風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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批評

 思潮社の現代詩文庫78「辻征夫詩集」より、末尾の作品論・詩人論を読み了える。
 先行する、評論・自伝は、今月9日の記事にアップした。


 この本の了いの紹介なので、表紙写真を再度アップする。
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 理論的な批評は、取りこぼす部分があり、作者の創作心を枯れさせるものである。辻征夫は2000年に亡くなったが、この本の初版が出版された1982年には、活躍中だった。
 詩人・野沢啓が作品論「現代的抒情の根源へ」を寄せている。辻征夫の初期の詩の演技性と照れの感覚を指摘するが、詩集「隅田川まで」ではリアルな認識力と確固とした表現意識を獲得したと賞賛する。事物の本質を一挙に開示する、とも。詩集「落日」以後、現代的抒情の極限(抒情の不可能性として現れる)を歩むと結ぶ。
 詩人論として、清水哲男の「辻クンのジャックナイフ」と、井川博年の「辻征夫の手紙」がある。詩人・清水哲男は少し年少の辻征夫を、辻サンではなく辻クンと呼ぶようになった経緯と、「せつなさ」そのものの辻征夫は自分のヤクザな生き方を思わせる、と搦め手から論じている。
 友人の井川博年は、かつて辻征夫と交わした熱い書簡を公開した。作品を認め合い、詩論や生活を語り合う、詩人仲間は好いものだ。


  
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 今月27日に、結社歌誌「覇王樹」2020年2月号が届いた。
覇王樹2月号
 2020年2月1日付け、覇王樹社・刊。40ページ。渡辺茂子・歌集「湖と青花」批評集が特集されている。

 同・1月号の感想は、今月7日の記事にアップした。


 ホームページ「短歌の会 覇王樹」も、協力者によって、既に2月号仕様である。


 「大翼集」に載る僕の6首・他は、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」の、今月29日の記事より順次アップしているので、横書きながらご覧ください。


 詩誌「水脈」事務局の、笠原仙一さんが詩集「命の火」を贈ってくださった。
笠原仙一 命の火
 第6詩集。2019年12月28日、竹林館・刊。500部・限定。




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 思潮社・現代詩文庫242「続続・荒川洋治詩集」より、詩編を過ぎ、「散文」に入る。
 先の11月26日の記事、同「未刊詩篇<炭素>」を読む、に次ぐ。



 「散文」編には、短い批評とエッセイ、13編を24ページに収める。
 彼は恩賜賞・芸術院賞の推薦理由に、詩作品の他、批評の業績を多く挙げられた事を、喜んだようだ。しかし、評論はその時にも評価されにくく、後世に残らない業だと思う。小林秀雄を、中村光夫を、今は誰も語らない。創作しか、後世に残らないだろう。小説なら、今はややマイナーながら、色川武大、庄野潤三のファンはいる。
 彼の評論も、詩人の評論として、わかりやすい意外さで好評なのかも知れない。
 もう1つ、彼が「文学も出世の手段としか考えない」と詩で書いた事を補助線とすると、彼の詩人への評価がわかる気がする。ほとんど無名で没し、その後に超有名になった宮沢賢治を、許せないのだろう。詩「美代子、石を投げなさい」で、娘に石を投げるよう勧めている。また、「破滅的である事によって、自分の人間性を証明する」とした田村隆一を始め、多く無頼的だった戦後派詩人に、追随しなかった理由の1つだろう。


 彼は「文学は実学である。経済学のスパンが10年か多くて20年先までしか論じられないが、文学は人の一生を左右する」と、繰り返し述べる。批評「文学は実学である」から始まる主張である。僕は、全くそうだと思う。数学の厳密な進展や、医学の発展による救済に、驚きながら。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


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 水脈の会より贈られた、詩誌「水脈」66号を読み了える。
 到着は、先の11月24日の記事、贈られた3冊にアップした。

 

 同・65号の拙い感想は、今年7月10日の記事にアップした。
 

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 「水脈」66号は、2019年11月6日・刊。67ページ。
 12名16編の詩、N・えりさんの小説2編、他に批評・随筆・報告など。

 H・はつえさんの詩「長閑な午後」では、害を与える猪に車を追突させた小父さんを描き、終連3行が「結局 トラックの前車体を随分凹ませただけだった/小父さんは泣く泣く家に帰りつくと/待っていた妻にひどく文句を言われたそうだ」と、民話風でユーモラスである。
 I・冴子さんの「半分しか」では、国政選挙の低投票率を嘆き、「投票が当たり前ではない時代があったのだよ/女性が参政権を得たのは/たった七十三年前なのだよ」と警鐘を鳴らす。
 政治路線的には、グループに困難な時代だろう。S・周一さんの詩「奇妙な日々」では、「そんな日がかならず来ると/白昼夢に酔い痴れる中」、「ここは「どこ」/いまは「いつ」」と、混迷の世に埋没する理想を描くようだ。



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 11月16日(第3土曜日)午後一時より、吹田市のあるホテルで、第61回 覇王樹全国大会が催された。僕は地理に疎く、JR新大阪駅より道を聞きながら、ようやくホテルに辿り着いた。

 受け付けで、大会の事務局として僕が問い合わせたりしたY美加代さん、「紅玉集展望」で批評を下さったO朝子さん、歌集とエッセイ集を下さったW茂子さん、佐田・編集人、歌集を下さったS素子さんたちに、改めてお礼を申し上げた。

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 Y美加代さんの司会で、佐田編集人の挨拶があり、昨年逝去された佐田毅代表へ黙祷を捧げた。
 参加者は29名、来賓3名の、総32名の大会となった。
 郷土研究家のM啓一氏の講演「桐田蕗村と若山牧水」があった。若山牧水との深い交わりがあった桐田蕗村が、橋田東聲らと「珊瑚礁」、「覇王樹」を創刊し、生涯「覇王樹」に依ったとされる。桐田蕗村のお孫さんにあたる方が、言葉を下さった。
 その後、集合写真を別室で撮った。
 14時20分より、歌会に移る。O朝子さんの司会で、全29首を、2名or3名が批評し、助言者4名が分担で助言した。途中休憩で、ケーキとコーヒーor紅茶を頂いた。
 15時55分~17時15分で、歌会の後半。その後15分で、助言者の全体的な講評があった。
 覇王樹各賞の表彰があった。
 会計報告のあと、編集人・佐田公子さんが、代表・編集発行人となり、4名の編集委員を置き、先達の数名(何名か僕は忘れた)は顧問として相談に乗って頂く方針が発表された。異見も出たが、重鎮のH俊明氏が収めて、方針は了承された。


 18時半~20時、別室で夕食懇談会が持たれた。
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 3テーブルだった。僕の左が編集委員のS素子さん、右側が顧問のH俊明氏で、貴重なお話を伺えた。H俊明氏は、僕のブログを読んでいて、Kindle版の僕の2詩集も読んで下さっていた。僕が梅崎春生全集を読んでいるなら、友人の梅崎春生・研究書を送ろうと約束もして下さった。恐縮至極である。

 お開き後、当ホテルの個室に1泊し、朝早く帰路に着いた。佐田公子さんに挨拶し、H俊明氏とは地下鉄で途中まで一緒だった。お昼過ぎに地元駅に着き、妻の迎えの車で、無事に帰宅した。




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 先の10月29日の記事、入手した2冊を紹介する(7)の末尾に少し書いたけれども、10月28日には結社歌誌「覇王樹」2019年11月号が届いていた。諸事情により、その報せが今日まで延びた。
覇王樹・11月号

 先の10月9日に、同・10月号の感想を記事アップした。


 11月号より、新入会員1名がある。総合誌の広告より、とのこと。
 また力詠15首2名は、今号には規定で無いけれども、霜月10首詠4名がある。
 毎月、各集ごと2ヶ月前の作品批評を、1ページずつ載せている。

 結社のホームページ「短歌の会 覇王樹」は、すでに11月号仕様である。



 また僕の6首、題詠1首、被批評・他は、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」の10月29日の記事より、少しずつ順次アップしているので、横書きながら是非ご覧ください。




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覇王樹4月号
 結社歌誌「覇王樹」2019年4月号を、ほぼ読み了える。
 到着は、先の3月27日の記事、同・4月号が届く、にアップした。
 リンクした記事の中のリンクより、過去号の感想、4月号の僕の歌6首・他、結社のホームページ「短歌の会 覇王樹」4月号版へ至れる。
概要
 概要は、3月号とほぼ同じなので、リンクを辿ってください。
 力詠15首が、指定された人の不都合か、通常2名のところ、今月号で1名である。
 また「受贈歌誌抄」は、2冊、各5首の紹介になっている。
 これまで書かなかったが、毎号、表紙裏には巻頭言、当誌5欄の1つずつに先々月号の作品批評欄がある(1欄1ページ)。また「私の選んだ十首」として先々月号の作品より、会員4名が10首ずつを挙げている(出稿自由、選択掲載)。
感想

 引用4首に添いつつ、感想を述べる。
 巻頭「八首抄」より、T・香澄さんの1首。
子の一人密かに離れゆく気配よいぞ綿毛がたんぽぽを去る
 親離れ、子離れの場である。歌意とは別に、2句から3句への句またがりに、微かな躊躇いがあるか。蒲公英は多年草と知り、ホッとする。
 「爽什」のK・南海子さんの「冬点描」6首より。
幾つもの日向のような記憶持ち吾の晩年少し彩る
 老年の幸せである。僕は幸せな記憶もあるが、辛い記憶が多過ぎるようだ。
 「游芸集」のM・睦子さんの「彷徨う日々に」6首より。
泣くほどの一つ一つはあらねども今宵の月に不意に泣きたし
 小さな幾つかの、あるいは薄く続いた、無念が作者にあるのだろう。
 「大翼集」のY・恵子さんの「初詣」6首より。
笠地蔵今は昔の話なり青きシャポーにケープ着こなす
 昔噺の「笠地蔵」にある地蔵様も、今はモダンな服装を贈られている。重ねたカタカナ語も新しい。




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