風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 お報らせです。2020年9月6日で以って、Kindle本「少年詩集 鳶の歌」を自力発行致しました。原稿は自分で作成し、表紙はデザイナーさんにお願いしました。上梓は自力で行いました。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリで、「少年詩集 鳶の歌」と検索すれば、すぐに出て来ます。右サイドバーのバナーよりも至れます。僕のペンネームは柴田哲夫です。価格は500円ですが、Kindle Unlimited版を追加金無料で購入できます。多くの方のご購読を願っております。

基調講演

 6月23日(第4日曜日)午後1時半より、敦賀市立北公民館3階ホールにて、詩人・岡崎純さんを偲ぶ、第2回「蝸牛忌」が催された。
蝸牛忌・全景
 上は、K・久璋さんの開会挨拶の場の、背面よりの全景である。もっとも、画面を外れて左側に椅子を出して、数名が座っていた。
 昨年には、僕は急な事情で参加できず、残念だった。その事情は、昨年6月11日の記事、第1回「蝸牛忌」参加・断念の記に記したので、ご覧ください。

蝸牛忌・題字と遺影
 上の写真は、今回の題字と、若き日の岡崎純さんの遺影である。
 忌祭は(午前中の墓参を了えて)、4時半までの予定で始まった。
 S・博美さんの総合司会で、K・久璋さん(詩誌「角」代表)の開会挨拶のあと、S・道明さん(詩人・作家・評論家)の基調講演「岡崎純詩の怒りとユーモア―日野山の山容が育んだもの―」があった。資料と実地体験と研究に想像力を合わせた、自身の老化の自覚に抗いつつ、凄みのある講演だった。若き日の出会いから始まって、①優れた文学者には、模倣者が現れる。岡崎純さんの詩には、模倣者がおり、模倣を一概に悪いとは言えない。②農民の信心を、美徳とは捉えていない。無念を彼岸に持ち越したのだ。

 岡崎純さんの4編の詩に、M・勇さんが作曲し(ピアノ伴奏を得て)独唱した。
 10分間の休憩ののち、第2部。画廊喫茶のマッチ箱にかつて印刷した14編の短詩を、約10名が朗読した。
 岡崎純さんの詩にしばしば現れる小動物に因んで、詩人・フランス文学者のT・武光さんがルナールの詩集「博物誌」より何篇かを原語で朗読し、Y・勝さんが邦訳(岸田国士・訳)を読み上げた。スクリーンに挿し絵を写しての、僕には新しい世界だった。
 催しのしまいに、「岡崎純の詩をめぐって」というシンポジウムがあり、K・久璋さん司会のもと、T・晃弘さん、K・不二夫さん、I・秀子さんが、岡崎純さんとの出会いから、作品論までを語った。
 岡崎さんのお孫さんのY・杏子さんから遺族・謝辞、W・本爾さん(福井県詩人懇話会・代表)の閉会挨拶があり、遠路参加者へのK・久璋さんの配慮のお陰で、定刻の4時半に第2回「蝸牛忌」を了えた。


 

詩祭全景
 11月18日(第3日曜日)午後1時半より、Aossaビル3Fの「ウェルアオッサ」にて、福井県詩人懇話会・主催の「2018 ふくい詩祭」が催され、僕もカメラ役を兼ねて参加した。
 「2017 ふくい詩祭」は、昨年11月20日の記事にアップした。
 参加者は、事務局に拠ると、49名だった。(12月4日:訂正。事務局長に拠ると、招待者等を含めれば60名前後の参加者だった)。写真に入りきらなかった方、席を外していた方、後から来場した方を含む。
 S・なおみさんの総合司会のもと、懇話会代表のW・本爾さんの開会挨拶より始まった。
 K・久璋さん、H・裕子さん、H・信和さんの3名が、コメントとともに自作詩1編を朗読した。
 そのあと尺八演奏家・平林火山(ひらばやし・かざん)さんの尺八で「山越」「鶴の巣ごもり」、横笛で「秋の歌メドレー」(童謡より)の演奏があった。皆がしみじみと聞き惚れた。
 詩祭のテーマは、詩人・鮎川信夫(1920年~1986年)を巡ってであって、基調講演は批評家・樋口義澄(ひぐち・よしずみ、著書「鮎川信夫 橋上の詩学」あり)氏の「鮎川信夫と現代」だった。シンポジウムでも客席最前列から、コーデイネーターに振られてよく発言していたので、シンポジウムの項で述べる。
 休憩のあと、シンポジウム「荒地の詩人、鮎川信夫を現代(いま)に問う」が始まる。福井の詩人・金田久璋(かねだ・ひさあき)氏のコーディネートのもと、詩人・河津聖恵(かわづ・きよえ)氏、詩人・正津勉(しょうづ・べん)氏、詩人・細見和之(ほそみ・かずゆき)氏が、基調講演の樋口義澄氏の会場よりの発言もまじえ、パネルディスカッションを行った。
 鮎川信夫の父との関係、夫人を隠し子のいなかった事、ユーモア、風土(福井県奥越の山深くで生まれ成長し、1945年2月に「戦中手記」を福井県三方郡の傷痍軍人療養所病棟で密かに書いた)と世代(従軍世代)の問題、孤絶と共同(「荒地」での共同は、言葉の構築による詩、という一致があった故らしい)、アメリカ寄りだった彼の、トランプ大統領が現われる等の現代における意義、に就いて、細かく討議された。没後に見られた彼の私室(ベッドと粗末な机のみで、そこで詩作したらしい)が、今で言うゴミ屋敷で極っており、写真を見た人はショックを受けたと揃って述べた。

 会場からの発言もあり、予定通りの5時に懇話会副代表のM・幸雄さんの閉会挨拶で締め括った。
 このあと同会場で懇親会が催されたが、僕は失礼して帰宅した。



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