風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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岩波文庫

 5月31日(第5木曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会B第24回を持った。
 4月25日の記事、
同・第23回に次ぐ。
 僕がアイスコーヒーを、Mさんがブレンドコーヒーを、Tさんがアメリカンコーヒーを注文し、歌誌・歌集の貸し借り・返却の後、研究会Bに入る。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は、120ページの始め、歌集「多く夜の歌」の「北海道羈旅」の章の途中からである。
 初めの「表現は生(せい)の営為につながると我はしも言へりこころ定(さだ)めて」は、厳しい言葉である。ただし次の章には、「わがうちの見悪(みにく)き悪魔をりをりに笑ひてゐたり見てをりき我は」の歌もあり、聖人的な生を送っていた訳ではなさそうだ。
 「八月の歌」の節の何気ない生活詠3首は、「八月」の示すように、戦争体験をへて生活の平穏を大事にする思いの表われだろう。
 章題「自方冬至短至」の読み方、意味が3名共にわからない。
 「楊(やなぎ)のわた」の語がはっきりしないTさんに、僕は「柳絮」の語があると示し、Tさんも電子辞書の広辞苑で確認した。
 123ページの「瑠璃と紅」の章に、「ひらめきし稲妻のなか卓に置く指太きこの消極の掌(て)よ」、「おもほえば恥ふかむのみ一切事(いつさいじ)(あく)せぬのみの茫々にあり」の2首がある。従軍経験を経た身は、一切の悪を為さない覚悟があり、家族を守る・短歌で活躍する、という積極の事を成している、と3人で話し合った。
 様々に語り合ったが、書ききれない事もある。
 次回の予定を決め、10時半過ぎに散会した。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。




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メゾンテリエ・他
 岩波文庫のモーパッサン・短編集「メゾンテリエ 他三篇」(河盛好蔵・訳)を読み了える。
 文庫本棚には、多くの文庫本が収まっているので、気の向いた1冊を、いつでも取り出せる。
概要
 1940年・初刷。1976年・16刷・改版。1991年・21刷。
 モーパッサンの短編小説、「メゾンテリエ」、「聖水授与者」、「ジュール伯父」、「クロシェット」を収める。
 戦前の翻訳に手を入れる事で、今でも読めて鑑賞し得るのは驚きである。翻訳者が、読み手の心に精しいのだろう。
感想
 訳者は解説で、「メゾンテリエ」をしきりに持ち上げるけれども、娼館のばか騒ぎにも、娼婦らによる信仰の奇蹟的場面にも、関心のない僕は、感心しなかった。
 「聖水授与者」は、5歳の一人息子を攫われた夫婦が、パリに出て捜し続け老い衰えて、偶然に息子を見つける結末となる。絵本か童話のような筋立てだが、苦しみの後の幸福は、涙ぐましいものがある。
 「ジュール伯父」、「クロシェット」は共に、貧しい者への憐みを描いている。
 モーパッサンは、このような作者であったかと、久しぶりに読んで、心地好かった。AmazonのKindleで、作品集が廉価に出ていないだろうか。


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 4月24日(第4火曜日)の午後1時より、喫茶店で短歌研究会B第23回が持たれた。同・A第44回は、今月19日に持たれた。
 2月2日の記事、
短歌研究会B第22回以来の、研究会Bである。
 喫茶店に早目に来て待つこと数分、現われたのはTさんである。Mさんはご家族の入院で、遅れるか、来れないかも知れないとのこと。
 僕にも不安があって、外出用の眼鏡とパソコン用の眼鏡を、取り違えて使っていた。視力0・1以下の僕が、ブルーライト・カットだけのパソコン用眼鏡で、よく車を運転したものだ。デザインが似ていて、以前にも何度か間違えており、気を付けたい。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は、歌集「日本挽歌」(1953年)の「地の塩」の章(113ページ)より。
 初めの「竹群に朝の百舌鳴き」の結句「冬の塩」の字足らずは、中句の「いのち深し」(自分と百舌の命だろう)の詠嘆と相俟って感銘深い。
 「蠟燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代(よ)過ぎぬ」は、名歌として有名である。Tさんが、宮柊二には、蠟燭の歌が幾つかある、停電の多かった時代としても、と指摘する。
 第6歌集「多く夜の歌」(1961年)に入る。
 「灰皿」の章(117ページ)の「竹群(たかむら)の空青青と音なくて寂しき春の時間ぞ長き」に、僕は掛り結びと空き時間を、Tさんは春愁を指摘した。
 「雛祭り」の章では、「はうらつにたのしく酔へば」の歌を、Tさんが好むと述べた。
 20分くらい遅れて、Mさん登場。
 「竹群(たかむら)に春の疾風(はやかぜ)うちとよみ」の歌は、なぜ「はやち」と読ませなかったか、わからない。
 「北海道羈旅」の章では、「春楡の午(ひる)の林に入り来ればこゑもの憂くて郭公鳥啼く」をMさんが好みだと述べ、彼女の歌風に通うと納得した。
 午後1時45分頃だったが、僕の眼鏡とMさんのご家族のこともあり、研究会を打ち切った。
 次の研究会の日程を決め、散会した。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


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 先の1月31日(水曜日)の午前9時半より、喫茶店にメンバー3人が集まって、短歌研究会B第22回を持った。僕は寝坊して、5分遅れた。
 
同・第21回は、昨年12月に欠けたので、11月25日以来である。
 飲み物を注文のあと、歌誌・歌集の貸し借り、返却をし、研究会に入った。
 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は第5歌集「日本挽歌」(原著は1953年、創元社・刊、306首)より、「藪下道」の章(109ページ)よりである。
 「夢々惨々(ぼうぼうさんさん)として未来あり」の「夢々惨々」が、広辞苑にもなく、3人にわからない。前例があるのだろう。
 「新聞配達と/して働きき/戦争に兵たりき/今宵四十歳の/矮(ひく)き影あり」の上句は「新聞配達として/働きき戦争に/兵たりき」と切るのかも知れないが、いずれも異様な詠み方である。
 「みづからを偽るまいとおもふとき身体ほてりて夜の闇にをり」は、誰にも偽りはあるのに、自分に厳しい歌人だった、と意見が一致した。
 「新潟の浜」の章。「砂しけば臀(いしき)冷えきつ夏さきの波しづかなる日本海のおと」は、「砂しけば」が「草を藉く」の例があるが、「砂の上に座る」を略して、また「臀」が「臀部」を略して、上手である。「夏さき」は「春先」などと同じく、初夏だろうか。「日本海」と大きく詠んでいることを、Mさんが感心した。
 「夏日幻想」の節(111ページ)より。「銃を負ひ/背嚢を負ひ/たちまちに/苦しわが幻/影あゆみ去る」、「壇上に/反軍備論/すすみつつ/不思議なる聴/衆の沈黙あり」と読むのだろうか。前衛短歌の波があったとしても、大胆な詠みぶりである。
 「水面」の章に入り、初句「曇(くもり)映る」は、「雲映る」にしてしまいがちだが、拘りがあったのだろうとTさんの発言があった。

 結句「わが貧長し」があり、夫婦、病む老人たち、未婚の弟妹、子供たちを抱えて、たいへんだったのだろう。
 113ページの2首でもって、研究会を了え、次回の日程を決めて、10時45分頃に散会した。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。



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 11月24日(第4金曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第21回を持った。
 
同・第20回は、先の10月28日の記事にアップした。
 歌誌の貸し借り、返却のあと、研究会に入った。研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は、歌集「日本挽歌」(1953年・刊)より、「孤独」の章の「六階の部屋」の節(104ページ)よりである。
 節の題の「六階の部屋」は職場の事らしく、「はかなしと一人ごちつつ立てるとき無人の机あり吾をめぐりて」の歌がある。一人での残業の終いだろうか。「机」は「き」と読むのだろう。
 次の「智慧出 有大偽」の節の「をさなごよ汝(いまし)が父は才(ざえ)うすくいまし負(おぶ)へば竹群(たかむら)に来(く)も」の「負へば」が「負ひて」でないのは、負った時には竹群に行く当てはなかったのだろう。
 次の「鉄道草」の章の初め、「群(むらが)れる蝌蚪(くわと)の卵に春日さす生れたければ生れてみよ」の結句字足らずの歌とともに、名歌として有名でもある。
 「選歌行」の節の、「露ふかきダリアの花を音たててするどく食みゆくきりぎりすをり」の歌は、音に敏感で、よく観察しているという評があった。

 「朦朧」の章の、「「土を盛る墳(はか)にたづさふる悲しみ」となげかひしものを少しく解(かい)す」の「たづさふる」は「たづさふ」の連体形、「携わる」に近い語で、「関わる」の意味だろう。遺跡発掘の学者の事だろうか。
 この「朦朧」の章のしまい(109ページ)、10時半くらいに、僕の腰が痛んでギブアップした。次の研究会の日程を確認して、散会した。
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写真ACの「童話キャラクター」の「桃太郎」より、宝物のイラスト1枚。


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 8月30日(水曜日)の午前9時半より、メンバー3人が、ある喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会B第18回を持った。
 
同B・第17回は、先の7月31日の記事にアップした。
 なお2つの間に、同・A(お互いの詠草の検討会)第38回を、8月16日に予定していたが、メンバーの都合が難しくなり、中止となった。
 メンバー3人は、1ヶ月ぶりの再会を喜び合った。歌誌などの貸し借りをする。
 研究会・Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の、読み込みである。
 第4歌集「晩夏」の、「春さきのころ」の章(89ページ)より、前回に続いて。
 「幼子のこころにおかむ寂しさは何ならむこよひ早く眠りたり」の第4句は、「何ならむ/こよひ」の句割れであり、結句と共に字余りである。その前の歌と共に、子供に向ける思いが優しい。
 「悲しみといふほどならずかがやきて永き一日(ひとひ)の空にゐる雲」では、僕は雲を悲しく思いそうだと取ったが、他の2人は別に悲しみがあって、空には雲がある、と取ったのだった。
 「行春(ゆくはる)の銀座の雨に来て佇てり韃靼人セミヨーンのごときおもひぞ」の4句は、字余りの句として有名である。セミヨーンとは、ガルシンの小説「紅い花」の主人公、線路番のセミョーンの事とされる。
 「山鳩のこゑ」の章(91ページ)に入る。「惨たる戦争態(せんさうたい)の来(きた)らむを知らざりし殉死の将軍かなし」の将軍が誰か、わからない。乃木将軍では時代が合わず、1943年に戦死した山本五十六・元帥を、殉死と詠んだか。
 「晩夏」の章(92ページ)末、「七夕ののちの夜の月ふけて照る花圃に静けし芥子の坊主も」の2句3句は、「のちの夜更けの照る月に」であって、ずるいなあと思う。先師を批判しても始まらない、と3人の話が一致した。
 次の研究会の予定を決め、11時頃に散会した。
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写真ACの「童話キャラクター」より、「シンデレラ姫」の1枚。



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 昨日(6月30日、金曜日)にメンバー3人が、朝9時半に喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会B第16回を持った。
 
同・第15回は、先の6月4日の記事にアップした。
 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 前回に続き、歌集「晩夏」の「白梅紅梅」の章の、4首目から(81ページ)。
 「屈竭(くつかつ)のこころ放ちて仰ぐらく」という上句の「屈竭」がわからない。「竭」の字は漢和辞典で探せるが、意味がよくわからなく、「渇に通じる」だろうか。思いが渇き屈している意か。
 「梅の園尽きむとしつつ草の上(へ)に羞ぢらふごとく白(しろ)散りて来つ」の「羞ぢらふごとく」の比喩は、白い小さい清楚な花の散りようを指すだろう。
 「うつうつと汗ばむ吾が身」という上句の「うつうつと」は、「うとうとと」の意味である。
 「昨夜(よべ)ふかく酒に乱れて帰りこしわれに喚(わめ)きし妻は何者」は、奥さんの英子さんが夫の深酒に喚いた事はない、と証言しており、宮柊二も「詩的真実」と認めていたらしい。
 「おもおもと空の曇りの退(ひ)きし門(かど)向日葵に夕べあきつ集る」の初句の「おもおもと」は辞典になかったが、「重々しく」の意で、「退きし」に掛かるのだろう。
 上句が「雨ののちのぼれる月の照れれども」の「照れれども」の後の「れ」は、完了の助動詞「り」の已然形である。
 1時間が過ぎた10時半頃、Mさんが僕の腰痛の具合を訊いてくれ、切り上げる事にした。貸し借りの本を返し、Tさんが先輩の歌集を、Mさんが収穫したたくさんの李を、僕に下さった。僕はタブレットより、最近の花の写真と、Amazon Kindleに収めた歌集を、説明した。
 次の会の日程を決め、10時45分頃に散会した。
0-18
写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


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