風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

戦後

 沖積舎「梅崎春生全集」第3巻(1984年・刊)より、2回目の紹介をする。
 
同(1)は、今年4月13日に記事アップした。
概要
 今回は、「破片」(「三角帽子」「鏡」の2編より成る)、「莫邪」(「是好日」「黒い紳士」「溶ける男」3編の連作短編より成る)、「ヒョウタン」、「指」の4編を読んだ。
感想
「破片」
 「三角帽子」は、学徒兵より復学したが、大学へ行かず、飴売りをして29歳になった「三郎」が古道具屋の三角帽子に執着しながら、復学する貯金のために買えないでいる、という話である。
 「鏡」は、「次郎」の借家と背中合わせの借家に移って来た「仁木」という男が、次郎に大工道具をしばしば借りに来る。気がつくと次郎の家(2間)と同じ調度の有り様となり、鏡を備えて追い抜く、という奇妙な話である。
「莫邪の一日」
 失業中の「莫邪」が兄に代わって婚礼祝賀会、告別式2つに出る事で、日当を貰う話である。2つの席に「黒い紳士」が現われ、共に式を滅茶苦茶にしてしまう。黒い紳士はしまいに、草原で目玉だけ残して溶けてしまう。
「ヒョウタン」
 幼い次郎が苗売りの小父さんからヒョウタンの苗を買うが、生ったのはヘチマの実だったけれども、次郎は小父さんが間違えたので騙したとは思わない、という短い童話風の掌編である。
「指」
 奇妙な縁で知り合った復員兵が、5年後に再会し、1人は闇屋崩れよりサンドイッチマンに成っていて、帰郷するよ、と飲み屋で語ると言うストーリーである。

 戦後に社会が安定して来ながら、それに乗れない者の侘びしさを描くようだ。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。





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 かつて「吉本隆明全詩集」(思潮社)を読み通そうとしたが、今年6月13日の記事以来、読んでいない。
 それで本棚より、「関根弘詩集」(思潮社、1968年・刊)を取り出して来た。後期の作品をちら読みすると、読み通す自信はない。
 なお表紙写真は、トリミングの合うサイズがなかったので(有料ソフトを使っていない)、トリミングしていない。
概要
 詩集「絵の宿題」は1953年、建民社・刊。
 関根弘(せきね・ひろし、1920年~1994年)は、戦後、詩誌「列島」の中心となり、リアリズムとアヴァンギャルドの統一を目指した、とされる。13歳より働き続け、左傾(1時、日本共産党に入党)した。
感想
 詩集「絵の宿題」は大部に見えるので、4章より初めの「沙漠の木」14編のみを読み了える。
 「沙漠の木」では、「製鉄所のそこには/いつも僕を抜けでた僕がいる」と、本当の自分を偽って働く苦しみをうたう。
 「樹」では空襲を受ける樹や人や自分を印象的に描き、今でも「突然樹が叫びだすように思えてならない」と記憶の傷を定着する。
 戦後の荒野的風景を多く描いて、戦後を書き留めると共に、人心の荒廃をも書き留めている。



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 昨日の記事「僕の未読全歌集」に挙げた内、最後の「葛原繁全歌集」(1994年、石川書房・刊)より、初めの歌集「蟬」を読み了える。
 葛原妙子や山崎放代を語るのは、まだ早いようだ。
概要
 1955年、白玉書房・刊。484首を収める。
 1945年夏(26歳)~1952年秋(33歳)までの作品。軍隊より復員して、電器設計に携わりつつ、宮柊二を中心とするガリ版誌・勉強会「一叢会」で研鑚する。
 27歳の時、父が死去、弟は病み、一家の責任を負う立場となる。
 労働争議に加わり、退職させられ、事務職となる。
感想
 戦後の窮乏の中で、その暗さを見せない。時代は新しく、彼も若かった故か。
 夫人・田鶴との馴れ初め、結婚が詠まれる。労働争議とその敗北も詠まれる(「崩壊の日々」の章)。
 しかし「後記」で著者は「僕は生きてゆく事の激しさ美しさを信じ疑ふ事を知らなかつた。」と述べる。戦後青春の典型だろう。
 葛原繁は結社誌「コスモス」の先達である。僕は24年間、「コスモス」に在籍したけれども、入会した1993年は、亡くなられた直後だったらしい。僕が読んだ話では、宮柊二・没後の「コスモス」を分裂させずにまとめた、力量を評価されていた。
引用

 以下に7首を引く。
大学は戦に黒く塗られきと我ら添ひゆくその黒き壁に
ちちのみを葬りまつると御棺(みひつぎ)に焔移さむ火を持たされぬ
かいかがみ寒さ堪へつつ設計を為して越えむか一、二、三月
嫁ぐ日の前の日までも蒲団縫ひ荷物ささやかに整へあげつ(妹嫁ぐ)
四階に事務をとるとき窓に見ゆ水の面(も)暗く澱める運河
カットの類襖の継ぎに妻は貼れど犬あり兎あり悲哀も住めり
始めての対面をせり小さき顔力(りき)みて泣く児(こ)秤の上に




 角川書店「増補 現代俳句大系」第13巻(1980年・刊)より、8番目の句集、文挾夫佐恵「黄瀬」を読み了える。
 先の3月23日の記事、
磯貝碧蹄館・句集「握手」に次ぐ。
概要
 原著は、1966年、「秋」発行所・刊。
 石原八束「序にかへて」、524句、著者・あとがきを収める。
 文挾夫佐恵(ふばさみ・ふさえ、1914年~2014年)は、1934年「愛吟」入会、1944年「雲母」入会。1961年、石原八束「秋」創刊に参加、1998年に同誌・主宰。
感想
 1934年~1965年の作品を、17章に分けて載せる。幾つかの旅行吟連作があるが、僕は好ましく思わなかった。
 生活の句の外に、生まれたばかりの子を置いての夫の出征・被災・帰還などの戦災と、母の死、かりそめの想いなどの句が残る。
 繊細なレトリックはあるが、見得は切っていないので、嫌味はない。
引用
 以下に戦後の句より、5句を引く。
帰還兵なり雪嶺の下に逢ふ(1945年)
風邪の子に読むざら紙の童話一つ
海棠の花のおもさの闇となる
悴みて針見失ふ夜の畳
嵯峨菊の穂先に縋りつく暮光
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写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。



 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)第12巻(1982年・刊)より、6番目の句集、阿波野青畝「紅葉の賀」を読み了える。
 先行する、
津田清子「礼拝」は、今月18日の記事にアップした。
概要
 阿波野青畝(あわの・せいほ、1899年~1992年)は、戦前「ホトトギス」の4Sと(水原秋桜子、高野素十、山口誓子と共に)呼ばれた。秋桜子、誓子が「ホトトギス」を離れたあとも、「ホトトギス」で活躍した。
 1929年、「かつらぎ」を創刊。1947年、カトリックを受洗。
 原著は、1962年、かつらぎ発行所・刊。自序、485句、収載句の季題別索引を収める。
感想
 1951年(52歳)~1955年(56歳)までの作品を収める、第4句集である。第3句集「春の鳶」(1952年・刊)の、敗戦直後の虚脱・窮乏・混乱の時代を脱したとされる。毎年に四季の句の他、大きな旅吟をまとめて置く。
 大作家であり、居直りもあるだろうが、穏やかなスケールの大きい句が多い。戦後の方向か、新味のある句も混じる。
引用
 以下に5句を引用する。
つつがなく浮巣に卵ならびをり
籐椅子に低くとびゆく雲を見よ
皆既食よみがへりゆく月暑し
苗売の結飯(むすび)とり出し食ひにけり
遠花火この家を出でし姉妹
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写真ACの「童話キャラクター」より、「かぐや姫」の1枚。



 

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