風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

現代

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 今月20日の記事「1冊、1紙、1部」のうち、2番目の俳紙を紹介する。
 ネットプリントの俳紙、
「セレネッラ」第十七号・冬の章である。
 
同・第十六号は、今年6月19日の記事にアップした。リンクより、十五号まで遡れる。
概要
 3名の俳人がまず、題を付けて6句ずつを掲げ、その下に新企画「写真俳句」第1回として、小さな写真を挙げ3名がエッセイと締めの1句を付ける、という体裁である。これまでの客演俳優は中止のようである。
感想
 句風の違いは、これまでの生活、俳句の学びの場が違っているのだろう。
 写真俳句の句が面白いのは、読者がエッセイの説明に助けられる面があり、また作者側も思いを縷々述べた後なので、力の抜けた句が成るのかもしれない。
 僕は毎日、ブログ「新サスケと短歌と詩」で発表を続けているので、ネットプリントの必要はあまり感じないけれども、合同で紙に残るものを、と企図すると、ネットプリントは有力である。
引用

 以下に1句ずつ引く。
 金子敦さんの「一期一会」6句より。
コンビニのありし辺りに狸来る
 田舎にコンビニが出店したが流行らずに撤退し、狸が出て来るという山里が、現代の1面としてよく表わされている。
 中山奈々さんの「ここ」6句より。
奥歯軋ませ凩ががここにここに
 奥歯を強く噛んで、危機に耐えている様が、句跨り、字余りにも想われる。
 中島葱男さんの「守護霊」6句より。
白菜の芯に宿りしアフロディテ
 白菜の中に美神を見出して、生活性、国際性、純粋性を得ている。



詩祭全景
 11月18日(第3日曜日)午後1時半より、Aossaビル3Fの「ウェルアオッサ」にて、福井県詩人懇話会・主催の「2018 ふくい詩祭」が催され、僕もカメラ役を兼ねて参加した。
 「2017 ふくい詩祭」は、昨年11月20日の記事にアップした。
 参加者は、事務局に拠ると、49名だった。(12月4日:訂正。事務局長に拠ると、招待者等を含めれば60名前後の参加者だった)。写真に入りきらなかった方、席を外していた方、後から来場した方を含む。
 S・なおみさんの総合司会のもと、懇話会代表のW・本爾さんの開会挨拶より始まった。
 K・久璋さん、H・裕子さん、H・信和さんの3名が、コメントとともに自作詩1編を朗読した。
 そのあと尺八演奏家・平林火山(ひらばやし・かざん)さんの尺八で「山越」「鶴の巣ごもり」、横笛で「秋の歌メドレー」(童謡より)の演奏があった。皆がしみじみと聞き惚れた。
 詩祭のテーマは、詩人・鮎川信夫(1920年~1986年)を巡ってであって、基調講演は批評家・樋口義澄(ひぐち・よしずみ、著書「鮎川信夫 橋上の詩学」あり)氏の「鮎川信夫と現代」だった。シンポジウムでも客席最前列から、コーデイネーターに振られてよく発言していたので、シンポジウムの項で述べる。
 休憩のあと、シンポジウム「荒地の詩人、鮎川信夫を現代(いま)に問う」が始まる。福井の詩人・金田久璋(かねだ・ひさあき)氏のコーディネートのもと、詩人・河津聖恵(かわづ・きよえ)氏、詩人・正津勉(しょうづ・べん)氏、詩人・細見和之(ほそみ・かずゆき)氏が、基調講演の樋口義澄氏の会場よりの発言もまじえ、パネルディスカッションを行った。
 鮎川信夫の父との関係、夫人を隠し子のいなかった事、ユーモア、風土(福井県奥越の山深くで生まれ成長し、1945年2月に「戦中手記」を福井県三方郡の傷痍軍人療養所病棟で密かに書いた)と世代(従軍世代)の問題、孤絶と共同(「荒地」での共同は、言葉の構築による詩、という一致があった故らしい)、アメリカ寄りだった彼の、トランプ大統領が現われる等の現代における意義、に就いて、細かく討議された。没後に見られた彼の私室(ベッドと粗末な机のみで、そこで詩作したらしい)が、今で言うゴミ屋敷で極っており、写真を見た人はショックを受けたと揃って述べた。

 会場からの発言もあり、予定通りの5時に懇話会副代表のM・幸雄さんの閉会挨拶で締め括った。
 このあと同会場で懇親会が催されたが、僕は失礼して帰宅した。



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