風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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困難

 僕の属する同人詩誌「青魚」No.92を読み了える。
 到着は、今月9日の記事、同人詩誌2種が届く、で報せた。リンクより、関連過去記事へ遡れる。



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 「青魚」はB5判、目次より後書まで含めて、37ページ。2段。
 僕はソネット「ブロック」、「クーデターか亡命か」、「ボケの自覚」、「古書店興亡」4編を寄せた。ネットで公開する時もあるだろう。

 冒頭はY・英一さんの追悼文「ハインライン氏の訃報を知って」2ページである。アメリカの旧友の死を嘆いた。
 T・幸男さんは4編を寄せるが、内2編は既刊詩集からの再掲である。僕と同じく、詩想が溢れないらしい。
 新参加のS・沈潜さんは戯話めいて深刻な「アイコ」を寄せた。代表、T・晃弘さんと同じく、老年大学に学んでいるA・信子さん、H・喜代子さん、K・文子さん、T・育夫さんも家族を描くなど、元気である。
 T・晃弘さんの追悼文「詩友、鎌数学を悼む」は、「青魚」創刊同人の鎌数学さん(寺の住職だった)の死を悼んでいる。


 A・雨子さんの長い散文の連載は、今回は「慶太郎さん」11ページである。家族親族・同級生らを回顧して、当人には手応えがあるのだろう。
 詩の困難な時代に各人、向かう態勢が少しずつ違ってきたようだ。



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 1月29日(第5水曜日)の午前9時半、メンバー3人が喫茶店に集まり、短歌研究会B第39回を持った。
 先行する同・第38回は、昨年11月30日の記事にアップした。



 僕はアイスコーヒーのモーニングセット、Mさんはブレンドコーヒーのモーニングセット、Tさんはアメリカンコーヒーを注文し、歌誌の貸し借り、返却をし、近況を語り合った。

 研究会Bを12月には休んでいるので、2ヶ月ぶりである。短歌研究会Bでは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みをする。
 今回は、第7歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)より、186ページ半ば、「手記四百編」の節よりである。
「手記四百編」の節より。
 1首めの2句「かの日復返(をちかへ)り」の「かの日」は敗戦日だろう。3句、4句の描写は、主張より逸れた具体である。
 ルオー展とジャンヌダルク像の歌には、美術や音楽を歌にする困難を、3人とも嘆き合った。
「晩秋一小圏歌」の章より。
 2首めの4句「秋蟬ひとつ」の秋蟬を、お互い電子辞書で調べて、油蝉と知って驚く。
 3首めの2句「蘭の一鉢」は、185ページ「蘭の花」や186ページ「春蘭抱きて」と出て来る、頂き物の春蘭らしい。
 188ページに入り、4首めの中句下句は「新約全書/版の古きは/詞句あざやけし」と危うい句跨りだろう。


 歌集「独石馬」(1975年・刊)に入り、まず独石馬をドクセキバと読むことを確認する。僕がWeblio辞書で、追確認した。
 1966年の歌から。
「銀杏と胡桃」の章より。
 3首めの上句「遠き海ただに鳴りつつ」の海鳴りを、海に遠く住む3人なので、実感がわからなかった。
 4首めの結句「原子力研究所」は発電所ではないので、初期の研究所だろう。
 6首めの「一家族七人」と後に詞書きがある歌は詰め込み過ぎだが、そうしても1首にしたい切迫感がある。
「尾鷲」の章より。
 尾鷲がどこか分からないと僕が言うと、2人は三重県の内だと教えてくれた。後でパソコンで調べると、伊勢と熊野の間だった。
 3首めの結句「顔おだやけき」は強調の連体形止めだが、終止形でも感慨は伝わると話し合った。
 193ページに入って、8首めの2句、「九十九浦の」の読み(「くじふくうら」か、「つくもうら」か)が、3人には分からなかった。

 この章で研究会Bをしまい、次の日程を決め、11時近くに散会した。
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写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。




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西村曜 コンビニに生まれかわってしまっても
 今月15日の記事、「歌集3冊と詩集1冊をダウンロード」で報せた内、西村曜・歌集「コンビニに生まれかわってしまっても」kindle unlimited版を、タブレットで読み了える。
 kindle unlimited版の歌集の読了として、2月27日の記事、法橋ひらく「それはとても速くて永い」に次ぐ。
概要
 各版の発行時期、価格については、ダウンロードのリンクで報せたので、参照してください。
 西村曜(にしむら・あきら)は、1990年・生まれ、2015年に短歌を始め、2016年に「未来短歌会」入会。
 332首、加藤治郎・跋「生きていくこと」、著者・あとがきを収める。
感想

 著者が女性なのか男性なのか、わからなかった。表紙のイラストは、泣いている娘さんである。名前は「曜(あきら)」と男っぽい。自分を「俺」「おれ」「僕」と詠んでいる。後になって「わたし」と書かれ、「あなた」と呼び掛ける。「父と娘」「処理のあまい腋毛」「年増と呼ばれ」と詠んで、どうやら作者は女性のようだ。
 どちらでも良い程には、僕はまだ進んでいない。もし性指向が変わったのなら、それで良いけれども。
 画学生、引きこもり、コンビニ店員を移るなど、生活状況はあまり良くないようだ。それでもひっしに生き、恋をし、歌に救われて、生活しているようだ。
 加藤治郎は、なぜ困難な生を送る若者たちの歌集ばかり、プロデュースするのだろう。志向があるように思える。

引用
 以下に7首を引く。
サブウェイの店長として一生を終える他人がとてもいとしい
せりなずなてめえこのやろ息災は遠くフリーズドライの七草
「もしもし」とあなたが言って俺はその「もしも」の音に慄いていた
「いたみってすごい空港名だよね」それはしずかに発音をする
こしあんパンほどに優しいひとだからかばんの底でつぶれてしまう
おとうとよ「一口大に切る」ときは信じろきみの大きな口を
腐敗したわたしの心のやわらかさなぜかあなたはやさしさと呼ぶ



 

 
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