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 今月22日の記事「入手した2冊」で、頂いた事を報せた、同人詩誌「果実」76号を読み了える。
 
同・75号は、昨年10月22日の記事にアップした。
 今は政治家の強引な言動で、言葉に関わる者にとって、災難の時代である。詩を書く者にも、レトリックの美しさを誇る詩は、後退しつつあるようだ。
 「詩人は言葉の専門家ではなく、心の専門家でなけれなならない」という、僕の主張通り、「人の心」に執するものだけが、詩を書き続けられるだろう。
 N・昌弘さんの「黄色い世界」「マジシャン」は、背高泡立ち草、認知症患者に「成り代わる」方法で以って、辛うじてレトリックを成り立たせている。
 H・則行さんの「形見」は12歳で死に別れた父への思い、K・不二夫さんの「どちらがいいか」では妻との信念の齟齬が、W・本爾さんの「隣の空き地に」では、隣りの空き地に家を建て越して来る若い夫婦との、人間関係への期待が、詩を成り立たせている。
 T・篤朗さんは、東日本大震災「瓦礫のむこう」、核問題「人」と、困難なテーマに向かっている。「まんとひひ」の道化、「百日紅」の自然詩、「夕鶴」の民話も、失われて行く世界への予感が潜むようだ。