風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

短歌研究会

 4月18日(第3木曜日)の朝9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まり、短歌研究会A第55回を持った。
 3月20日の記事、同・第54回に次ぐ。研究会Bを、メンバーの都合で抜かしたので、1ヶ月ぶりの再会である。
 それぞれ注文し、歌誌等の貸し借り、返却をした。
 短歌研究会Aは、お互いの詠草の検討会である。

Mさんの10首より。
 1首めの下句「鍬打つ畑には蛙跳び出づ」を、「鍬打つ畑に蛙跳び出す」とするよう、僕が提案し、Tさんも同意した。
 4首めの「逝きしまま還らぬ地上に咲く桜東風吹かば散る右に左に」は、初句を「夫は逝き」に、4句を「東風吹けば」にするよう、僕が提案した。他に何ヶ所か。
Tさんの10首より。
 1首めの供花の歌、結句「香まゐらする」を、「香をまゐらす」にするよう、僕が提案した。
 9首め代搔きの歌の下句、「真白に耀く白山はあり」の4句を、「雪に耀く」にするよう、僕が提案した。他に何ヶ所か。

僕の10首より。
 4首めの山鳩の歌で、結句「無心に響く」を、自分ではなく山鳩が無心だとTさんが指摘するので、自分から「無心が響く」に直した。
 6首めの結句「何者か我」を普通の「我は何者」に直すよう、Tさんに提案された。他に何ヶ所か。

 検討会のあと、今期1ヶ月の僕の詠草、90首近くを2人に読んでもらい、感想をもらった。
 次回の研究会Bの日程を決め、11時頃に散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。


 3月19日(第3火曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まり、短歌研究会A第54回を持った。
 2月20日の記事、同・第53回に次ぐ。リンクより、研究会Aの過去記事を遡り得る。
 僕がツイッターを繰っていると、繰りおわるまでにTさんとMさんが現れた。僕はアイスコーヒーのモーニング・セット、MさんとTさんがアメリカン・コーヒーを注文した。
 歌誌の貸し借り、返却をする。
 短歌研究会Aは、お互いの詠草の検討である。

Mさんの10首より。
 6首目の第4句、「怒れる吾に」を「怒鳴る私を」と具体的にするよう、Tさんが提案した。
 10首目の4句、「掛け置きてやる」を、「壁に掛けやる」にするよう、僕が提案した。
 他に何ヶ所か。
Tさんの10首より。
 9首目の2句、「過ぎたれば春の」を「過ぎれば」とするよう、僕が提案すると、Tさんは自ら「過ぐれば」と直した。
 10首目の結句、「人ぞ豊けし」を、「人ぞ豊けき」と係り結びを決めるよう、僕が提案したが、最近は係り結びを結ばない場合もあるので、Tさんの判断に任せる事になった。
 他に何ヶ所か。
僕の10首より。
 1首目の結句、「彼を善しとす」が文語なので困ると僕が言うと、Tさんが「彼を肯う」を提案し、僕も納得した。
 8首目の新パソコンの歌の下句「スリープのまま起きてはこない」を、パソコンが立ち上がらないのかとMさんが心配するので、後に「スリープのまま 起こされるまで」と自分で直した。
 他に何ヶ所か。


 検討会のあと、僕の今期1ヶ月の80首ほどのプリントを、2人に読んでもらい、感想をもらった。
 3月末の研究会B(「宮柊二歌集」の読み込み)は、Mさんが忙しいとの事で1回パスし、4月の研究会Aの日程を決め、11時頃に散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。





 2月28日(第4木曜日)午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第31回を持った。
 先の1月31日の記事、
同・30回に次ぐ。リンクより、過去記事へ遡り得る。
 僕は早目に来て、ブレンドコーヒーのモーニングを摂りながら、スマホのツイッターを読んでいた。TさんとMさんも早目に現われ、アメリカン・コーヒーを注文した。

 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は149ページ、歌集「多く夜の歌」の昭和35年、「野母半島沖」の章から始まる。
野母半島沖
 野母半島は、電子辞書版「広辞苑」第7版にないけれども、ネット検索に依ると、長崎県の長崎半島の別名である。
 「海境(うなさか)に」の歌の、結句「白(しろ)恋ひわたる」の「白」が何かとTさんが問うので、2句「秋雲かかり」の雲だろうと、Mさんと僕は考えた。
私記録詠
 「腕を置く」のうたの下句「沈黙の影吾(われ)にあらずや」は、わざとらしくも取れるが、退職を前に茫然としていたのだろうと、3人の読みが一致した。
 「行為なく逡巡に就き逃走をつねに構へき有体(ありてい)に言はば」の歌に、TさんとMさんは同感するようだった。僕は、組合活動ではないが、権力に反発していた。
 「雨負ひて」の歌の絵の画家、瀧口修造は、夫人・宮英子の従兄にあたる。
 「まつすぐに」の歌の「たまゆら」「揺りて」の語を、詩的だと僕は述べた。

藤棚の下の小室
昭和三十六年 年あらたまる

 歌集「藤棚の下の小室」(1972年・刊)に入る。
 「若きらは国に殉(したが)ひつねにつねに痛ましかりき顧(かへりみ)ざりき」の結句の主語の解釈で意見が違った。僕とMさんが、「若きらは」が主語で、家族や過去を顧みなかったのだと思ったが、Tさんは「世間が」顧みなかったのだと述べた。
梅雨近む
 
2首目の結句「雨夜田蛙(あまよたがはづ)」は、「雨夜雁(あまよかりがね)」の例があると、Tさんが博識を示した。
 3首目の「若葉冷(わかばびえ)して」の句は、「雨夜〇〇」と共に「〇〇冷え」と、作歌に生かせるとMさんが述べた。

 この章で仕舞って(156ページ)、次回の日程を決め、10時40分頃に散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 

 2月19日(第3火曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会A第53回を持った。
 先の1月19日の記事、
同・第52回に次ぐ。リンクより、研究会Aの過去記事へ遡り得る。
 僕の待つ間もなく、TさんとMさんが到着。僕はブレンド・コーヒーのモーニング・セットを、Mさんがアメリカン・コーヒーのモーニング・セットを、Tさんがアメリカン・コーヒーを注文した。
 歌誌の貸し借り、返却をする。
 短歌研究会Aは、相互の詠草の検討会である。

Mさんの11首より。
 2首めの結句、「チョコを供へむ」を「チョコを供ふる」にするよう、僕が提案した。連体形止めだが、強調であり得るだろう。
 3首めの結句、「明るく告げむ」を、すでに経た事なので、「告げぬ」にするよう、僕が提案した。
 11首目、初句2句「朝の陽に光りし風花」の2句を、「光る」の現在形にするよう、僕が提案し、Tさんも賛同した。他に何ヶ所か。
Tさんの10首より。
 4首めの2句、「古き紅梅」を「老紅梅は」にするよう、僕が提案した。
 10首めの4句結句、「たしかに蜘蛛が生きたる印の」の結句を、「生きいる印」にするよう、Mさんが提案した。他に何ヶ所か。
僕の10首より。
 「パソコンをこれにて買えと」の6首目は、妻の言葉を僕が言い換えているので、不自然なようだった。
 7首目「マタニティブルーみたいだ」の歌も、マタニティブルーの経験が僕にある訳はなく、吉事の前の不安も、わかりにくいようだった。他の1首も含めて、3首を削り、1首を足して、8首出詠詠草とする予定を立てた。


 検討会のあと、僕の今期80首程を2人に読んでもらった。
 次回の日程を決め、11時近くに散会した。
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写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。




 1月18日(第3金曜日)の午前9時半、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会A第52回を持った。
 昨年12月19日の記事、
同・第51回に次ぐ。リンクより、過去の研究会Aへの記事へ遡り得る。
 昨年12月末は忙しいだろうという事で、研究会Bをパスしたので、約1ヶ月ぶりの顔合わせである。
 僕はブレンドコーヒーのモーニングセットを、2人はアメリカンコーヒーのモーニングセットを摂った。モーニングサービスには、セルフのサラダとスープが放題だったけれども、3人は摂らなかった。食事をしながら、歌誌等の貸し借り、返却をする。

 短歌研究会Aは、各自の詠草の検討会である。
Mさんの10首より。
 5首めの初句2句「黄櫨の木のむかうの坂に」の初句を、「黄櫨の立つ」に直す事を僕が提案した。
 8首めの4句「屠蘇と供へて」を、Tさんが「お神酒を供へ」に直す事を提案したが、Mさん自身の判断で「遺影に供へ」にする事で決着した。他に何ヶ所か。
Tさんの9首より。
 1首めの上句「良きことが一つあればそれでいい」を、「良きことの一つがあれば」と直すよう、僕が提案した。
 8首目の上句「塩鮭にも少し塩を振りて焼く」を、「塩鮭に少しの塩を」と直すよう、僕とMさんが提案した。他に何ヶ所か。
僕の10首より。
 9首めの下句「冬を越えよう睦月半ばに」は無理があるので、結句「睦月の半ば」に直すよう、Tさんに提案されて、受け入れる。
 10首めの初句「年初の」の座りが悪いので、「年初め」に直すよう、2人から提案されて受け入れる。他に何ヶ所か。


 検討会のあと、僕の今期80首程を2人に読んでもらい、感想を貰った。
 思わず熱が入って、11時半近くになった。次回の日程を決め散会した。
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




 12月18日(第3火曜日)朝9時半に、メンバー3人が喫茶店に集まり、短歌研究会A第51回を持った。
 先の11月17日の記事、
同・第50回に次ぐ。
 MさんとTさんはアメリカンコーヒーのモーニングセット、僕はブレンドコーヒーのモーニングセットを頼んだ。セットの来る前に、歌誌の貸し借り、新号の見せ合い(所持者がまだ読み了えていないため)をした。セットを食べつつ近況報告。

 そのあと研究会に入る。研究会Aは、お互いの詠草の検討である。
Mさんの8首より。
 中下句「茜雲に突き刺すごとくかりがね渡る」の3句を「茜雲を」にするか、4句を「突き入るごとく」にするよう、僕が提案した。
 初句「娘を訪はば」を「娘を訪へば」にするよう、Tさんが奨めた。他に何点か。
Tさんの9首より。
 3、4句「山茶花のその真白きの」は「の」が続くので、「真白きが」を提案する。後に「真白きは」が良いと気づく。
 2句「まだ陽のある」が字足らずなので、「まだ陽の残る」を提案して、納得して貰えたようだ。他に何点か。
僕の10首より。
 中句下句「出掛けたが眠っていてくれた五時間」の4句が字足らずとの指摘を受けた。後に自分で「出掛ければ眠ってくれた五時間ちかく」と推敲してみた。
 上中句「かの人は一ヶ月余ぶり更新の」の2句を「ひと月余ぶり」にするよう、Tさんが奨めた。その場では反発したが、「かの人は」と和語で始まっているので、提案通りの方が良い、と後に思い直した。他に何点か。


 検討を了え、僕の今期1ヶ月分の詠草、50首程を2人に読んで貰い、感想を貰った。
 12月の研究会B(岩波文庫「宮柊二歌集」の読み込み)は、忙しくなるので1回休む事にして、1月の短歌研究会Aの日程を決め、11時頃に散会した。
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写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。



 

 先の11月29日(木曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第29回を持った。
 前回は先の11月1日の記事、
「短歌研究会のお食事会」にアップした。
 僕はブレンドコーヒーのモーニングセット、Mさんはアメリカンコーヒーのモーニングセット、Tさんはアメリカンコーヒーを注文した。歌誌の貸し借り、返却をして、食を済ます。
 短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 今回は、歌集「多く夜の歌」昭和33年の、「重い光」の章(141ページ)よりである。
「重い光」の章
 初めの歌の中下句「戦後倚りて生き得し机の埃を拭かん」は、文筆によって得た収入を指すだろうと意見が一致した。
 次の歌の結句「歩みをり孤(ひと)り」の倒置は、作者の強い拘りがあったのだろう。
「阿蘇」の節(142ページ)
 初めの歌の「阿蘇谷(あそだに)の一千町歩」は、田圃の事ではなく、草原を指すのだろうか。続いて田圃の歌があるので、はっきりとわからない。
 次の歌「有明(ありあけ)の湾より誘ひ鴨獲(と)ると冬田に水を湖(うみ)のごと張る」の獲り方は、器械発射の投網だろうかと、推測した。
 昭和34年に入る。
「正月の星」の節
 3首目の中下句「充ち足れる平和のごともうらがなしきを」は「悲しい」ではなく、古語の「かなし」の意だろう。
「半歳」の章

 章の名の意が、2首目に出て来る末っ子「夏実さん」が半歳だったのか、半年間の意なのか、3人にはわからなかった。
 「石垣の石すきまなく積まれたるその堅固さよ恥のごとしも」の石垣を、僕は城壁しか思い浮かばなくて、「恥」の意がわからなかった。Tさんが、垣根に石を積んだのだろうと言い、僕もそれなら有り得ると思った。
「父最期」の章(145ページ)
 「わが膝の上に抱(いだ)かれ息を引く父を見守る家族十一人」は、幸せな逝き方だと、女性2人は納得し合っていた。
 この章の終わり(146ページ初め)で、かなり進んだので、今回の研究会を締める事にした。
 次回の日程を決め、10時半過ぎに散会した。
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写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。

 

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