風の庫

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歌集

 青磁社「永田和宏作品集 Ⅰ」(2017年5月・刊)より、第9歌集「百万遍界隈」を読み了える。
 先行する
歌集「風位」は、今月18日の記事にアップした。
概要
 原著は、2005年、青磁社・刊。
 1999年~2001年の、395首と、あとがきを収める。「方位」が、1998年~2000年の作品を収めているので、かなり時期的に重なっている。
 「あとがき」で、「昼と夜、表と裏とそんなことを考えさせるほどに、どこか沈潜の仕方が違うように感じたことだった。」と述べている。
感想
 題名は、職場近くの地名だという。 
 今回は、読みながら20余枚の付箋を貼った。しかし、生物学研究者としての思い、乳癌手術を受けて心のバランスを失いやすくなった妻・河野裕子を見守る歌に、引用をほぼ絞った。
 永田和宏は自然詠、叙景歌にも、とても優れているのだけれども。また面影のない母を恋う歌も、底流のように流れている。

引用
 以下に7首を引く。
身丈より高き箒の竹箒もちて出てゆきまだ戻り来(こ)
今年われらが見つけし三つの遺伝子に乾杯をして納会とする
こんなにもぶっこわれてしまったわたくしに優しくあれと言えば従う
ハーメルンの笛吹きのごと朝光(あさかげ)に老人たちを集めゆくバス
なに切りて来し妻なるや鋸(のこぎり)と大(おお)釘抜きを下げて入り来(く)
疲れやすくなりたる妻を伴えば桜紅葉のしたのゆうやみ
春の水盛りあがり堰を越えるところこころ危うき人を率(い)て来し
0-89
写真ACの「童話キャラクター」より、「一寸法師」のイラスト1枚。




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 青磁社「永田和宏作品集 Ⅰ」(2017年5月・刊)より、第8歌集「方位」を読み了える。
 先行する歌集「荒神」は、今月9日の記事にアップした。
概要
 原著は、2003年、短歌研究社・刊。
 404首と、あとがきを収める。1998年~2000年の作品である。
感想
 生物学研究者として師を送り、後輩の研究者・学生に諭す立場でもあった。
 息子・淳に子ができて祖父となり、娘・紅は京都大学を卒業し父と同じ大学で研究者となった。
 また2000年には、妻・河野裕子に乳癌が見つかり、左乳房の乳腺の2/3を摘出した。河野裕子の歌(歌集「日付のある歌」より)に、「何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない」、「悔しがり大泣きしたるざんばらを黙し見てゐしは君と紅のみ」、他がある。

引用
 以下に7首を引く。
ゆで卵が湯に騒ぐなり澱のごとき敗北感は昨日より続く
将来の保証無き職業に耐え得ぬとまたひとりわが部屋を去りゆく
バンダナがまだ似あいおり似あうのにどうして父になるなどと言う
キャンパスの北部南部に棲みわけて娘とわれはときおり出会う
サイエンス以外はなべて遠ざけて来しと聞きしかばすなわちひるむ
大泣きに泣きたるあとにまだ泣きて泣きつつ包丁を研ぎいたるかな
ポケットに手を引き入れて歩みいつ嫌なのだ君が先に死ぬなど
0-78
写真ACの「童話キャラクター」より、「ピノキオ」のイラスト1枚。





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 青磁社「永田和宏作品集 Ⅰ」より、第7歌集「荒神」を読み了える。
 先行する
歌集「饗庭」は、今月1日の記事で紹介した。
概要
 原著は、2001年、砂子屋書房・刊。
 1995年~1998年初めまでの作品を収める。
 題名は、職場のすぐ横にある、荒神橋より採った。
感想
 生物学研究の組織等の代表となり、多忙であった。
 短歌関係の講演、対談・鼎談・座談会を多くこなしている。
 娘・紅の京都大学入学、息子・淳の大学卒業・就職等、妻・河野裕子を寂しがらせながらも、安定期であった。
 歌集「華氏」が1997年・寺山修司短歌賞・受賞、1998年、歌集「饗庭」を刊行している。
 主宰する歌誌「塔」も、若手が頑張って編集していた。
 48歳~50歳越えの、働き盛りの時代の歌集である。

引用
 以下に7首を引用する。
くりかえしわれの不在を嘆き言う歌うように言う妻という人
この家にあなたは住んでいないという言葉短しくりかえし責む
名東区極楽二丁目いささかの恩義のありていくたびも書く
訪ねくる人とはなりてヘルメット提げたる息子がのっと入り来
遺伝子の複製を娘(こ)に教えいしがさびしき妻は早く眠りき
台所、屋根裏、二階と棲み分けて歌つくりおりまことに不気味
どくだみの匂う近道疲れやすくなりたるひとは疲れつつ来る
0-11
写真ACの「童話キャラクター」より、「シンデレラ姫」のイラスト1枚。








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 青磁社「永田和宏作品集 Ⅰ」(2017年5月・刊)より、第6歌集「饗庭(あえば)」を読み了える。
 8月24日の
第5歌集「華氏」の記事に継ぐ。
概要
 原著は、1998年、砂子屋書房・刊。
 題名は、永田和宏の出生地に因み、夫人・河野裕子のアイデアだったと、二人のエッセイ集「たとへば君」に書かれていたと記憶する。(この本は、歌集を理解するにも傍らに置くべき本なので、文庫本を注文する予定である)。
 1991年~1995年の、480首を収める。40歳代後半の作品である。
感想
 息子・淳(歌人、現・出版社「青磁社」経営)、娘・紅(歌人、現・大学での研究者)が、思春期・青春期の危うさにあり、妻の歌人・河野裕子も若くはなくなってゆく危うさにあり、それらを見守って具体的に詠んだ歌がある。
 また講演・研究室での己を、余裕をもって見つめる歌がある。
 また母親の面影を知らない永田和宏は、ヴァチカンのピエタの図(あるいは像?)さえ、羨ましがり憎んでいる。
 主宰する「塔」の、「アララギ」の流れか、写生と呼ぶべき作品も多い。

引用
 以下に7首を引く。
今夜われは鬱のかわうそ 立ち代わり声をかけるな理由を問うな
がむしゃらにならねばついに到るなき喜びなどと説くさえ空し
父親をあだ名で呼べるいまどきの娘といえど楽しきものを
眠りいる聴衆の数を目で追いてそろそろ論をまとめにかかる
さしあたりひとつ挫折を先に送る脚長き子を危ぶみ目守る
(ち)さき耳に小(ちい)さき穴をあけきたる妻はかなしも厨に立てば
羨ましければかすか憎悪の兆せるをヴァチカンの闇に浮きたつピエタ
0-15
写真ACの「童話キャラクター」より、「シンデレラ姫」のイラスト1枚。





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 青磁社「永田和宏作品集 Ⅰ」(2017年5月・刊)より、第5歌集「華氏」を読み了える。
 今月13日に紹介した第4歌集「やぐるま」に継ぐ。
概要
 原著は、1996年、雁書館・刊。
 1984年~1986年の在米(家族同伴)研究生活を含む、1984年~1992年の600首と、あとがきを収める。
 帰国後の研究室・主宰、結社歌誌「塔」主宰と、多忙となり、前歌集より10年が過ぎてしまったと、あとがきで自身が述べている。
感想
 在米研究生活の歌では、斎藤茂吉の「つゆじも」の歌が念頭にあったと、自身が歌集「やぐるま」のあとがきで述べた。慣れない海外生活で苦労する、息子・娘をよく支えたと、河野裕子が永田和宏との共著、歌とエッセイの「たとへば君」の中で書いた。(今、その本が手許にない)。
 このブログに7首程を引用すべく、付箋を貼るのだが、貼った枚数が40余枚。歌人仲間・生物学研究者間でのライバルとの競争、家庭生活(主に歌人夫人・河野裕子に対して)に絞らざるを得なかった。
 師・高安国世への挽歌、夫人との相聞の大事なリンクであるダンドボロギクの歌、巻末近く母の墓を墓苑に探し当てられなかった歌も、引けなかった。
 厳しく忙しい生活で、天真爛漫なところのあった、歌人夫人・河野裕子に救われていたのだろうと、勝手に推測する。

引用
 以下に8首を引用する。
不機嫌な妻子を措きてまた戻る夜半(やはん)を灯しおきしわが実験室(ラボ)
負けてはならぬあの場面にてもどかしく探しあぐねていし一単語
娘の前に妻を怒鳴りて出でし道駅までの道のしらしらとせる
ひたひたと間を詰めきたる幾たりの若きらの名は記憶せんとす
らりるれろ言ってごらんとその母を真似て娘は電話のむこう
冬の陽にしおしおと大根の葉は乾く望まざれども敵増えゆくか
食えと言い、寝よと急かせてこの日頃妻元気なり吾をよく叱る
荒れている妻を離れて子と作るありあわせとうむずかしき技(わざ)
0-51
写真ACの「童話キャラクター」より、「かぐや姫」の1枚。




 

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 今月12日の記事、「届いた2冊」でアップした2冊のうち、初めの佐田公子・第4歌集「さくら逆巻く」を読み了える。
 2011年9月、角川書店・発行。355首に「あとがき」、「著者略歴」を付す。
 佐多公子さんは、僕の所属する短歌結社「覇王樹」の事務局を担当し、代表・佐田毅氏の夫人である。
 入会手続きとその後、メールで何度もやりとりをしたけれども、温和な書きぶりの方である。
 歌集は、息子さんがドーパミン過多で異常言動を示し、やむなく医療保護入院となる歌群から始まる。
 切羽詰って相談する、警察や保健所の薄情さも描かれる。
 自らは動脈乖離を病みもする。
 また娘さんの住み着く沖縄を訪う「島風」の章がある。
 彼女は1982年、大学の博士課程を修了しており、「古今和歌集」等の研究者であって、当時、東洋学園大学、日本医科大学等で講師を務めていた。授業の歌、学会の歌が混じる。
 3月11日の歌、「覇王樹」九十周年の歌でもって、歌集を閉じる。
 以下に7首を引く。
病棟に担ぎ込まるる子の声の耳に響きてへなへなと座す
「長男は犯罪者ではないんですが」家裁でわれは声殺し問ふ
病棟に帰らざる子を駅前にいかにかせまし 夕闇迫る
「お苦しみでせう」と言へる子狐の去りて尾花の翳に笑みをり
病む身にて初めて押さるる車椅子 何と優しく温ときものか
隣家に柿色づけり 子を逃れ家出せしより三度目の秋
押し寄する仕事の量に怯まざる力を得んや 夕つ黒富士





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 青磁社「永田和宏作品集 Ⅰ」(2017年5月・刊)より、第4歌集「やぐるま」を読み了える。
 
第3歌集「無限軌道」は、今月5日の記事にアップした。
 原著は、1986年、雁書館・刊。
 歌集名について、「π(ぱい)」などが候補に挙がったが、イメージ・チェンジして「やぐるま」に決まった経緯は、歌集で初めての「あとがき」で詳しく述べられる。
 作品は、1981年~1984年の4年間の作で、そのあと彼はアメリカで2年間の研究生活(家族同伴)を送る。
 彼は優しさに就いて、歌集「無限軌道」で「やさしさはやさしさゆえに滅ぶべし 夕ぐれの野を漕げる野あざみ」と読んで、圧し留めようとしている。
 それは歌壇や生物学研究で、ライバルと厳しく競争しなければならなかった故だろう。ただし女性歌人や子どもたちには、優しい面もあったようだ。
 また妻の歌人・河野裕子との関わりも、多く詠まれている。
 この期に、作品発表の他、評論(「普遍性という病」、「虚像論ノート」、他)、対談(斎藤史、岡井隆)、女性短歌討論会(河野裕子、阿木津英、道浦母都子、永井陽子ら)の企画・司会など、短歌活動は盛んだった。
 以下に7首を引く。
草原に汽罐車ありき鉄塊は銹びて臓器のごとくやさしき
もの言わで笑止の螢 いきいきとなじりて日照雨(そばえ)のごとし女は
将来を未来に賭けて待つべくも銹(さび)つつ虚空に朴(ほお)しずもれる
精神の岬灯(ひ)ともし怺えおるゆえ願わくば迂回されたし
悪口雑言いきいきとして艶めくに思えばおまえになき喉仏
あるときは枝として子がぶら下がるゆさゆさと葉を繁らせてわれは
にこやかにわれの時間をかすめゆく「できれば」と言い「ぜひ」と重ねつ
0-41
写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。





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