風の庫

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永井龍男

 筑摩書房の「現代日本文学全集 補巻8 上林曉集」より、5編め「四国路」を読み了える。
 先行する「現世図絵」は、今月13日の記事にアップした。


 「四国路」は、1944年(昭和19年)の秋、9年ぶりに四国へ帰郷する物語である。不便な戦争末期で、帰路の困難や、郷土ひとの親切さが描かれる。1946年4月に文芸春秋へ発表の作品だが、しかしこれまで戦争末期を描く短編小説ばかりである。
 石坂洋次郎の「青い山脈」(1947年・刊)とまで言わなくても、永井龍男の「風ふたたび」(1951年・朝日新聞・連載)くらいには、時世に乗って、戦後を明るく描いても良かったのではないか、と考える。なぜ敗戦の直前・直後の暗い部分に執着したかわからない。短編私小説の作家として、動じないものが内にあったのだろうか。
 短編小説家の常として、新作の発表に追われる。「風致区」(1946年1月)、「きやうだい夫婦」(同・2月)、「嶺光書房」(同・1月)、「四国路」(同・4月)発表と、毎月1編のように発表した。
 「四国路」で400字原稿用紙、約29枚である。短編小説の稿料は1枚あたり低かったのだろうか。短編小説の名手と謳われた三浦哲郎でさえ、長編小説へ挑戦し、引き下がった。(自分でそう書いた)。
 短編小説の作家が、ポオ、フィッツジェラルド、O・ヘンリなど(戦前日本の短編私小説作家は知らない)悲惨な晩年だった。ストレスが多く、酒に頼ったからだろうか。
 上林曉(かんばやし・あかつき、1902年~1980年)は、1962年に2度めの脳出血で半身不随となりながら、実妹の介護と口述筆記で作家生活を続けられた。正岡子規と妹・律の場合とたぐえられ、文学の生涯を全うした。
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 写真ACより、「ビジネス」のイラスト1枚。





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 角川書店「増補 現代俳句大系」第15巻(1981年・刊)より、7番めの句集、永井龍男「永井龍男句集」を読み了える。
 今月1日の記事、和知喜八・句集「同齢」を読む、に次ぐ。

 

 原著は、1976年、五月書房・刊。444句、著者・あとがきを収める。
 この句集は、「文壇句会今昔・東門居句手帖」(1972年、文芸春秋社・刊)の約千句より、石川桂郎らの手を経て、自選した句集である。山羊総革装、特染布貼夫婦函入の豪華本である。
 1927年~1965年前後の句より成り、戦中の中国・吟を含む。著者にはこの後、句集「雲に鳥」(1977年、五月書房・刊)がある。

 永井龍男(ながい・たつお、1904年~1990年)は、小説家であり、僕はデビュー短編「黒い御飯」、戦後の長編「風ふたたび」を読んだ記憶が残る。「石版東京図絵」を読んでみたい。
 戦前より俳句を始め、戦後は久米正雄の三汀居句会、文壇句会等で作句した。
 住み続けた鎌倉のあちこちでの風俗、生活を題材としたようだ。


 以下に5句を引く。
厨女が唱歌うたふや花木槿
立冬の母子に午砲(ドン)の鳴れるかな
北風や独楽買ふ銭を固く掌に
寒鮒を茶で煮る鍋のあるばかり
数へ日の三時は日向四時の影
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


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