先の11月29日(木曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第29回を持った。
前回は先の11月1日の記事、「短歌研究会のお食事会」にアップした。
僕はブレンドコーヒーのモーニングセット、Mさんはアメリカンコーヒーのモーニングセット、Tさんはアメリカンコーヒーを注文した。歌誌の貸し借り、返却をして、食を済ます。
短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
今回は、歌集「多く夜の歌」昭和33年の、「重い光」の章(141ページ)よりである。
「重い光」の章
初めの歌の中下句「戦後倚りて生き得し机の埃を拭かん」は、文筆によって得た収入を指すだろうと意見が一致した。
次の歌の結句「歩みをり孤(ひと)り」の倒置は、作者の強い拘りがあったのだろう。
「阿蘇」の節(142ページ)
初めの歌の「阿蘇谷(あそだに)の一千町歩」は、田圃の事ではなく、草原を指すのだろうか。続いて田圃の歌があるので、はっきりとわからない。
次の歌「有明(ありあけ)の湾より誘ひ鴨獲(と)ると冬田に水を湖(うみ)のごと張る」の獲り方は、器械発射の投網だろうかと、推測した。
昭和34年に入る。
「正月の星」の節
3首目の中下句「充ち足れる平和のごともうらがなしきを」は「悲しい」ではなく、古語の「かなし」の意だろう。
「半歳」の章
章の名の意が、2首目に出て来る末っ子「夏実さん」が半歳だったのか、半年間の意なのか、3人にはわからなかった。
「石垣の石すきまなく積まれたるその堅固さよ恥のごとしも」の石垣を、僕は城壁しか思い浮かばなくて、「恥」の意がわからなかった。Tさんが、垣根に石を積んだのだろうと言い、僕もそれなら有り得ると思った。
「父最期」の章(145ページ)
「わが膝の上に抱(いだ)かれ息を引く父を見守る家族十一人」は、幸せな逝き方だと、女性2人は納得し合っていた。
この章の終わり(146ページ初め)で、かなり進んだので、今回の研究会を締める事にした。
次回の日程を決め、10時半過ぎに散会した。
写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。
短歌研究会
短歌研究会A第50回
11月16日(金曜日)の朝9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会A第50回を持った。記念すべき第50回目を、僕の詠草に題してあったが、その場では忘れていて、後にメールで祝い合った。
先の10月19日の記事、同・第49回に次ぐ。
歌誌の貸し借り、返却をし、研究会に入る。研究会Aは、お互いの詠草の検討である。
Mさんの11首より。
10首目の上句「ハロウインと雖も詮のなきことと」の2、3句を「雖も静かなわが家なれ」に直すよう、Tさんが奨めた。
11首目の上句「泣く弟に田の水飲ませし時代あり」を、判りにくいので「渇き泣く弟に田の水飲ませにき」に直すよう、僕が奨めた。他に何ヶ所か。
Tさんの10首より。
3首目の2、3句「風に揺るるコスモスの」の2句が字足らずなので「風に揺れゐる」に直すよう、僕が奨めた。
9首目の4句「心踊りよ」を、心の事なので「心躍りよ」に直すよう、僕が奨めた。他に何ヶ所か。
僕の10首より。
4首目の下句「店にて妻が買う心はや」は、僕だけのために買ってくれている事がわからない、との指摘が2人よりあった。
6首目の上句「パソコンに『非常階段』書きさして」は判りにくいので「『非常階段』と書きさして」とする所だった。他に何ヶ所か。
検討会のあと、僕の今期1ヶ月の詠草、70首程を2人に読んでもらい、感想をもらった。
次回の日程を決め、11時頃に散会した。
写真ACより、「フード&ドリンク」のイラスト1枚。
先の10月19日の記事、同・第49回に次ぐ。
歌誌の貸し借り、返却をし、研究会に入る。研究会Aは、お互いの詠草の検討である。
Mさんの11首より。
10首目の上句「ハロウインと雖も詮のなきことと」の2、3句を「雖も静かなわが家なれ」に直すよう、Tさんが奨めた。
11首目の上句「泣く弟に田の水飲ませし時代あり」を、判りにくいので「渇き泣く弟に田の水飲ませにき」に直すよう、僕が奨めた。他に何ヶ所か。
Tさんの10首より。
3首目の2、3句「風に揺るるコスモスの」の2句が字足らずなので「風に揺れゐる」に直すよう、僕が奨めた。
9首目の4句「心踊りよ」を、心の事なので「心躍りよ」に直すよう、僕が奨めた。他に何ヶ所か。
僕の10首より。
4首目の下句「店にて妻が買う心はや」は、僕だけのために買ってくれている事がわからない、との指摘が2人よりあった。
6首目の上句「パソコンに『非常階段』書きさして」は判りにくいので「『非常階段』と書きさして」とする所だった。他に何ヶ所か。
検討会のあと、僕の今期1ヶ月の詠草、70首程を2人に読んでもらい、感想をもらった。
次回の日程を決め、11時頃に散会した。
写真ACより、「フード&ドリンク」のイラスト1枚。
短歌研究会のお食事会
メンバー3人の短歌研究会(実は僕が「みどりの会」と命名したが、ほとんど使われていない)のB第28回を兼ねて、お食事会を持った。50回目近い同Aの予祝である。ハロウィンは、誰も意識していなかった。
9月28日の記事、同B・第27回に次ぐ。
場所は市内の、豆腐料理を主とした和食料理店、「梅の花」。日時は10月31日午前11時より。
メンバー3人が、6客室に案内されて、料理を決める。湯豆腐を中心としたコースに、松茸土瓶蒸しを加えたセットとする。3人とも、車で来ているので、アルコールはなし。時間が1時間半という事で、11時半まで研究会、それより食事とする。
歌誌の貸し借り返却、アンソロジー詩集の贈呈などの後、短歌研究会B、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みに入る。歌集「多く夜の歌」より、昭和33年、「年始に」「春の雪きて」の章(140、141ページ)のみとなる。
料理は美味しく、僕が懸念した湯葉料理も美味しく食べられた。土瓶蒸しの贅沢も味わった。
料理を待つ間など、ゆったり話を交した。
デザートをおえて、大男の僕も、腹一杯だった。3人で、来年もこのような食事会を持ちたい、と話し合った。
12時半を少し越えていたので、退室し(僕はジャンパーを忘れそうになり、Tさんに注意された)、会計へ。Tさんがいったんまとめて払い、あとで3人で完全割り勘とした。次回の日程を決め、散会した。
来る時には、僕は2度、道を間違えたが、帰途はまっすぐ帰った。
写真ACより、「乗り物イラスト」の1枚。
9月28日の記事、同B・第27回に次ぐ。
場所は市内の、豆腐料理を主とした和食料理店、「梅の花」。日時は10月31日午前11時より。
メンバー3人が、6客室に案内されて、料理を決める。湯豆腐を中心としたコースに、松茸土瓶蒸しを加えたセットとする。3人とも、車で来ているので、アルコールはなし。時間が1時間半という事で、11時半まで研究会、それより食事とする。
歌誌の貸し借り返却、アンソロジー詩集の贈呈などの後、短歌研究会B、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みに入る。歌集「多く夜の歌」より、昭和33年、「年始に」「春の雪きて」の章(140、141ページ)のみとなる。
料理は美味しく、僕が懸念した湯葉料理も美味しく食べられた。土瓶蒸しの贅沢も味わった。
料理を待つ間など、ゆったり話を交した。
デザートをおえて、大男の僕も、腹一杯だった。3人で、来年もこのような食事会を持ちたい、と話し合った。
12時半を少し越えていたので、退室し(僕はジャンパーを忘れそうになり、Tさんに注意された)、会計へ。Tさんがいったんまとめて払い、あとで3人で完全割り勘とした。次回の日程を決め、散会した。
来る時には、僕は2度、道を間違えたが、帰途はまっすぐ帰った。
写真ACより、「乗り物イラスト」の1枚。
短歌研究会A第49回
10月18日(木曜日)の午前、事情により通常とは1時間遅れの10時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会A第49回を持った。同・第48回は、先の9月19日の記事にアップした。
3人とも定刻前に集まり、本の貸し借り返却のあと、注文品の来る前に、お互いの詠草の検討に入った。
Mさんの9首より。
3首目の「今年また曼珠沙華咲く頃となり幾人逝きし寂し身めぐり」を、「今年また曼珠沙華咲く頃となる幾人逝きて寂し身めぐり」にするよう、2人が奨めた。
4首目の下句「鵯の濁声不意に鳴き出づ」を倒置して、「不意に鳴き出づる鵯の濁声」にするよう、Tさんが奨めた。
9首目の「夕餉には秋刀魚を焼かむと庭に出で青き蜜柑を爪立ちて摘む」を、「夕餉には秋刀魚を焼かむ庭に出で青き蜜柑を爪立ちて採る」にするよう、2人が奨めた。
Tさんの8首より。
2首目の上・中句「雑言に盛り上がりて帰るさの」を、「雑言に盛り上がりての帰るさの」にするか、僕が奨めた。
7首目の上・中句「山中でふいに聞こえし人声に」の2句を、「聞こゆる」にするか、Tさんの勘案に任せる事になった。
僕の10首より。
4首目の「競争しいいね!を付けていた人の去ったブログにマークを付ける」は、内容と共に、読み方も拙く、わかりにくいようだった。
6首目の上・中句「金曜日早寝の妻は侘びしいな」の2句を「妻の早寝は」にするよう、Tさんに奨められ、僕も納得した。
その後、今期1ヶ月の僕の詠草、80首程を2人に読んでもらい、感想をもらった。
意外と早く済み、次回の予定を決めて、11時半過ぎに散会した。
写真ACより、「フルーツ」のイラスト1枚。
3人とも定刻前に集まり、本の貸し借り返却のあと、注文品の来る前に、お互いの詠草の検討に入った。
Mさんの9首より。
3首目の「今年また曼珠沙華咲く頃となり幾人逝きし寂し身めぐり」を、「今年また曼珠沙華咲く頃となる幾人逝きて寂し身めぐり」にするよう、2人が奨めた。
4首目の下句「鵯の濁声不意に鳴き出づ」を倒置して、「不意に鳴き出づる鵯の濁声」にするよう、Tさんが奨めた。
9首目の「夕餉には秋刀魚を焼かむと庭に出で青き蜜柑を爪立ちて摘む」を、「夕餉には秋刀魚を焼かむ庭に出で青き蜜柑を爪立ちて採る」にするよう、2人が奨めた。
Tさんの8首より。
2首目の上・中句「雑言に盛り上がりて帰るさの」を、「雑言に盛り上がりての帰るさの」にするか、僕が奨めた。
7首目の上・中句「山中でふいに聞こえし人声に」の2句を、「聞こゆる」にするか、Tさんの勘案に任せる事になった。
僕の10首より。
4首目の「競争しいいね!を付けていた人の去ったブログにマークを付ける」は、内容と共に、読み方も拙く、わかりにくいようだった。
6首目の上・中句「金曜日早寝の妻は侘びしいな」の2句を「妻の早寝は」にするよう、Tさんに奨められ、僕も納得した。
その後、今期1ヶ月の僕の詠草、80首程を2人に読んでもらい、感想をもらった。
意外と早く済み、次回の予定を決めて、11時半過ぎに散会した。
写真ACより、「フルーツ」のイラスト1枚。
短歌研究会B第27回
9月27日の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第27回を持った。
同・第26回の記事は、7月31日にアップしており、8月が同・Aと同じく休みであり、2ヶ月ぶりの研究会Bである。
僕はアイスコーヒーを、2人はアメリカンコーヒーを注文し、歌誌の貸し借り、返却のあと、研究会Bに入る。短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
今回は132ページ、歌集「多く夜の歌」の1956年の初めの章「夜の雲」よりである。
「尋常にめぐりきたれるこの朝の空気つめたく寒きをよろこぶ」は、尋常な朝を喜ぶ、新年詠であろう。
「ふるさとは影置く紫蘇も桑の木も一様(いちやう)に寂し晩夏のひかり」に「寂し」と出て来るけれども、今回読んだ7ページの内、これを含めて「寂し」が2回、「寂しき」、「寂しさ」、「寂しきかなや」、「寂しく」、「寂しかる」が各1回用いられて、つくづく寂しい歌人だったと、身に沁みる。
134ページの「粗組の家」では、自分たちの家が竣る事を喜ぶ。
日本の原子力発電、人工衛星の出来事を、さっそく詠み込んでいる。
138ページのしまい、「教団望看」のしまいで、僕がこの所の臀部の痛みが強く、ギブアップした。10時半だった。次の研究会の日程を決め、散会した。
写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。
同・第26回の記事は、7月31日にアップしており、8月が同・Aと同じく休みであり、2ヶ月ぶりの研究会Bである。
僕はアイスコーヒーを、2人はアメリカンコーヒーを注文し、歌誌の貸し借り、返却のあと、研究会Bに入る。短歌研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
今回は132ページ、歌集「多く夜の歌」の1956年の初めの章「夜の雲」よりである。
「尋常にめぐりきたれるこの朝の空気つめたく寒きをよろこぶ」は、尋常な朝を喜ぶ、新年詠であろう。
「ふるさとは影置く紫蘇も桑の木も一様(いちやう)に寂し晩夏のひかり」に「寂し」と出て来るけれども、今回読んだ7ページの内、これを含めて「寂し」が2回、「寂しき」、「寂しさ」、「寂しきかなや」、「寂しく」、「寂しかる」が各1回用いられて、つくづく寂しい歌人だったと、身に沁みる。
134ページの「粗組の家」では、自分たちの家が竣る事を喜ぶ。
日本の原子力発電、人工衛星の出来事を、さっそく詠み込んでいる。
138ページのしまい、「教団望看」のしまいで、僕がこの所の臀部の痛みが強く、ギブアップした。10時半だった。次の研究会の日程を決め、散会した。
写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。
短歌研究会B第26回
7月29日(第5日曜日)の午前9時半、3人のメンバーが喫茶店に集まって、短歌研究会B第26回を持った。
先の6月27日の記事、同・第25回に次ぐ。
僕がアイスコーヒーのモーニングセット、Mさんがブレンドコーヒーのモーニングセット、Tさんがアメリカンコーヒーを注文した。
歌誌の貸し借り、返却や、短歌会F支部の様子を伺うなどした。
研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
今回は、127ページ、昭和三十年の「元日晨朝」の節からである。
128ページの初め、上の句の「貧しかる俸給取兼詩人にて」はなぜ「歌人」ではいけなかったのか。詩人かつ歌人を自称する僕の、拘る所である。
「櫓の下」の2首目、「ゆたかなる霜置きしかば青のいろ賑はふに似て野の川くだる」の「青のいろ」は草の事か、川水の事か、僕は迷ったのだが、Tさんは歌の流れから、草の事だろうと判じた。
同・4首目の、馬の蹄を洗いやる夢は、戦時経験が長く残っていたのだろう。
「病後小吟」の節の1首目、下句の「むらさきかなし桐の花咲き」は、倒置法である。
同・3首目の4句「引揚げてきて」は、戦地からの引揚げ者を指す。
130ページに入って、「椎の実机にころがせり」の2句3句は、「椎の実を机(き)にころがせり」とすれば、音数は合う。もちろん作者には、わかっていた事だろう。
131ページの、下句「路地行けば軒に鮟鱇吊らる」の軒は、魚屋の軒だろう、と感想が一致した。
その他にも、様々に語ったが、ここに書ききれない。
次回の日程を決め、10時半過ぎに散会した。
写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。
先の6月27日の記事、同・第25回に次ぐ。
僕がアイスコーヒーのモーニングセット、Mさんがブレンドコーヒーのモーニングセット、Tさんがアメリカンコーヒーを注文した。
歌誌の貸し借り、返却や、短歌会F支部の様子を伺うなどした。
研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
今回は、127ページ、昭和三十年の「元日晨朝」の節からである。
128ページの初め、上の句の「貧しかる俸給取兼詩人にて」はなぜ「歌人」ではいけなかったのか。詩人かつ歌人を自称する僕の、拘る所である。
「櫓の下」の2首目、「ゆたかなる霜置きしかば青のいろ賑はふに似て野の川くだる」の「青のいろ」は草の事か、川水の事か、僕は迷ったのだが、Tさんは歌の流れから、草の事だろうと判じた。
同・4首目の、馬の蹄を洗いやる夢は、戦時経験が長く残っていたのだろう。
「病後小吟」の節の1首目、下句の「むらさきかなし桐の花咲き」は、倒置法である。
同・3首目の4句「引揚げてきて」は、戦地からの引揚げ者を指す。
130ページに入って、「椎の実机にころがせり」の2句3句は、「椎の実を机(き)にころがせり」とすれば、音数は合う。もちろん作者には、わかっていた事だろう。
131ページの、下句「路地行けば軒に鮟鱇吊らる」の軒は、魚屋の軒だろう、と感想が一致した。
その他にも、様々に語ったが、ここに書ききれない。
次回の日程を決め、10時半過ぎに散会した。
写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。
短歌研究会B第25回
6月26日(火曜日)の午前9時半より、メンバー3人が喫茶店に集まって、短歌研究会B第25回を持った。
今月1日の記事、同・第24回に次ぐ。
僕がアイスコーヒーのモーニングセット、Mさんがブレンドコーヒーのモーニングセット、Tさんがアメリカンコーヒーを注文した。
飲食しつつ歌誌・歌集の貸し借り・返却、詩誌の贈呈のあと、研究会に入る。
研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
今回は、歌集「多く夜の歌」の「瑠璃と紅」の章の「西国行」の節、124ページからである。
初めの歌の4句5句「今年のわかき藺田(ゐだ)うち見ゆる」の「うち」と連体形は、貧しいながら農業生産の場(宮柊二は書店の息子で、農業経験がない)の力強さを感じたのだろう。
2首目の4句5句「原民喜詩碑に対ひ立てりあはれ」は、結句が9音になっても、「対ひて立てり」では済まない、強い思いがあったのだろう。
「高井戸の家」の章に入り、2首目「人間を大事にせざる実験の大き規模おもひこころ激(たぎ)ち来(く)は、当時の米ソの水爆実験を指すようだ。
5首目「弁明をせずに生きむとおもふけど弁明以外の何を饒舌(しやべ)らむ」で、「けど」の口語は、「しゃべらん」の口語に繋がるのだろう。
126ページの3首目の初句2句「ならびたる野菜なつかし」で懐かしいのは、僕は戦後復興を、Tさんは故郷を思っての事、と解した。
次の「庭土の凹処(くぼど)に溜る雨水(あまみづ)が」の歌に惹かれると、Mさんが述べた。
「しづかに映す」、「このしづかなる」の句が目立ち、心の静かさを、宮柊二は願ったのだろう。
127ページの「十国峠」の節で今回の研究会を了えた。
次回の日程を決め、10時半過ぎに散会した。
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。
今月1日の記事、同・第24回に次ぐ。
僕がアイスコーヒーのモーニングセット、Mさんがブレンドコーヒーのモーニングセット、Tさんがアメリカンコーヒーを注文した。
飲食しつつ歌誌・歌集の貸し借り・返却、詩誌の贈呈のあと、研究会に入る。
研究会Bは、岩波文庫「宮柊二歌集」(宮英子・高野公彦・編)の読み込みである。
今回は、歌集「多く夜の歌」の「瑠璃と紅」の章の「西国行」の節、124ページからである。
初めの歌の4句5句「今年のわかき藺田(ゐだ)うち見ゆる」の「うち」と連体形は、貧しいながら農業生産の場(宮柊二は書店の息子で、農業経験がない)の力強さを感じたのだろう。
2首目の4句5句「原民喜詩碑に対ひ立てりあはれ」は、結句が9音になっても、「対ひて立てり」では済まない、強い思いがあったのだろう。
「高井戸の家」の章に入り、2首目「人間を大事にせざる実験の大き規模おもひこころ激(たぎ)ち来(く)は、当時の米ソの水爆実験を指すようだ。
5首目「弁明をせずに生きむとおもふけど弁明以外の何を饒舌(しやべ)らむ」で、「けど」の口語は、「しゃべらん」の口語に繋がるのだろう。
126ページの3首目の初句2句「ならびたる野菜なつかし」で懐かしいのは、僕は戦後復興を、Tさんは故郷を思っての事、と解した。
次の「庭土の凹処(くぼど)に溜る雨水(あまみづ)が」の歌に惹かれると、Mさんが述べた。
「しづかに映す」、「このしづかなる」の句が目立ち、心の静かさを、宮柊二は願ったのだろう。
127ページの「十国峠」の節で今回の研究会を了えた。
次回の日程を決め、10時半過ぎに散会した。
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。