風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

牧羊社

 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、12番目の句集、桂信子「新緑」を読み了える。
 昨年12月17日の記事、
後藤比奈夫・句集「初心」に次ぐ。
概要
 原著は、1974年、牧羊社・刊。486句、あとがきを収める。第4句集。
 桂信子(かつら・のぶこ、1914年~2004年)は、日野草城に師事、「青玄」無鑑査同人となるも、草城・没後、1970年に辞し、俳誌「草苑」を創刊・主宰した。
 第1句集
「月光抄」(1949年・刊)については、同・大系第7巻より、前ブログ「サスケの本棚」の2013年8月30日の記事に引いた。
感想
 結婚して2年で死別、実家に戻り母と二人暮らし、就職、空襲、転勤、移住などの経験、また第1句集「月光抄」への批判等は、彼女の心を強くしたようだ。
 1954年、「女性俳句」を創刊している。
 女性が、男性俳人の古強者と伍して行くには、たいていでない苦労があったと思われる。失うものの少ない事が、強味だったろうか。
 句集の途中、1973年に、その残る母を失った。やや剛性の句風なのも、致し方ない成り行きだったか。
引用

 以下に5句を引く。
鉈つかう音炎天の寺の裏
霧に影うごき牡牛に昼の飢え
床下に空瓶乾く鮎の宿
わかさぎを薄味に煮て暮色くる
水仙を二三日見て旅に発つ
0-32
写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、9番目の句集、成瀬桜桃子「風色」を読み了える。
 今月4日の記事、
桜井博道・句集「海上」に次ぐ。
概要
 原著は、1973年、牧羊社・刊。安住敦・序、466句、著者・あとがき、火村卓造・解説を収める。
 成瀬桜桃子(なるせ・おうとうし、1925年~2004年)は、1946年、久保田万太郎「春燈」創刊に参加、万太郎・没後、安住敦・主宰に師事した。1988年、敦・没後、推されて主宰となる。2003年、病を得て辞した。
感想
 母、祖母との三人暮らしの成長、結婚して子がダウン氏症であったなど、不幸が重なったけれども、俳句と信仰(クリスチャンらしい)の力に拠って、生活して来たようだ。
 この子を「神の子」として慈しみ、多くの句を成している。
 母の死、縁薄かった父の死、に際しても哀悼の句を吟じている。旅の句もある。
 社会性、前衛性は薄いけれども、定型に収まった句が、読者の気持ちを落ち着かせる。
引用
 以下に5句を引く。
ででむしは葉裏に月日たち易し
五月闇蓬髪にはかに櫛折れて(万太郎先生急逝)
悴みて跼むにあらず禱るなり
不孝者ハンケチ忘れきて泣けり(母逝く)
秋のプール雲の離合をうつしけり
0-09
写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。


 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、5番目の句集、皆吉爽雨「泉声」を読み了える。
 今月8日の記事、
西本一都・句集「景色」に次ぐ。
概要
 原著は、1972年、牧羊社・刊。420句、後記を収める。第9句集。
 皆吉爽雨(みなよし・そうう、1902年~1983年)は、初め「ホトトギス」に投句、1922年・同系の「山茶花」創刊に参加、1946年に俳誌「雪解(ゆきげ)」を創刊・主宰した。
 福井県出身であり、県ふるさと文学館で、郷土文学者の展示などに入るが、その点ではあまり評価されていないようだ。
感想
 「雪解」の言葉に「自然諷詠に彼岸の浄土を追求する。」があり、宗教的感覚が入ったようだ。
 社会性俳句、前衛俳句ではなく、伝統俳句の人として、例えば60年安保、70年安保にも恬然として、己の句境の深まりだけを願ったのだろうか。
 今の僕は、その平穏な境地が1種、羨ましい。過去は帰らないけれども。
 また多くの者に背を向け、見殺しにして、文学、特に俳歌に何の意義があるだろう、という思いもする。
引用
 以下に5句を引く。
もろ肩に錣(しころ)重畳武具かざる
堆書裡に古扇風機吾としづむ
買ひさげし棒のごときも苗木市
ねはん図の嘆きのかぎりなくて辞す
しぐるるやよべ祝(ほぎ)うけし花は壺に
0-89

写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


 角川書店「増補 現代俳句大系」第12巻(1982年・刊)より、13番目の句集、「定本 木下夕爾句集」を読み了える。
 先行する
飯田蛇笏「椿花集」は、今月12日の記事にアップした。
概要
 原著は、1966年、牧羊社・刊。井伏鱒二・序、4章・564句、安住敦・跋、著者略歴を収める。
 木下夕爾(きのした・ゆうじ、1914年~1965年)は、戦前に詩人としての地位を確立しながら、戦中に俳句を始め、1946年に久保田万太郎・主宰の俳誌「春燈」創刊に参加、終生離れなかった。
感想
 「定本 木下夕爾句集」は、没後に周囲の協力を得て、成った句集である。
 跋で、「師として選ばれた久保田万太郎は、この異質と思われる作家の俳句を認めるにやぶさかでなかった。」と記される。共に「俳句は余技である」の立場が、共通していたのだろうか。
 俳句としては、詩的叙情性の強過ぎると思われる句もあるが、戦後の生活俳句に新風を拓いたものだろう。
引用

 以下に5句を引く。
この丘のつくしをさなききつね雨
在るは樹と日と雲とのみ滴れり
繭に入る秋蚕未来をうたがはず
ふるさとや正月を啼く川原鶸
日曜につづく祭日しやぼんだま
0-01
写真ACの「童話キャラクター」より、「白雪姫」のイラスト1枚。




 角川書店「生方たつゑ全歌集」(1987年・再版)より、歌集「花鈿」を読み了える。
 前歌集
「虹ひとたび」は、今月18日の記事にアップした。
 歌集「花鈿」は、1973年、牧羊社・刊。井上靖・序文、「あとがき」を付す。
 1972年・刊の歌集「紋章の詩」に内容的には先行するらしく、全歌集では先に置かれている。
 序文で井上靖が「極北に立った鋭さを見せています。…生方さんを取りまく外界がすっかり構築され直した感じです。」と讃えている。「あとがき」で夫の2度の入院、古家が国指定重要文化財となった事などを書き、「私が、もはや、人生の結末への準備をしなければならない要求にせまられたのは嘘ではない。」と述べている。また「私個人としては、大きい『あらたまり』のこころにゆすぶられてよみあげたものであることを信じたい。」とも述べている。
 「虹ひとたび」の記事で僕が書いた、新しい地平、新しい歌境に入りつつある自信だろうか。
 以下に7首を引く。
絶えまなく噴き熄まぬもの化合(けがふ)して夏旺んなる千島火山帯
狐の嫁入りの民話を信じきたりたるわが少女期の甦るは五月
歪みたる瓶も鉱化せる石鹸も惨の証(あかし)してかなしきあさか(広島―爆心地―)
血のやうな赤きプラムの果汁吸ふ病めばやさしくなり合ふわれら(夫病めば)
花のマッス窓にかがやく晨(あした)にて体温ひくきしあはせ分つ
胎児のやうに跼む谷石をふむときに収斂はくる秋のこゑして
ひる暗き土蔵の中のてのひらに重し磨滅の踏絵を持てば
09
写真ACより、フラワーアレンジメントの1枚。



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