風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケが、2017年10月17日付けで、AmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)を発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 再任用・リタイア前後の、庶民の日々の悲喜哀歓を綴った4章48編と、巻末に哲学風小連作・2章7編を収めます。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 詩集 日々のソネット」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。
 また、ブログの右サイドバーの上部、アクセスカウンターの下に、Amazonアソシエイトのリンク画像「あなたへ詩集をAmazonで」を貼りましたので、画像をクリックしてくだされば、購入サイトへ飛びます。
 kindle版で540円(税込み)、kindle unlimited版も発行しています。よろしくご購入をお願い致します。

宮柊二

 11月24日(第4金曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第21回を持った。
 
同・第20回は、先の10月28日の記事にアップした。
 歌誌の貸し借り、返却のあと、研究会に入った。研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は、歌集「日本挽歌」(1953年・刊)より、「孤独」の章の「六階の部屋」の節(104ページ)よりである。
 節の題の「六階の部屋」は職場の事らしく、「はかなしと一人ごちつつ立てるとき無人の机あり吾をめぐりて」の歌がある。一人での残業の終いだろうか。「机」は「き」と読むのだろう。
 次の「智慧出 有大偽」の節の「をさなごよ汝(いまし)が父は才(ざえ)うすくいまし負(おぶ)へば竹群(たかむら)に来(く)も」の「負へば」が「負ひて」でないのは、負った時には竹群に行く当てはなかったのだろう。
 次の「鉄道草」の章の初め、「群(むらが)れる蝌蚪(くわと)の卵に春日さす生れたければ生れてみよ」の結句字足らずの歌とともに、名歌として有名でもある。
 「選歌行」の節の、「露ふかきダリアの花を音たててするどく食みゆくきりぎりすをり」の歌は、音に敏感で、よく観察しているという評があった。

 「朦朧」の章の、「「土を盛る墳(はか)にたづさふる悲しみ」となげかひしものを少しく解(かい)す」の「たづさふる」は「たづさふ」の連体形、「携わる」に近い語で、「関わる」の意味だろう。遺跡発掘の学者の事だろうか。
 この「朦朧」の章のしまい(109ページ)、10時半くらいに、僕の腰が痛んでギブアップした。次の研究会の日程を確認して、散会した。
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写真ACの「童話キャラクター」の「桃太郎」より、宝物のイラスト1枚。


 10月27日の午前9時半、メンバー3人が喫茶店の隅で、短歌研究会B第20回を持った。
 同・第19回は、先の9月28日の記事にアップした。
 まず歌誌・歌集の貸し借り、返却をして、しばらく話したあと研究会に入った。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 前回で歌集「晩夏」を了えていたので、第5歌集「日本挽歌」(1953年、創元社・刊。306首)に入る。
 主な話題となった所を挙げる。
「雨となる午後」の章
 「悔しけど」の歌、「永遠の諦めも現実に随ふと為(せ)ん」の「も」は他の何を指すか、Tさんが問う。僕は「生活も」だろうと思う、と述べた。
 「つらなめて」の歌の、初句「つらなめて」は、「列並めて」の漢字にあたる。また結句の「揺ぐ」は、「ゆらぐ」と読むのだろう。
 「旅にきて豊年まつりのうたきけり歓ぶこゑの身に沁むものを」の歌は、宮柊二が書店の子で、東京に出奔して、農業の経験が無い上での、感慨だろう。

「孤独」の章
 「冬ふかむひかりとおもふ道の上に俄にあらき凹凸見えて」の「ひかり」は、街灯の光か、とTさんが問う。僕は日光だと思っていた。「俄に…見えて」から、当時まだ少なかったであろう、街灯の光だろうという事になった。
 結句の「凹凸」は(でこぼこ)ではなく、(おうとつ)と読むのだろう、と僕とMさんの意見が一致した。
 この所104ページ、10時半頃で僕が腰痛のため、ギブアップした。次の短歌研究会Aの日程を決め、40分頃に散会した。
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写真ACの「童話キャラクター」の「桃太郎」より、きび団子のイラスト1枚。



 

 昨日(6月30日、金曜日)にメンバー3人が、朝9時半に喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会B第16回を持った。
 
同・第15回は、先の6月4日の記事にアップした。
 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 前回に続き、歌集「晩夏」の「白梅紅梅」の章の、4首目から(81ページ)。
 「屈竭(くつかつ)のこころ放ちて仰ぐらく」という上句の「屈竭」がわからない。「竭」の字は漢和辞典で探せるが、意味がよくわからなく、「渇に通じる」だろうか。思いが渇き屈している意か。
 「梅の園尽きむとしつつ草の上(へ)に羞ぢらふごとく白(しろ)散りて来つ」の「羞ぢらふごとく」の比喩は、白い小さい清楚な花の散りようを指すだろう。
 「うつうつと汗ばむ吾が身」という上句の「うつうつと」は、「うとうとと」の意味である。
 「昨夜(よべ)ふかく酒に乱れて帰りこしわれに喚(わめ)きし妻は何者」は、奥さんの英子さんが夫の深酒に喚いた事はない、と証言しており、宮柊二も「詩的真実」と認めていたらしい。
 「おもおもと空の曇りの退(ひ)きし門(かど)向日葵に夕べあきつ集る」の初句の「おもおもと」は辞典になかったが、「重々しく」の意で、「退きし」に掛かるのだろう。
 上句が「雨ののちのぼれる月の照れれども」の「照れれども」の後の「れ」は、完了の助動詞「り」の已然形である。
 1時間が過ぎた10時半頃、Mさんが僕の腰痛の具合を訊いてくれ、切り上げる事にした。貸し借りの本を返し、Tさんが先輩の歌集を、Mさんが収穫したたくさんの李を、僕に下さった。僕はタブレットより、最近の花の写真と、Amazon Kindleに収めた歌集を、説明した。
 次の会の日程を決め、10時45分頃に散会した。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


 6月2日(金曜日)に、5月30日・予定だった短歌研究会B第15回を、僕の都合で日程をずらして持った。
 
同・第14回は、先の4月29日の記事にアップしてある。
 喫茶店の1隅に、メンバー3人が、朝9時半に集まった。
  僕がTさんに借りていた歌集を返し、ツイッターの話などのあと、研究会に入る。
 同・Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の、読み込みである。
 歌集「小紺珠」より、「小現実」の章の「赤い燠」の節(76ページ)より入る。
 1首目「「もっと苦しめ」といふ声ぞする」の苦しみの源は、従軍体験と作歌の困難を、重ねているのだろう。
 「袖無し着たり」の幼子は、当時として豊かだったか貧しかったか、今の僕たちにはわからない。
 「黄と仄青(うすあを)のけむり行く」の「仄」は淡ではなく薄でもない、拘りがあったのだろう。焚き火の煙を詠むのは、他の歌にある「小現実を歌にせむかな」の実践である。
 「いくばくかわれの心の傾斜して日当る坂を登りつつあり」の「傾斜」を、僕は崩れ、後退かと取ったが、内向きになっている、「坂」との縁だろう、という意見だった。また、宮柊二は結句が上手い、という感想が出て、改めて意識した事だった。
 「わが国人(くにびと)の」の句があって、日本人を指すのだろうが、郷里の人を指すか、よくわからなかった。
 「たたかひの中に育ちし子のまへに多く黙しておくれゆく父」の、「子」は自分、「父」は実父を指すのだろう。
 歌集「晩夏」(1951年・刊)に入り、3首進んだ(81ページ)所で、僕が腰痛でギブアップした。喫茶店のベンチ椅子が固い。
 予定は11時までの所、10時半に、次の予定を決めて散会した。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。


 昨日(4月28日、金曜日)に、メンバー3人がある喫茶店に集まり、短歌研究会B第14回を持った。
 
同・第13回は、先の3月24日の記事にアップした。
 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 研究会の常は、朝9時半~11時だが、3人それぞれの都合があり、遅く始まり早く終わった。
 まず歌集「小紺珠」より、前回に続く「無援の思想」の章(73ページ)より入る。
 「積みあげし鋼(はがね)の青き断面に流らふ雨や無援の思想あり」の1首の、4句までと結句の繋がりが、僕たちにはもうわからない。
 「録音」の節の「ラヂオより流るる英語鋭くて…」「応答に抑揚低き日本語よ…」の2首は、戦犯を裁く東京裁判を描いた歌と推測した。
 「小現実集」の章では、「堅炭(かたずみ)を一俵買いて蔵(しま)ふとぞああ吾妻(あづま)はやその果無事(はかなごと)」では、現役サラリーマンと主婦(歌人でもある)の金銭感覚の違いが表われているようだ。
 「混沌と進む重大を覚えつつ…」は、日本と世界の世相を指すらしい。
 別の歌の「われには杳(とほ)しチロルの干草」の結句の由来が、3人ともわからないが、のどかな物語があるのだろう、と推測した。
 様々に語り、75ページに至った。
 誌、本の受け渡しのあと、次回の研究会の日を決め、10時半頃に散会した。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。


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