孤独」は、独特の情で、従軍体験に関わるのか、簡単には解しがたい。
「藤の花」の章より。
 4首めに(花吹雪に)「吾が狼狽(うろたへ)つ」の花は桜だろうが、狼狽するとは、他の歌人の美しい桜の歌とは違う。
 6首め。「地中海の古代は生きて壮麗にありしを思ひ著莪(しやが)に屈(かが)みつ」は、著莪の花の明るさに、古代地中海を思ったのだろうか。


 177ページ末の上の歌で章を了え、次の短歌研究会Aの日程は決めてあるので、10時半過ぎに散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 7月17日(第3水曜日)の午前9時半から、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会A58回を持った。
 同・第57回は、先の6月19日の記事にアップした。
 当日はこれまで有った、僕の遅刻がないよう、前夜にSMSでMさんに、8時半のモーニングコールをお願いしていたけれども、当日は8時に目覚めて、コールを辞した事だった。

 当日は少し早めに着いたが、まもなくTさんとMさんが現れた。歌誌等の貸し借り・返却のあと、研究会に入る。研究会Aは、お互いの詠草の検討である。
Mさんの10首より。
 3首め。「せはしなく行き返りする翅黒蜻蛉迷ひあるのか李の下を」を、句を入れ替えて、「せはしなく李の下を往き返るおはぐろ蜻蛉迷ひあるのか」にするよう、僕とTさんが提案した。
 9首め。「嫁ぐ娘の家へと駆くる」の初句が、これから嫁ぐように取られるので、聞くと次女さんというので、「したの娘の」に直すよう、僕が提案した。
Tさんの7首より。

 1首めの中句「声小さし」を自ら「声小し」に直した。
 2首めの4句「言ひて足れるや」の「や」に続く形が、「足れり」の変化とも絡んでわからなく、宿題とした。飯塚書店の「新版 短歌文法入門」に「や、よ」は「種々の語に接ぐ」とあった。
僕の10首より。
 2首め、「義母の死の諸々により」の歌は概念的なので、他の歌と差し替える事にした。
 5首めのカレンダーの歌で、「早くも剥ぎて文月(ふづき)を見せる」は「見せる」がしっくりしない。「現す」「出だす」等の案も出た。帰宅後、「示す」の語を思いつき、それにした。

 検討会後、僕の今期100首余は、持ち帰って読んでもらう事になった。次回の研究会Bは、学校の夏休みの関係でパスし、8月の研究会Aの日程を決め、10時40分頃に散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




 

 6月18日(第3火曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会A第57回を持った。
 同・第56回は、先の5月18日の記事にアップした。
 僕は少し早めに着いて、アイスコーヒーのモーニングセットを食べおえた頃、MさんとTさんが現れた。2人が注文し、歌誌等の受け渡しをした。

 短歌研究会Aは、お互いの詠草の検討会である。
Mさんの10首より。
 3首めの3句4句が「手折りなばしるけく香る」の「なば」は未然形なのでまずいけれども、已然形では「手折りぬれば」となるので、僕が困っていると、「切り取れば」に直すことをTさんが提案した。
 9首めの上・中句「腰に手を当て鯵フライ挙ぐ夕つ方」を、「腰に手を鯵フライ揚ぐる夕つ方」に直すよう、僕とTさんが提案した。
Tさんの10首より。

 1首めの下句、「続く梅雨空を窓に見上げぬ」を自ら、「窓に見上ぐる梅雨曇り空」に直した。
 7首めの4句、「笑つてないと」を自ら、「笑つてゐないと」に直した。
僕の10首より。
 1首めの中・下句「スクロールされる車のライトに連れて」に、句跨り、句割れがあり、わかりにくいので「された」とするよう、Tさんより提案されたが、過去形にしたくなく、それでも連体形に取られる場合もあるので、提案を肯定できない。
 3首めの上・中句「ランキング抜きつ抜かれつ演じおり」は、ランキングは投票によって決まるので、当人が演じているのではないと、正確に指摘され、僕は没とした。

 検討会のあと、僕の今期1ヶ月の50余首詠草を2人に読んでもらい、感想をもらった。
 次回の日程を決め、10時40分頃に散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


 5月30日(第5木曜日)の午前9時半、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第33回を持った。
 同・第32回は、先の4月27日の記事にアップした。
 僕がアイスコーヒーのモーニング・セットを食べおえ、スマホを見ようとした所へ、二人も集まった。それぞれ注文し、歌誌の貸し借り、返却をした。

 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は、163ページ、第7歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)より、「隠岐(一)」の章より入る。
「隠岐(一)」の章。抄出で4ページに渉る大連作である。
 初めの「対馬海流」の歌の中句、「振放(ふりさ)けて」は、振放ける、の語が辞書にない、と僕は思っていたいたが、古語の「振放く」で広辞苑に載っている、と2人に指摘された。現代文法の歌を約3年作って、古語を忘れかけたのだ。結句「潮青光る」は、安易に「青潮光る」と結んでしまいそうだが、厳密性を求めたのだろう。
 各首にはそれぞれ工夫があり、Tさんは男盛りの充実した時期だったのだろうと、感想を述べた。
「浄瑠璃寺」の章。

 「忿怒相(ふんぬさう)」と始まる歌の、持国天王像は、四天王の一つで、甲冑を着けた忿怒武将形に表されるという。
 「塔と堂」との歌の下句、「彼岸(ひがん)此岸(しがん)の石灯籠見ゆ」は、優れた対比の歌だと、話し合った。
「胸奥」の章。「きょうのう」ではなく、「きょうおう」と訓じるらしい。
 「種の別は」の歌は、外国の部族戦争を詠むらしい。
 「道の辺(べ)に」の歌の下句、「渦巻けるごとき林檎の皮」の字余り、字足らずは、「渦巻けるがの林檎の皮を」と或いは定型に収められる所を、敢えて強調したのだろう。
「朱鷺幻想」の章。1963年の作品に入る。
 長歌1首、反歌2首、すべてを収める。
 長歌1連より、外れるかも知れないが、「離々たりし穂も実も今は」の歌の「離々」は間違いやすいけれども、「穂や実が稔って垂れるさま。」(「広辞苑」第7版より)である。


 多くの感想、意見をここに書ききれない。
 10時半過ぎ、次回の日程を決め、散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




 5月17日(第3金曜日)の午前に、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会A第56回を持った。同・第55回は、先の4月19日の記事にアップした。
 実は僕は、約束の9時半に25分、遅刻した。夜1時半に眠りに就き、8時半に目覚まし時計を設定したのだが鳴らなく、9時33分にTさんより僕のスマホに電話があって目覚め、急いで用意して家を出た。
 僕がアイスコーヒーを注文し、歌誌の貸し借り、返却をした。
 短歌研究会Aは、お互いの詠草の検討会である。

Mさんの10首より。
 1首めの「雲雀らの囀り弾む」を「囀りしきる」に直すよう、Tさんが提案した。
 3首めの上句「新元号になれど吾には変はりなく」を「令和へと移れど吾に変はりなく」に直すよう、Tさんと僕が提案した。他に何ヶ所か。
Tさんの10首より。

 3首めの上句「夜の雨に色冴え冴えと咲く藤の」の雨が昨夜の雨だということで、字余りだが「昨夜(よべ)の雨に」にするよう、僕が提案し、持ち帰って考える事になった。
 4首目の初句2句「漂ひて和やかなるもの」の「和やか」を、「にこやか」と訓んでほしいという事だが「なごやか」と訓んでしまうので、自分から「柔やかなもの」に直した。他に何ヶ所か。
僕の10首より。
 2首めの、ブログ記事を予約公開の歌は、2人にピンと来なかったようで、没。
 10首めの4句「われに呉れる妻」は字余りなので、「吾(あ)に」に直すよう、2人から提案された。他に何ヶ所か。

 検討会の後、僕の今期1ヶ月分の詠草90首近くを2人に読んでもらい、感想をもらった。
 僕の遅刻にかかわらず11時過ぎ、次の会の日程を決め、散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


 

 4月26日(第4金曜日)朝9時半に、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第32回を持った。
 同・第31回は、先の3月1日の記事にアップした。研究会Bを、メンバーの都合で、3月は休んだからである。
 僕が少し早めに来て、アイスコーヒーのモーニング・セットを摂っていると、2人も集まった。それぞれ注文して、歌誌等の貸し借り、返却をした。

 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。

 今回は、歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)の157ページから始める。
「緑の金、くれなゐの金」の章より。
 「萌えいでし若葉や棗は緑の金(きん)、」の歌の「緑」は「あを」と読ませるのだろう。
 「山椒の」の歌の結語「白昼」と書いて「まひる」とルビを振ってあるのは、珍しい読み方である。
「夏井渓谷」の節より。
 「雨あとの力ある水」と始まる歌は、「力ある水」が、ユニークだ。
「晩夏」の節より。
 「合歓(ねむ)のはな紅(あか)なまぐさく咲きつぎて家族七人顔古び生く」の歌の、「なまぐさく」は見た目を言うのだろう、「顔古び」は長年顔を見合っての事だろう、とTさんが解釈した。
 「浜名湖の」の歌の結句、「わがあらがはず」は「われあらがはず」が文法的だと、これもTさんが指摘した。
「家族」の節より。
 「生きて来し場のそれぞれが戦争(たたかひ)をもつとも濃くして断続したり」の「濃く」なったのは「思い出」だろう。
「鮒の子、他」の章より。

 「しづかなる第一日のあらがねの如き光を鮒の子も浴ぶ」で、「あらがね」は鉄の異称だろう。「鮒の子」は後の歌によって、水槽に飼っていたものとわかる。
 「霜光り土ひかる道よろこびに」の歌は、性格、経験により湧く喜びだろう。
「井の頭公園鳥獣園」の節より。
 3首は、「逸民」(自由業)となった宮柊二が、作歌のためか、朝に鳥獣園を巡っての作品である。

 他にも多くの感想、意見が出たが、ここに書ききれない。
 10時40分頃、次回の日程を決めて、散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。





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