6月26日(第4水曜日)、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第34回を持った。
 僕は5月18日の記事、同A第56回に次いで、定刻9時半に30分の遅刻をした。前日に用意をして置きながら、目覚まし時計が鳴らず、Mさんの電話で起きたからである。
 同B第33回は、先の5月31日の記事にアップした。

 平謝りをして、アイスコーヒーを注文した。宮柊二の長歌に曲を付けた歌曲のCD「朱鷺幻想」を含め、歌誌・他の貸し借り、返却をした。
 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。歌集を出掛け際に忘れた僕は、Tさんに文庫本を借り、TさんとMさんが2人1冊を参照した。

 今回は、170ページ、歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)の1963年、「編輯会の夜」より入る。
「編輯会の夜」の章より。
 2首めの「先生を蔑(なみ)する若き」の「先生」は、明らかに宮柊二の師・北原白秋を指す。
 3首めの「悲しみ」、4首めの「痛ましき」、また飛んで172ページ「肥後、南関町外目」1首めの「こころ寂しも」など、感性が強い歌人だったのだろうと、Mさんが感想を述べた。
「昨日今日」の節より。

 2首めの上句「追ひすがり追ひ迫りつつ」は、歌業を含めて生活に追われ、「憩ひさへ」ないと詠んだのだろう。
 3首めの上句「家の者いまだ目覚めず」は、深夜の執筆を了えて、早朝だったのだろう。
「日常断片」の章より。
 1首めの下句「蛇ながながと草に居りたり」の蛇は、子供たちに殺されたのかと僕は思ったが、「ありたり」では無いので生きているのだろうとTさんが述べ、僕は納得した。
 4首め(172ページ)の、「歌詠むは悲しと思ひ詠まぬより浄しと思ひ歌を思ふ夜」の1首は、Mさんが心境にぴったりだと述べた。
「牡丹の寺」の節より。
 1首めの初句「蹴速(けはや、「蹴」は旧字)碑の」の「蹴速」は、日本書紀の当麻蹴速(たいまのけはや、相撲の神様)らしい。結句に「当麻寺(たいまでら)みち」とある。
「埋骨行」の節より。
 3首めの第4句「生死(しゃうじ)乗せつつ」の「しゃうじ」は仏教語で、生活語の「せいし」と異なり、短歌に親しいとTさんが述べた。

 174ページの1首め(上の歌)で、研究は30分ながら、10時半で了えて、雑談に移った。文庫本の歌集編の半ばに至った事に、お互い感慨深かった。次回の日程を決め、10時40分頃に散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。