風の庫

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水原秋桜子

 角川書店「増補 現代俳句体系」第15巻(1981年・刊)より、12番めの句集、下村ひろし「西陲集」を読み了える。
 先行する堀口星眠・句集「営巣期」は、先の2月24日の記事にアップした。



 原著は、1976年、東京美術・刊。
 水原秋桜子・序、674句、著者・あとがきを付す。
 下村ひろし(しもむら・ひろし、1904年~1986年)は、1933年、秋桜子「馬酔木」入門、1947年「棕櫚」創刊。
 本集にて、1977年、俳人協会賞・受賞。
 字余りがほとんどなく、句割れ・句跨がりもなく、端麗に吟じられている。長崎県を出る事少なく、キリスト教、隠れ切支丹、長崎原爆等を、飽くことなく繰り返し吟じている。



 以下に5句を引く。
日時計や復元花圃に冬芽満ち(出島蘭館址)
降灰の島畑くらき枇杷の花(桜島)
浅春の水勢矯めて熊野川(熊野路)
蝕甚の月下しづもる爆心地
蛙田や将なにがしの陣屋跡
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写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。


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 角川書店「増補 現代俳句大系」第15巻(1981年・刊)より、11番めの句集、堀口星眠「営巣期」を読み了える。
 先行する成田千空・句集「地霊」は、先の1月23日の記事にアップした。




 原著は、1976年、牧羊社・刊。676句と、著者・あとがきを収める。
 1958年~1976年の句を、年代順に収める、第2句集。
 堀口星眠(ほりぐち・せいみん、1927年~2015年)は、医学博士、開業医、クリスチャン。
 水原秋桜子に師事、高原俳句の中心となり、秋桜子・没後の1981年「馬酔木」の主宰となるも、1984年「橡」を創刊して、「馬酔木」主宰を辞す。
 鳥たちと草木を吟じ続けて、清新である。医師であった事、クリスチャンであった事は、句作に良い働きをしたのだろう。
 以下に5句を引く。
黒曜の鶫ひそめり谷卯つ木
夜鷹鳴き硫気にゆらぐ星ひとつ
森番に飼はれ夜を鳴く虎鶫
郭公やそよ風わたる幼髪
頬赤の鈴割れごゑや秋立つ日
0-69
写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。




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 角川書店「増補 現代俳句大系」全15巻も読み進んで、第13巻(1980年・刊)に入る。第13巻より増補巻に入るらしく、第12巻が(1959年~1968年)であったのに対し、第13巻は(1964年~1971年)と、1部遡って句集を採っている。
 第13巻の初めは、古賀まり子「洗禮」である。第12巻のしまいの句集、
石田波郷「酒中花」は、今月3日の記事にアップした。
概要
 原著は、1964年、麻布書房・刊。
 水原秋桜子・序文、438句、藤田湘子・跋文、自筆後記を収める。
 古賀まり子(こが・まりこ、1924年~2014年)は、1946年より秋桜子「馬酔木」に参加、秋桜子没後は堀口星眠・主宰の「橡(とち)」に参加した。
 結核病のため、1949年、清瀬病院入院、死の淵をさまようが、母の作ったお金で当時まだ珍しかったストマイ(抗生物質ストレプトマイシン)7本を打つ等に拠って回復した。
 1952年、洗礼を受け、1956年の退院後は横浜スラム街の療養所に勤務するなどした。

感想
 俳句、医学、信仰の救いを感じさせる句集である。「短歌は自己救済の文学である」と伝わるけれども、ある人にとっては俳句も同様かも知れない。医学の進歩の恩恵は、僕も受けている。
 信仰の救いは、生きがたい人にとっては拠り処であろうが、僕はあまり信用していない。
 前半「清瀬」は闘病俳句として、後半「運河のほとり」は献身の俳句として、感銘の残る句集である。
引用
 以下に5句を引く。
酸素吸ふ梅雨夕映に汗ばみて
麦青む日々を咳きつつ細りゆく
病みし過去しづかに隔て雪積る
眉寒く若し父母の名秘めて死す(放浪中病を得し人夫あり)
雲夕焼童顔人夫日銭得て




 
 
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