風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

感慨

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 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)の最終巻・第15巻(1981年・刊)に入り、感慨がある。
 初めの句集、石原八束「黒凍みの道」を読み了える。第14巻の最終句集、先の6月14日の記事にアップした、宇佐美魚目「秋集冬蔵」に次ぐ。
概要
 原著は、1975年、牧羊社・刊。380句、あとがき「巻末に」を収める。
 石原八束(いしはら・やつか、1919年~1998年)は、初期に俳誌「雲母」に拠り、1961年・俳誌「秋」を共同創刊。
 1960年より5年間、三好達治を囲む「文章会」を毎月開催。1962年「定本 三好達治全詩集」(筑摩書房・刊)編集で、三好達治の戦争詩をすべて省いたように、三好達治の戦中を隠したかったようで、戦中よりの後輩、福井の詩人・則武三雄に彼はずいぶん冷たく当たったと聞く。
感想

 「内観造型」を唱え、後に詩的宇宙を構成する方向をたどる(三省堂「現代俳句大事典」2005年・刊の「石原八束」の項に拠る)とされる。
 「黒凍みの道」を僕が読んでも、詩的表現が多いと感じる。詩を書けば良いとは言わないが、俳句的発展とは、別の道のようである。国際俳句に貢献した事も頷ける。
引用
 以下に5句を引く。
口裏を合せかねゐる年忘れ
白芥子の吹かれたつとき海となる
いつまでも咲いてさびしゑ寒ざくら
雪ふれよふれ塋(おくつき)の花の母
好き嫌ひ顔に出てゐる秋団扇



 石川書房「葛原繁全歌集」(1994年・刊)より、歌集「鼓動以後」の1回めの紹介をする。
 先の4月21日の記事、同・「鼓動」を読むに次ぐ。
概要
 「鼓動以後」は、著者が1993年に亡くなったあと、歌集「鼓動」以後に紙誌に発表された全ての短歌、1,359首を「全歌集」発刊に際し、まとめて収めたものである。
 紙誌に発表する際には、推敲、選歌があっただろうが、歌集にまとめる際の自分の選歌、推敲はなされていない。
感想
 大部なので、分けて読んで記事化するけれども、何ページごと、という規則は持たない。付箋を7枚貼ったなら、そこで中断して記事化しようと思っている。
 今回は、431ページ~482ページの、52ページを読んだ。1ページ10行組み(章題を含めて)である。
 戦争体験者として、曲折はありながら、戦後の平和と繁栄に、深い感慨があるようだ。
 幼児、少年・少女を見る目は明るい。職を退いたあと、職務に励んできた分、虚しさはあるようだ。
 また故郷の広島県、とくに原爆平和公園を度々訪れている。
引用

 以下に7首を引く。
沿線の戦中戦後を知るものに感慨はありビル林立す
騒音は地上のものか高層のビルに見る東京もの音もせず
おのづから平和公園に我は来つ他に行き場所のなきが如くに
除幕の日学生なりき師の歌碑に今日来て立てば六十路(むそぢ)も半ば(白秋歌碑)
自在とはま寂しきもの企業といふ組織に励みし半生むなし
早春の今日を放たれ遊ぶもの子らは駆けつれて仔犬も走る
去来と彫る小自然石姿よし心にくき墓を残せるものか
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




 土曜美術社・日本現代詩文庫27「関根弘詩集」より、しまいの詩集「奇態な一歩」全編を読み了える。
 今月9日の記事、同「『街』より」に次ぐ。リンクより、以前の関根弘の詩集へ遡り得る。
 このアンソロジーの5詩集より、僕が紹介するのは、3詩集のみである。
概要
 原著は、1989年(69歳)、土曜美術社・刊。29編の詩を収める。
 三省堂「現代詩大辞典」(2008年・刊)に依ると、彼は1994年に74歳で亡くなっており、この詩集以後の詩集はないようだ。
 ルポルタージュ、評論、小説、戯曲などでも活躍した。
感想

 彼は晩年、人工透析を受け、詩集の初めの表題作「奇態な一歩」に表した。「仲間が何人もベッドに頭を並べている/自分一人で世界の不幸を/背負った気になるのは早すぎた//一風呂浴びたような顔をして/帰っていくものがいる」と、苦しみをユーモアに転化した。
 次作の「病床のバラ」の末尾には、「生まれてきて損したよ」との感慨を洩らす。僕は生まれて来て良かったとは思わないが、「損した」とは思わない。様々な喜びを得た。
 詩集の末尾には、神社、お寺をめぐっての作品が多くなる。信仰に入ってはいない。
 政治的前衛かつ芸術的前衛である道は、困難なようだ。
 後は詩論2編、解説1編、年譜が残っている。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


 土曜美術社・日本現代詩文庫27「関根弘詩集」(1990年・刊)より、詩集「街」の抄出版を読み了える。
 今月3日の記事、同・「泪橋」を読む、に次ぐ。
概要
 原著は、1984年、土曜美術社・刊。64歳。
 前年に腹部動脈瘤破裂の大病を患っており(冒頭の詩「病院」で表された)、その時の幻覚聴覚による自殺未遂を経て、体力的に衰えたのではなかろうか。
 後に人工透析を受け、1994年に亡くなっている。
感想

 「劇場」では、「マンションの中の劇場は/いぜんとして貧困と根の切れない/新劇の体質を証明している」と同情するようで、戦前の築地小劇場を懐かしむ。
 「大衆酒場」や「ホテル」では、お酒を好んだ性格が出ている。
 「学校」では「学校そのものが凶器だ」としながら、「復讐するつもりはなかったが/H大の臨時講師になって/詩を講義したとき/学年末にレポートの等級を査定した」と、学歴コンプレックスを晴らした。
 「警察」や「公園」では、変容する時代や社会の、回想に感慨があるようだ。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 

歌壇1月号
 綜合歌誌「歌壇」2019年1月号を、ほぼ読み了える。
 
到着は、今月17日の記事「届いた2冊(4)」にアップした。
 同・2018年12月号の感想は、先の11月28日の記事ににアップした。
概要
 2019年1月1日付け・刊。169ページ。定価:800円(税・送料・込み)。
 ある程度の部数は見込めるだろうけれども、出版業の困難さを思う。
 加藤孝男(以下、敬称・略)の「鉄幹と晶子」、古谷智子「片山廣子」論の連載は過ぎており、篠弘「戦争と歌人たち」は休載が続いた。
感想
 「新春巻頭作品」では、述思の歌が多く、まれに描写の歌があると、親しみが湧く。
 道浦母都子の「土佐堀川」16首には、全共闘世代も老いて、このような感慨を抱くかと関心が持たれた。
 「第7回 ぶつかりインタビュー 佐佐木頼綱 (聞き手 佐佐木定綱)」には、感慨があった。父の幸綱の世代を経て、その息子たちがこれからの歌壇の世代かも知れない。定綱は年齢の近い歌人にインタビューする時、深い話を引き出せるようだ。
引用
 1首のみ引用する。武下奈々子「きつねうどん」8首より。
死にたいと愚図る老い人連れ出してきつねうどんを食べさせにけり
 家庭で老人を世話する、誠実さの極限だと僕は思う。結句の「にけり」には引っ掛かるけれども。




 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、合同歌集「候鳥」「湖明」の岡部文夫・集を読み了える。
 今月6日の記事、
3合同歌集より岡部文夫・集を読む、に次ぐ。
概要
 「候鳥」:1952年、長谷川書房・刊。全歌集で9ページ。
 「湖明」:1954年、海潮短歌会・刊。全歌集で見開き2ページ内。
感想
 戦後となると、自然詠は少なく、人事詠、家庭詠、心境詠が多くを占める。
 自然詠の余裕は少なく、満足していられなかったのだろう。
 この全歌集の後は、解説、年譜、初句索引などで、歌集編はこれで了いなのだが、934ページの大冊を読み了えた感慨はない。早い時期の合同歌集だからだろう。
 生前しまいの歌集、「雪天」を読み了えた時は、感慨があった。この歌人の場合、境涯と離しては、短歌を味わい得ないのだろう。
 彼が福井県を終生の地としてくれた事は、親しみと共に、感謝の念がある。
引用

 以下に7首を引く。
木蓮の花びら白く布(し)きたるを拾ふをさなご何に用ゐる
吾児(あこ)が持つしろたへ木槿(むくげ)八十四歳の君が母しきりにほしがりたまふ(哲久生家)
洗ひたる銀杏(ぎんなん)を白く石に置く老いてさびしきことばかりなり
すきとほるばかりになりし釘ひとつ紺の炎の中にみゆるを
蜜柑箱に桟を打ちゐし吾が妻が上等上等といひて立ちあがる
天井の影は煮干の籠ならむしまらく揺れてをりてやみたる
菜の花の中の往還を吾が母とをさなき吾とゆきし昨夜(よべ)の夢
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写真ACより、「アールデコ・パターン」のイラスト1枚。



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