風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケ(ハンドル名)が、この10月17日付けで、AmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)を発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 再任用・リタイア前後の、庶民の日々の悲喜哀歓を綴った4章48編と、巻末に哲学風小連作・2章7編を収めます。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 詩集 日々のソネット」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。
 また、ブログの右サイドバーの上部、アクセスカウンターの下に、Amazonアソシエイトのリンク画像「あなたへ詩集をAmazonで」を貼りましたので、画像をクリックしてくだされば、購入サイトへ飛びます。
 kindle版で540円(税込み)、kindle unlimited版も発行しています。よろしくご購入をお願い致します。

宮柊二歌集

 9月27日(水曜日)の午前9時半に、メンバー3人が喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会B第19回を持った。
 
同B・第18回は、先の8月31日の記事にアップした。
 まず歌誌等の貸し借り、返却をし、Tさんの発案だった、岩波文庫「土屋文明歌集」(僕がアマゾン・マーケットプレイスで3冊を買った)を、それぞれ2人に渡し、代金を受け取った。
 研究会Bは、まず岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みに入る。
 第4歌集「晩夏」の、前回に継ぎ「しぐれ降る」の章(93ページ)より。
 「文学に殉(したが)ふごとく言ふ聡(さと)さ淋しきときに憶ひゐにけり」、「おぼろなる行為なしつつ移りゆく一群も思想を表白せよ」の2首は、時代を隔てて判然としないが、一時は激しかったものの次第に後退してゆく日本戦後文学(文学の戦争責任論を含めて)を指すのだろうか。
 「停年にいたりし彼を迎ふるは老妻(おいづま)ひとりと無限悲哀感」と詠むけれど、僕は定年の時に妻とお祝いをし買い物をしてもらい、再任用職も辞めたあとにはストレスからの解放感があった。
 「階段の途中にて窓にわれは寄る鷗乱るる空脆く見え」の歌などが、宮柊二の歌として、当時の最も優れた境地だと、僕は思う。

 「犬と鳩と」の章に入る。「ふぐり下げ歩道を赤き犬はゆく帽深きニイチエはその後(あと)を行く」の下句は、幻視か詩的真実か。
 「若き面(おも)(やつ)るるまでに確かなる意味を言ひたく言ひがたきらし」は、青年が思いは確かだが適切な言葉を持たない焦燥らしい。
 「生(いき)の上(へ)に深くかたみにきずつけば輝くといふ未来恋(こほ)しも」の、「かたみに」は「妻と互いに」と取り、「恋しも」は確実に早く豊かな時代が来てほしい、という希望だっただろう。
 「心弱れば」の章に入る。「熱くなる土としおもふ五月二十八日松葉牡丹を越ゆる蟻あり」のリアリズムと、次の「晩春の何かしづけくもの悲しき昼ありしかな記憶に生きて」の心象との振幅の大きさに、生の困難を見る。
 「梅雨どき」の章では、朝鮮戦争の時期に、自分が従軍した苦しみを忘れられない事を描いているようだ。これで歌集「晩夏」を終える(98ページ)。
 次回の短歌研究会Aの日程を決め、10時45分頃に散会した。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



 8月30日(水曜日)の午前9時半より、メンバー3人が、ある喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会B第18回を持った。
 
同B・第17回は、先の7月31日の記事にアップした。
 なお2つの間に、同・A(お互いの詠草の検討会)第38回を、8月16日に予定していたが、メンバーの都合が難しくなり、中止となった。
 メンバー3人は、1ヶ月ぶりの再会を喜び合った。歌誌などの貸し借りをする。
 研究会・Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の、読み込みである。
 第4歌集「晩夏」の、「春さきのころ」の章(89ページ)より、前回に続いて。
 「幼子のこころにおかむ寂しさは何ならむこよひ早く眠りたり」の第4句は、「何ならむ/こよひ」の句割れであり、結句と共に字余りである。その前の歌と共に、子供に向ける思いが優しい。
 「悲しみといふほどならずかがやきて永き一日(ひとひ)の空にゐる雲」では、僕は雲を悲しく思いそうだと取ったが、他の2人は別に悲しみがあって、空には雲がある、と取ったのだった。
 「行春(ゆくはる)の銀座の雨に来て佇てり韃靼人セミヨーンのごときおもひぞ」の4句は、字余りの句として有名である。セミヨーンとは、ガルシンの小説「紅い花」の主人公、線路番のセミョーンの事とされる。
 「山鳩のこゑ」の章(91ページ)に入る。「惨たる戦争態(せんさうたい)の来(きた)らむを知らざりし殉死の将軍かなし」の将軍が誰か、わからない。乃木将軍では時代が合わず、1943年に戦死した山本五十六・元帥を、殉死と詠んだか。
 「晩夏」の章(92ページ)末、「七夕ののちの夜の月ふけて照る花圃に静けし芥子の坊主も」の2句3句は、「のちの夜更けの照る月に」であって、ずるいなあと思う。先師を批判しても始まらない、と3人の話が一致した。
 次の研究会の予定を決め、11時頃に散会した。
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写真ACの「童話キャラクター」より、「シンデレラ姫」の1枚。



 7月30日(第5日曜日)の朝9時半に、メンバー3人がある喫茶店の1隅に集まり、短歌研究会B第17回を持った。
 
同・第16回は、今月1日の記事にアップした。
 研究会の前に、少し早く来た僕は、かき氷のレモンを食べていた。やって来た2人は、アイス菓子とアイスコーヒーを摂った。歌誌の貸し借り、返却をする。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の、読み込みである。
 前回に続き、歌集「晩夏」の「砂光る」の章(86ページ)の初めより。
 1首目の「重ねこし両手(もろて)を解きて椅子を立つ判決放送の終りたるゆゑ」の初句、なぜ「重ねゐし」ではないのかと、Tさんが問う。(「判決放送」は、1948年の「極東軍事裁判所」のA級戦犯への判決である)。もっともな問いであるけれど、時間が長く、作者の思い入れが強かったのだろう。
 次の「廿五名の運命をききし日の夕べ暫く静かにひとり居りたし」の下句は、他人とは違う感慨があり、それに耐えている思い、と僕は読んだ。物思いを整理するため、という意見があった。
 「砂光る」の初めは、思いをはっきり言う事が憚られるため、「回り持って言う」点があると、Mさんは述べた。
 「をさな子二人」の節では、「吸殻を灰にうづめぬ平(なら)されて」の歌は、判決放送より平静を取り戻したかに思える。
 「するどき音」の章では、「禱るがに秘めて耐へこし一つごと妻居らぬ部屋に座りてゐたり」の秘め事は、従軍に関わる事、大事な事だろう、と推測した。
 「わが胸に住む兇暴の鴉らが西に東に漂泊(さまよ)ひて鳴く」、「翼(はね)搏ちて荒寥と空に鳴きあぐるまがつ鳥鴉を胸ふかく飼ふ」の2首に、他のメンバー2人が共感を示した。
 この章を了え(89ページ)、10時半過ぎながら、研究会を仕舞った。次の研究会の日程を決め、散会した。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


 昨日(11月13日、日曜日)の午後1時半より、僕と女性2人のメンバー3人で、短歌研究会B第9回を、某喫茶店の1隅で持った。
 同・第8回の
記事(←リンクしてあり)は、先の10月7日付けでアップした。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」の読み込みである。
 今回は主に第二次大戦に従軍中の作品を集めた「山西省」より、昭和17年(1942年)の作品、5ページを読んだ。
 「…静かなる夜半なり雪に砲声きこゆ」は、「静か」と「砲声」の逆説が、従軍の極度の緊張を表わしている。
 「滹沱河(こだがわ)の水の響の空を打ち秋は来にけり大き石の影」は、純粋に叙景歌として成立すると、3人の感想が一致した。
 「馬家圪垜(ばかきつだ)」は、地名であろうと推測した。
 「鞍部」は、「山の稜線のくぼんだ所」とわかる。僕とMさんの電子辞書に、同じ広辞苑第6版電子辞書版が入っているので、すぐ一致した解が出る。
 照る麦の穂を見て笑いがこみあげるのは、平和と戦争のギャップから来るようだ。
 「もの悲しく小鼓と鉦を打つきこゆ」の上の句は、葬儀の様らしいと推測した。
 昭和17年分の最終の「耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず」は字余りの1首として有名で、思いは確かには判らないが、戦争の非人間性を怒る歌だろう。
 他にも様々に語り合った。
 2時40分頃に研究会が済んだが、次回の研究会Aの日程を決め、支払いで僕がTさんに面倒を掛け、3時頃に散会した。
菊6
フリー素材サイト「Pixabay」より、菊の1枚。




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