風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 お報らせです。2020年2月20日で以って、Kindle本・短編小説「底流」を自力発行致しました。原稿は自分で作成し、表紙はデザイナーさんにお願いしました。上梓は自力で行いました。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリで、「柴田哲夫 底流」と検索すれば、すぐに出て来ます。柴田哲夫は、Kindle版・詩集「詩集 日々のソネット」、「改訂版ソネット詩集 光る波」と同じく、僕のペンネームです。価格は500円ですが、Kindle Unlimited版を追加金無料で購入できます。Kindle版の無料キャンペーンも随時行ないます。多くの方のご購読を願っております。

戦争

 2月14日午前10時より、和田公民館にて、和田たんぽぽ読書会が持たれた。
 前回の同(3)新年会をかねて、は先の1月15日の記事にアップした。



奥のほそ道 リチャード・フラナガン
 今回の課題図書は、リチャード・フラナガン「奥のほそ道」(渡辺佐智江・訳、2018年・白水社・刊)。454ページ。

 僕はこの本を、ほとんど読まなかった。当事者ではない著者であり、僕は敗戦者の子として、おびやかしは感ずるけれども、これからの反戦に役立つか疑義があった。

 戦争は苛酷であり、戦後も幸せになれない(ベトナムより帰還した米兵など)。それなのに内戦という戦争は、今も熄まない。
 著者と訳者の間合いが良い(翻訳が優れている)との意見も出た。
 イギリスの文学賞、ブッカー賞を受賞している。

 僕は自作のパンフ「決定版Ⅸ 方言集」を配り、属する同人誌誌「青魚」の最新No.91の1冊を回覧に差し出した。
 次回の課題図書、藤田宜永「愛の領分」を配り、あと始末をして、12時近くに散会した。


 短歌新聞社「岡部文夫全歌集」(2008年・刊)より、17番目の歌集、「能登」を読み了える。
 先の7月29日の記事、
同・「雪代」に次ぐ。
概要
 原著は、1985年、短歌新聞社・刊。596首、著者・後記を収める。
 先の「雪代」より、約3年後の刊行である。
感想
 雪国に信仰篤く老いる人々、生地の能登・行、能登の回想等を読んで、重厚である。
 またボキャブラリイの偏りをはなれて、新しく詠まれもする。
 「凝りたる杉の油のくれなゐは吾が心痛のごとくにかなし」など、客観と主情の合体した作品がある。
 戦争に征かなかった事・殺傷をしなかった事を詠う作品があるけれども、事情で回避できたのだろうし、自慢する事ではない。
 知的な老人ながら食事を楽しむ様など、親近感の湧く生活があった。
引用

 以下に7首を引く。
雪損の杉の被害のただならぬ若狭を伝ふ春は早きに
増殖炉また立つといふ危ふきも貧しきゆゑに人は怖れず
割りて干すその白菜のゆたけきに差す冬の陽もひとときのまか
時化の後なほしらしらと穂に立ちて波はてしなし浜は暮れつつ
まぢかなる郭公のこゑややありて山鳩のこゑ遠くに聞こゆ
戦ひにその子ふたりを失ひし一生(ひとよ)を生きて海に潜きぬ
ひとりなる老のゆふべのはかなきに蜆を食へばその殻の音

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写真ACより、「アールデコ・パターン」の1枚。



 角川書店「増補 現代俳句大系」第13巻(1980年・刊)より、9番目の句集、寺田京子「日の鷹」を読み了える。
 今月11日の記事、
文挾夫佐恵「黄瀬」に次ぐ。
概要
 原著は、1967年、雪檪書房・刊。349句、著者・後記を収める。
 寺田京子(てらだ・きょうこ、1921年~1976年)は、肺結核のため20余年の療養生活を送る。1960年頃より、放送ライターとして自立。
 1944年に作句を始め、1954年に加藤楸邨「寒雷」に参加、1970年に同門の森澄雄「杉」創刊に参加。
 北海道・在住、生涯独身。
感想
 第1句集「冬の匙」に次ぐ、第2句集である。現代俳句協会賞・受賞。
 戦争と結核に災いされた生涯だと思う。54歳で心肺不全で亡くなっている。
 心の支えを、俳句に求めたのだろう。
 妻の座を、軽く妬む句がある。
 当時の風なのか、字余りの句が多い。「デモに余る力花火に火をつけて」など、政治に関心を持った跡がある。
引用
 以下に5句を引く。
枯風や貼られて生きる戦後の地図
雪迅しもだす嫉妬は手がかわく
花火消え石ら眼をもつ空知川
主婦の名が縛す友の背鷹が飛ぶ
緑噴きあげし山脈妻になれず
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写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。



 沖積舎「梅崎春生全集」(全8巻)の第2巻より、7回目の紹介をする。
 
同・(6)は、今年3月21日の記事にアップした。
 今回に僕が読んだのは、「青春」「虚像」「ある男の一日」の3短編小説である。
 「青春」は、旧制高校だろうか、仲間内で卒業に失敗した二人のみ、「ぼく」と「城田」が、飲み屋で落ち合ってヤケ酒を飲み、阿蘇山に行こうと(熊本高校生だろうか)、タクシーに乗る。「城田」は途中で降りてしまい、「ぼく」も先の途中で降り、うどん屋でさらにお酒を飲む。店主の女と1夜を共にして、翌朝独りで出掛けようとする所で終わる。のどかな時代の、暗い話だ。
 「虚像」は、台湾に兵だった「高垣」に内地から、恋文を寄越した「幾子」を、戦後の電車内で見掛けるが、注視も声掛けもせず、心理的にあれこれ思うのみだったストーリーである。戦争の心の傷が、薄らぐ時期だっただろうか。
 「ある男の一日」は、裁判所に証人として出廷した男が、「良子」という娘を喫茶店に1時間半も待たせたあげく、映画を観るのだが途中で映画館を出て、別れてしまう話だ。戦争のエピソードは無いが、これも戦争の傷跡がさせるストーリーだろうか。
 いずれも1948年に発表された短編である。
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写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。



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