風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

定型

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 Twitterを「短歌 ネットプリント」で検索し、2種類を5月5日(日曜日)に近所のローソンで引き出した。短歌のネットプリントの記事は、今年3月25日の「1冊と1枚」以来である。

 まず以下のツイートである。

 1997年、1998年生まれの歌人、3人による「第三滑走路」6号である。A3判・片面。
 各12首と、メンバー紹介(簡単な質問2つと答え)を、収める。
 学生短歌会のA・輝さん「グッドライフ」と、M・洋渡さん「プシュケの結婚式」は難解である。
 句割れ・句跨りが繰り返され、57577の定型が崩れると、歌意も崩れるようだ。
 M・慎太郎さんの「桜、散ってすぐ夏」は、やや大人しいか。以下に1首ずつ引く。
光り続ける僕たちの密室論/世界すべてを映し出すシネマ(A・輝)
世界は一つとは限らない木漏れ日が総量として葉を上回る(M・洋渡)
手続きが煩雑なのがわるい、よね? 桜は散るからうつくしい、よね?(M・慎太郎)

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 次のツイートである。
 K・仁美さんとH・志保さんが、「いちごつみ60」で、交互に歌を詠んで、各30首、計60首を、A4判両面で読める。
 しかもルールがあって、前の歌にあった1語を必ず取り入れて詠むのである。定型にさらに枠をはめている。後半に荒れそうになるが、うまく仕舞っている。
 続く2首を挙げる。
ここへ来て一緒に濡れてほしいのにあなたは傘をたくさんくれる(H・志保)
濡れてもいいものとして買うスニーカーが私の悲しいによく似合う(K・仁美)

 これらの歌の危機は、若者歌人の危機であり、若者の危機であり、時代の危機である。


 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、20番目の句集、赤尾兜子「歳華集」を読み了える。
 先の3月28日の記事、中村苑子・句集「水妖詞館」に次ぐ。
概要
 原著は、1975年、角川書店・刊。第3句集。
 司馬遼太郎の序文「焦げたにおい」、500句、大岡信の跋文「赤尾兜子の世界」、著者・後記を収める。塚本邦雄の1文「神茶吟遊」を別刷添付。
 赤尾兜子(あかお・とうし、1925年~1981年)は、戦後に京大入学後、「太陽系」の同人となる。1970年、俳誌「渦」を創刊・主宰した。
 句集「蛇」、「虚像」で、前衛俳句の旗手と見なされる。「歳華集」は、伝統回帰の作風と言われる。
感想

 句集として、司馬遼太郎、大岡信、塚本邦雄の護衛に守られた母艦のようである。
 伝統回帰と言っても、有季、古典文法、新かなながら、575音の定型に収まる句は少ない。
 例えば「霧の屋上庭園 しきりに卵割れあふれ」、「つぶやく小動物のあいさつ消えて水匂う」など、初句が大幅な字余りで、中句7音、結句5音と取ると、読みやすい句が多い。他のどこかで切ろうとすると、無理が生じる。
 「妖しき祭怺う水栓も雪のなか」は、怺えるのが自分なのか、水栓なのか判然しないように、難解な句も多い。定型の「プール秋綿菓子色の水で陥つ」など、いっそう難解である。
引用

 以下に5句を引く。
さびしき鳥と釣りあう雨の野韮群
縫合の国軽外套もほころびて
兎さげし猟夫と暁(あけ)をゆきちがう
花壺におさななじみの雲は散る
木犀の夜雨まじりに匂う方
(かた)
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、19番目の句集、中村苑子「水妖詞館」を読み了える。
 今月21日の記事、細見綾子・句集「技藝天」に次ぐ。
概要
 原著は、1975年、俳句評論社・刊。高屋窓秋・序、139句、著者・あとがきを収める。第1句集。
 中村苑子(なかむら・そのこ、1913年~2001年)は、結核病により大学国文科・中退、1932年に結婚した夫が、1944年に戦死した。その後、作句を始め、石田波郷の「鶴」、水原秋桜子の「馬酔木」、日野草城の「青玄」、久保田万太郎の「春燈」と移った。
 1957年、高柳重信(細見綾子・句集「技藝天」で、読まずに飛ばしたと書いた俳人)の招請によって「俳句評論」の創刊に参加、高柳重信・死去(1983年)後に終刊、以後・無所属。
感想

 「水妖詞館」は、無季ながら定型を守ろうとしている。旧かな、古典文法であり、「や」「かな」の切れ字も使う。
 どんなに写生や直叙から離れても、定型を守る1行詩である。語の組み立てが外れていない。僕の読書のストライクゾーン内である。女性の心情も読み取れるようだ。
 非定型、分かち書きの俳句に、僕はトラウマがあるようだ。高校文芸部員の時、短期留学のアメリカ人高校生が部室に来て、作った俳句を読んでくれと言った。半世紀以上、前の事である。3行詩だったと記憶する。その中の1語が難しく、英和辞典にもなくて、とうとうその句を読み解けなかったのだ。
引用
 以下に5句を引く。
跫音や水底は鐘鳴りひびき
撃たれても愛のかたちに翅ひらく
逢へばいま口中の棘疼き出す
若き蛇芦叢を往き誰か泣く
山に立つ誰彼の忌や黒き馬
0-23
写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、18番目の句集、細見綾子「技藝天」を読み了える。
 今月8日の記事、小池文子・句集「巴里蕭条」に次ぐ。
 実は2冊の句集の間に、17番目の句集、高柳重信「青彌撒」があるが、読まなかった。数行の分かち書きがきであり、定型も守られていない。俳句が外国で盛んになり、翻訳、また外国語の俳句など、逆輸入された影響かも知れない。
概要
 細見綾子(ほそみ・あやこ、1907年~1997年)は、結婚後2年で夫を亡くす(結核で病没)など、22歳までに両親、夫を失い、病臥した。戦前の1942年、句集「桃は八重」がある。
 1947年、社会性俳句の旗手、沢木欣一(1960年以降、志向を変える)と結婚、俳誌「風」を助け、1子を得る。ただし社会性俳句へは傾かなかった。
 原著は、1974年、角川書店・刊。519句、著者・あとがきを収める。第5句集。
感想

 生活実感の籠った句風である。社会性俳句、前衛俳句に傾かなかった。
 旧師・青々には、「つらい冬の時代である現在を気長に耐えていればいつか春がやってくる」という教えがあり、彼女もそれを守り、後に旺盛に句集を刊行した。
 定型、季語、旧仮名、古典文法を守っての、達成である。
引用
 以下に5句を引く。
一人旅すすきの許(もと)の休み石
故郷の粟餅を焼き老いんとす
春雪のはげしさをもて死を惜しむ(深田久弥さん急逝)

雪嶺へわさび根分けの目を上ぐる
青梅に紅さすはつか東慶寺
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




詩集ふくい2018
 「年刊 詩集ふくい 2018 第34集」を読み了える。
 入手は、今月2日の記事
「県詩人懇話会より、2冊と1紙が届く」の初めで報せた。
 
「同 2017」の感想は、2017年11月6日の記事にアップした。
概要
 2018年10月30日、福井県詩人懇話会・刊。55名58編の詩、執筆者名簿、63ページに渉る「’17ふくい詩祭 記録」、他を収める。「高校生の部」として、2名2編の詩を収載する。
感想
 時代のせいなのか、観念語を多用する作品があり、詩の観念化に繋がらないか心配である。
 M・あずささんのソネット3編、N・良平さんのソネット「風のソネット」、T・恵子さん「遊歩断章」とM・まさおさん「頭が寒い」が1連3行の連を連ねるなど、定型への寄り付きはあるようだ。僕もソネット「おじや」を寄せた。
 N・益子さん「おーい、まー坊」、H・はつえさん「ピアノ売ります」が、長いスパンの回想を詩っているのも、年齢と時代の故か。
 詩人懇話会では「詩の教室」など、年少者への詩作の誘いかけを行っており、大きく育つとともに、会員の老齢化を補う事を期待している。


 福井県俳句作家協会「年刊句集 福井県 第56集」(2018年3月・刊)より、5回目の紹介をする。
 先の4月23日の記事、
同(4)に次ぐ。
概要
 今回は、106ページ~121ページの16ページ、31名の310句を読んだ。
 坂井地区(あわら市、坂井市)のすべてである。
感想
 この句集では、定型に収まった句が多い。戦後の1時期、あるいは前衛俳句に多かった(僕の少ない記憶では)、破調がない。
 また句風も穏やかな作品が多い。老後に穏やかな生を願う俳人が、多くなったのだろうか。
 人事を吟じた句が多く、人の関心が自然・景色よりも、人事に移って来た事が知られる。
引用
 E・寛子さんの「朝顔」10句より。
鰤起し一寸先はなまり色
 T・孝子さんの「七草粥」10句より。
豆飯や女どうしの昼の膳
 N・進さんの「秋の日」10句より。
電車待つ幼き二人夏帽子
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写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。





 先の1月8日の歌集の記事に続き、邑書林「セレクション歌人3 江戸雪集」より、「散文」の章を読む。
 歌論の「佐竹彌生論」と寺山修司論「誤解をおそれないひと」、それにNTT DoCoMoで配信していた短いエッセイ「短歌のある日々」より11編を収める。
佐竹彌生論
 「…ひとりの歌人と出会った。というより、ひどく孤独で清廉な「歌」に出会ったという方がよいだろうか。」と、短歌との出会いらしい事を描く。佐竹彌生のストイックで死を想う等の歌を幾つも引きながら、魅力を説く。自分の感性に珍しく近いものを感じたのだろう。
 僕は俗な世過ぎの、1瞬の聖を捉えて歌を作る方法を取って来た(現場労働でも、遠い通院でも、ネット漬けのリタイア後でも)ので、ここに引かれる佐竹彌生の歌には、僕は惹かれない。
 人は誰でも、他人には意外な、出会いを持つものだ。
誤解をおそれないひと
 寺山修司の歌論と短歌への、共感を述べている。寺山修司の言葉「私の体験があって尚私を越えるもの、個人体験を越える一つの力が望ましいのだ。」に、「喜んで賛同したし、今も変わらない。けれど、それと同時に、「あるがままの世界」或いは「私」を越えて創造する難しさにどうしようもなくなってしまうときがある。」と嘆く。短歌の普遍性は、定型と歴史(の新しい1歩)が、おのずと齎すと考えるのは、甘いだろうか。
短歌のある日々

 気さくなエッセイで、マンション暮らしの恐怖、少年達への共感、ユーモア、しんみり、とエッセイの要素に事欠かない。エッセイのせいか、一般向けのせいか、子供が大きくなって来た(3歳~4歳)せいか、ここには安らぎがある。
 この本にはこのあと、藤原龍一郎の江戸雪・論「咲くやこの花」、略歴、あとがき、初句索引を収める。続く歌集を、僕の読む日が来るだろうか。
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写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。



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