風の庫

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土曜美術社

 土曜美術社・日本現代詩文庫27「関根弘詩集」より、巻末の詩論2編、解説1編を読み了える。
 今月14日の記事、同・詩集「奇態な一歩」を読む、に次ぐ。リンクより、以前の関根弘の詩集の記事へ遡り得る。
詩論「リルケからカフカへ」
 戦前にリルケ(特に「マルテの手記」)を好んだ関根弘が、戦後、カフカに傾いた事情について、以下のように書いている。「戦争を通過したあとで、わたしは、当然のことのようにカフカ党になっていた。リルケがたてこもった社会的無関心の塔からいやでもひきずり出されて、カフカ的にいえば、孤立無援のたたかいを余儀なくされたからであろう」。安部公房にもカフカを勧めたという。
講演「小熊秀雄」
 詩賞「小熊秀雄賞」授賞式での講演である。年次はわからない。たった1度、少年時代に小熊秀雄に会っただけ、という関根弘が、外郭から中心に攻め入るように、13ページに渉って描いている。
 小熊秀雄の絶筆の詩「刺身」、堀田昇一の小説「自由ヶ丘パルテノン」、小野蓮司の詩「苔」から引きながら、戦前プロレタリア文学運動の末期に出発して、抵抗詩「刺身」を書くに至ったさまを描き尽くす。
 室生犀星の「我が愛する詩人の伝記」に匹敵する描きぶりである。

「関根弘詩集解説」中川敏
 「今時アヴァンギャルドは演劇を除いてはアウト・オブ・デイトである」と、やんわりと関根弘の「リアリズムとアヴァンギャルドの統一」を批判している。

 最後に年譜について。関根弘は、東京に生まれ、小学校卒業後、勤めに入り、住み込み店員も経験している。従軍を免れて、戦後、職を転々とし、文筆家として立った。40歳で結婚、息子、娘を得る。
 詩誌「列島」で、手八丁口八丁と言われる大活躍(「解説」より)をしながら、没後、全集どころか全詩集さえ発行されていないようだ。以て悼むべきである。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


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 土曜美術社・日本現代詩文庫27「関根弘詩集」より、しまいの詩集「奇態な一歩」全編を読み了える。
 今月9日の記事、同「『街』より」に次ぐ。リンクより、以前の関根弘の詩集へ遡り得る。
 このアンソロジーの5詩集より、僕が紹介するのは、3詩集のみである。
概要
 原著は、1989年(69歳)、土曜美術社・刊。29編の詩を収める。
 三省堂「現代詩大辞典」(2008年・刊)に依ると、彼は1994年に74歳で亡くなっており、この詩集以後の詩集はないようだ。
 ルポルタージュ、評論、小説、戯曲などでも活躍した。
感想

 彼は晩年、人工透析を受け、詩集の初めの表題作「奇態な一歩」に表した。「仲間が何人もベッドに頭を並べている/自分一人で世界の不幸を/背負った気になるのは早すぎた//一風呂浴びたような顔をして/帰っていくものがいる」と、苦しみをユーモアに転化した。
 次作の「病床のバラ」の末尾には、「生まれてきて損したよ」との感慨を洩らす。僕は生まれて来て良かったとは思わないが、「損した」とは思わない。様々な喜びを得た。
 詩集の末尾には、神社、お寺をめぐっての作品が多くなる。信仰に入ってはいない。
 政治的前衛かつ芸術的前衛である道は、困難なようだ。
 後は詩論2編、解説1編、年譜が残っている。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


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 土曜美術社・日本現代詩文庫27「関根弘詩集」(1990年・刊)より、詩集「街」の抄出版を読み了える。
 今月3日の記事、同・「泪橋」を読む、に次ぐ。
概要
 原著は、1984年、土曜美術社・刊。64歳。
 前年に腹部動脈瘤破裂の大病を患っており(冒頭の詩「病院」で表された)、その時の幻覚聴覚による自殺未遂を経て、体力的に衰えたのではなかろうか。
 後に人工透析を受け、1994年に亡くなっている。
感想

 「劇場」では、「マンションの中の劇場は/いぜんとして貧困と根の切れない/新劇の体質を証明している」と同情するようで、戦前の築地小劇場を懐かしむ。
 「大衆酒場」や「ホテル」では、お酒を好んだ性格が出ている。
 「学校」では「学校そのものが凶器だ」としながら、「復讐するつもりはなかったが/H大の臨時講師になって/詩を講義したとき/学年末にレポートの等級を査定した」と、学歴コンプレックスを晴らした。
 「警察」や「公園」では、変容する時代や社会の、回想に感慨があるようだ。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 
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 土曜美術社の日本現代詩文庫・27「関根弘詩集」より、初めに詩集「泪橋」を読み了える。
 購入は先の1月12日の記事、
「届いた3冊(4)」の内にアップした。
概要
 初めの詩集「約束したひと」抄は、これまで紹介して来た思潮社「関根弘詩集」(1968年・刊)に、既にあった。
 また詩集「阿部定」より「阿部定」は、調書のような体裁である。事件をモデルにした大島渚・監督の映画「愛のコリーダ」と内容がほぼ同じなので、ここで取り上げない。
 そこで詩集「泪橋」全編より入る。取り上げるのは、先の2月17日の記事、
関根弘「未刊詩篇」を読む、に次ぐ。
 詩集「泪橋」は、1980年(60歳)、思潮社・刊。42編を収める。
感想

 僕は「列島」系の詩をほとんど読まなかったし、彼が師とする花田清輝、マヤコフスキーの著作を読んでいない。それで関根弘の詩の思考回路がよくわからない。
 「こころにかかる雨」では、「そろそろ帰るか/相手のいないストをたたかっているおれは」と書く。僕も詩「深夜に」で、「ひとりで/僕は目に見えないものと戦ってきた」と書いた。
 「落丁」では「思い出はみごとに埋まって/団地ができている」と、優れた比喩を用いた。
 掉尾の「夢」の、「わたしは大切な時間を/もう使い果たしたということに/なるのではなかろうか」に、憐れな実感がある。
 この土曜美術社「関根弘詩集」には、あと2詩集を収めるのみだが、これまでと合わせて、彼の詩業をほぼ見渡せるのではないだろうか。


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