風の庫

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甘い

 筑摩書房「現代日本文学全集 補巻8 上林曉集」より、8番めの短編小説「擬宝珠庵(ぎぼしあん)」を読み了える。
 先行する「嬬恋ひ」の感想は、先の7月2日の記事にアップした。

 リンクより、関連過去記事へ遡り得る。

 「擬宝珠庵」は、戦争末期、作家が郷里の四国へ疎開する場合を考え、裏山へ建てることを空想した、掘立小屋の名前である。賞愛する庭の擬宝珠を分け植え、読書執筆の生活を持とうとする。鍬を取っての農業は、40歳過ぎの自分には無理だと書いている。僕にさえ甘い空想である。「私といふ男が、人の世の温かさをこそ知れ、まだ無情と冷酷と憎悪に痛めつけられて死ぬ思ひをした試しがないので、…」と、作家も気づいている。
 空想に頼ることが、悪いことだけではない。それにより、生き延びる日々が、ある人々にはあるだろう。
 短編の私小説ばかり書いたことも、あながち否めない。俳歌の人々も、日々の悶々や喜びを作品にして、生きる支えとする。俳歌人にはプロが少ない(アマチュアの多さに比して)が、上林曉が作家の生を全うしたことは立派である。性格的にどうかという面もるが、文学創作が「世に生れ合せた生き甲斐であり、自分の人生そのものである」とする面から、やむを得ないところもあるのだろう。



ギボシ
 写真ACより、擬宝珠の写真1枚。

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 角川書店「増補 現代俳句大系」第15巻(1981年・刊)より、8番めの句集、石川桂郎「四温」を読み了える。
 先の10月17日の記事、永井龍男「永井龍男句集」を読む、に次ぐ。


 
 また2017年2月11日の記事に、同・大系第11巻より、石川桂郎「含羞」がある。


 石川桂郎(いしかわ・けいろう、1909年~1975年)は、家業の理髪店を1941年・廃業、総合俳誌の編集長を経て、食道癌で亡くなった。

 原著は、1976年、角川書店・刊。遺句集。515句(年代順)と長男の「あとがきにかえて」を収める。
 僕は1970年代が、よくわからない。初めは囲碁に没頭し、帰郷して職を転々、1977年についの就職、1978年に結婚、1979年に一人子・誕生と、文学に目を向ける余裕がなかった。

 「含羞」では、貧しい家庭の温かみがある、と書いたけれども、終生を家族に貧しい思いをさせてはいけない。また自分一人は美食家であったという。
 僕は結婚後、現場職で落魄感に耐えながら勤め続け、再任用3年めで退職した。彼は甘かったと、後世の名誉はどうあれ、僕には言える。


 以下に5句を引く。
声寒く無心す家賃四年溜め
植木屋の無口めでたし松落葉
にんにくを薬の食や冬ぬくし
意地汚しと言はるるも鯰煮て
粕汁にあたたまりゆく命あり
0-87
写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


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