風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

短歌研究会

 9月27日(水曜日)の午前9時半に、メンバー3人が喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会B第19回を持った。
 
同B・第18回は、先の8月31日の記事にアップした。
 まず歌誌等の貸し借り、返却をし、Tさんの発案だった、岩波文庫「土屋文明歌集」(僕がアマゾン・マーケットプレイスで3冊を買った)を、それぞれ2人に渡し、代金を受け取った。
 研究会Bは、まず岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みに入る。
 第4歌集「晩夏」の、前回に継ぎ「しぐれ降る」の章(93ページ)より。
 「文学に殉(したが)ふごとく言ふ聡(さと)さ淋しきときに憶ひゐにけり」、「おぼろなる行為なしつつ移りゆく一群も思想を表白せよ」の2首は、時代を隔てて判然としないが、一時は激しかったものの次第に後退してゆく日本戦後文学(文学の戦争責任論を含めて)を指すのだろうか。
 「停年にいたりし彼を迎ふるは老妻(おいづま)ひとりと無限悲哀感」と詠むけれど、僕は定年の時に妻とお祝いをし買い物をしてもらい、再任用職も辞めたあとにはストレスからの解放感があった。
 「階段の途中にて窓にわれは寄る鷗乱るる空脆く見え」の歌などが、宮柊二の歌として、当時の最も優れた境地だと、僕は思う。

 「犬と鳩と」の章に入る。「ふぐり下げ歩道を赤き犬はゆく帽深きニイチエはその後(あと)を行く」の下句は、幻視か詩的真実か。
 「若き面(おも)(やつ)るるまでに確かなる意味を言ひたく言ひがたきらし」は、青年が思いは確かだが適切な言葉を持たない焦燥らしい。
 「生(いき)の上(へ)に深くかたみにきずつけば輝くといふ未来恋(こほ)しも」の、「かたみに」は「妻と互いに」と取り、「恋しも」は確実に早く豊かな時代が来てほしい、という希望だっただろう。
 「心弱れば」の章に入る。「熱くなる土としおもふ五月二十八日松葉牡丹を越ゆる蟻あり」のリアリズムと、次の「晩春の何かしづけくもの悲しき昼ありしかな記憶に生きて」の心象との振幅の大きさに、生の困難を見る。
 「梅雨どき」の章では、朝鮮戦争の時期に、自分が従軍した苦しみを忘れられない事を描いているようだ。これで歌集「晩夏」を終える(98ページ)。
 次回の短歌研究会Aの日程を決め、10時45分頃に散会した。
0-46
写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



 8月30日(水曜日)の午前9時半より、メンバー3人が、ある喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会B第18回を持った。
 
同B・第17回は、先の7月31日の記事にアップした。
 なお2つの間に、同・A(お互いの詠草の検討会)第38回を、8月16日に予定していたが、メンバーの都合が難しくなり、中止となった。
 メンバー3人は、1ヶ月ぶりの再会を喜び合った。歌誌などの貸し借りをする。
 研究会・Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の、読み込みである。
 第4歌集「晩夏」の、「春さきのころ」の章(89ページ)より、前回に続いて。
 「幼子のこころにおかむ寂しさは何ならむこよひ早く眠りたり」の第4句は、「何ならむ/こよひ」の句割れであり、結句と共に字余りである。その前の歌と共に、子供に向ける思いが優しい。
 「悲しみといふほどならずかがやきて永き一日(ひとひ)の空にゐる雲」では、僕は雲を悲しく思いそうだと取ったが、他の2人は別に悲しみがあって、空には雲がある、と取ったのだった。
 「行春(ゆくはる)の銀座の雨に来て佇てり韃靼人セミヨーンのごときおもひぞ」の4句は、字余りの句として有名である。セミヨーンとは、ガルシンの小説「紅い花」の主人公、線路番のセミョーンの事とされる。
 「山鳩のこゑ」の章(91ページ)に入る。「惨たる戦争態(せんさうたい)の来(きた)らむを知らざりし殉死の将軍かなし」の将軍が誰か、わからない。乃木将軍では時代が合わず、1943年に戦死した山本五十六・元帥を、殉死と詠んだか。
 「晩夏」の章(92ページ)末、「七夕ののちの夜の月ふけて照る花圃に静けし芥子の坊主も」の2句3句は、「のちの夜更けの照る月に」であって、ずるいなあと思う。先師を批判しても始まらない、と3人の話が一致した。
 次の研究会の予定を決め、11時頃に散会した。
0-12
写真ACの「童話キャラクター」より、「シンデレラ姫」の1枚。



 6月16日(第3金曜日)の午前9時半、メンバー3人が、ある喫茶店の1隅に集まって、短歌研究会A第36回を持った。
 
同・第35回は、先の5月17日の記事にアップした。
 短歌研究会Aは36回目となり、毎月1回開いて来たので、まる3年になると感慨があった。
 各自の詠草の検討。
 Mさんの10首より。田草取りの歌で、下句が「白き濁りに夏雲ゆらぐ」に、僕が不審感を示し、Tさんが「足の運びに夏雲ゆらぐ」の句を提案した。紫陽花を描いて、下句が「紫の毬冴え冴えと咲く」は大上段なので「紫の花色あざらけし」が提案された。これも下句で「卓に並ぶる若布づくしに」を、「若布づくしを卓に並べぬ」と語順等を変えて、順直な詠みぶりになるよう、僕が奨めた。
 Tさんの12首より。「民の末のすゑなれば」は、「末の裔」で「すゑのすゑ」と読ませる例が、これまでの短歌にあったようだと、他の2人が提案した。下句が3例ある歌では、他の2人が1つを推し、Tさんも納得した。
 僕の10首より。下句が「妻の直腸癌を除くと」の句跨りの1首もわかってもらえた。別の歌の中句「下手だけど」を「下手ながら」に直すよう奨められたけれど、初句に「われながら」とあるので、「ながら」の重複は避けたい。上句が「「降参」とちさく呟き部屋を出る」の1首は、下句が抽象なので、わからないと言われた。「降参とパソコンに告げ部屋を出る」に直して、納得してもらった。
 その後、僕の今期70首程のプリント3枚を、2人に見せ、チェックしてもらった。
 次の研究会の日程を決め、11時近くに散会した。
0-07
写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。



 昨日(3月23日、木曜日)午前9時半より、メンバー3人の短歌研究会B第13回が、ある喫茶店の1隅で持たれた。
 
同・第12回は、先の2月22日の記事にアップした。
 研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
 前回に続き、戦後を詠んだ初の歌集「小紺珠」より、「入江の夏」の章(68ページ)より入る。
 冒頭の1首の「岸壁」と「入江(見おろす)」の位置関係が僕はわからなったが、「岸壁の横に入江が見おろせたのだろう」との推測に至った。
 生活詠の中に、戦場(中国大陸)の回想詠が混じり、ある時は静かに、ある時は激してか破調に詠まれる。
 わが子の事を、「争ひてさまざまにしも生きゆかむ」、「睡きまなぶたさすりやり何に悲しゑ」、「あな優々(やさやさ)し」と、愛しんでいる。
 「来耜(らいし)」は「鋤」の事とMさんが、「便衣」は「普段着」の事とTさんが、「我們」は「われ等」の意味と僕が、それぞれ調べたことを披歴して、歌を理解した。
 「硝子戸」の章には、着物を売る妻、庭畑の胡麻など、戦後すぐの困窮生活が描かれる。「英雄で吾ら無きゆゑ暗くとも苦しとも堪へて今日に従ふ」の1首に、現役時代のある頃の僕が支えられた事も、二人に話した。
 歌人と会って、歌人集会で、鋭く発言したらしく、僕が推測する歌がある(「汝も吾もたまたま遇ひて今日の日に言ひたきことを言へば鋭し」、「権威なき立場に立つとわれは言ひ騒然とせし中のこゑを待つ」)。
 また倒置法、結句の字足らずを、有効に用いている作品がある。
 他にも様々に語って、「七夕」の章を終り(73ページ)、次回の研究会Aの日程を決め、11時に散会した。
クロッカス7
Pixabayより、クロッカスの1枚。



 1月26日(木曜日)の午前9時半より、メンバー3人の短歌研究会B第11回を、ある喫茶店の1隅で持った。
 
同・第10回は、昨年12月9日の記事にアップした。
 なお同A第31回は、今月19日の記事にアップした。
 同Aは、各自の詠草の検討であり、同Bは岩波文庫「宮柊二歌集」の読み込みである。
 当日は、戦後の初めの歌集「小紺珠」より、「不安」の章(同・文庫本60ページ)より始める。
 1首めの結句「ただよふ不安」は、生活の社会の、未来へ向けての不安だろう。
 2首めの「危ふげもなく」の意味する所は、3人の知恵でもはっきりとは判らなかった。
 4首めの下の句「なにか悲しみを湛へたり見ゆ」の、「なにか」の語に僕が反発する。文学は、曰く言いがたい事を言葉で表すものだから、「なにか」の語を使う事は文学の敗北に思える。
 「昼霜」の節では、戦死の報のあった米川稔を悼む。後年に宮柊二が、米川稔の歌集を出版したと記憶する。
 「周辺詠物」の章に入り、1首めの結句「滴声(したたり)といづれ」は「いずれが淋しいだろう」の意味に解した。
 「一年」の節の「くるしみて軍(いくさ)のさまを告げし文たたかひ済みて妻のなほ持てり」の書簡は、後に書籍「砲火と山鳩」として出版され、僕は読んだ事がある。
 「変らざるものこの一つのみ」は、人心と社会は変わっても、潮の満ち干は変わらない、とする嘆きであろう。
 他にも様々に検討して、64ページの「文学」の節の1首を読みおえ、当日の研究会のしまいとした。
 次の研究会A、Bの日程を決め、11時に散会した。
白鳥6
「Pixabay」より、白鳥の1枚。



↑このページのトップヘ