風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

短編小説

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 石田衣良(いしだ・いら)の短編小説集「スローグッドバイ」を読み了える。
 彼の小説を読んだのは、今年6月30日の記事にアップした、
「東京DOLL」以来である。
概要
 集英社文庫、2005年6月・3刷。
 彼の初めての短編集で、初めての恋愛作品集と、「あとがき」にある。
 「東京DOLL」が2007年刊だから、長編恋愛小説と捉えると(その間にも作品はあるだろうけれど)、2年の間の筆力の成長は凄まじい。
感想
 脛の傷、心の闇、隠したい過去を抱きながら生き抜く男女を描く10編。性を交す作品が多いけれども、そうでない作品もある。
 サクセス・ストーリーへの執着が見られ、シナリオ・ライターとして成功してゆく「曜子」とそれを見守る「史郎」の「夢のキャッチャー」、イラストレーターとして「山口高作」を発掘するPR誌の「サツキ」の「線のよろこび」などがある。
 憶測を交す男女が、結末でどんでん返し的に和解するストーリーを含めて、最後の表題作「スローグッドバイ」を除けば、ハッピーエンドの物語である。
 「スローグッドバイ」では、2年間の同棲をしていたフミヒロとワカコが別れる事になり、さよならデートをした後、ワカコの見抜いた通り、フミヒロの「心のなかにたくさんの物語があふれていたからだ」と作家的才能の発現を描く。これまでの9編をフミヒロの作品であるかのように、この作品集を2重にフィクション化している。


幸田玲 月曜日の夜に
 幸田玲「月曜日の夜に」kindle unlimited版を読み了える。
 先の8月31日の記事「3冊を入手」で報せた内の1冊である。

 2018年1月29日・刊。126ページ。

 11編の恋愛小説を収める、短編小説集である。
 彼女はインディーズ作家として活躍し、他のkindle本もある。
 小説投稿サイトで50万pvを得たというが、冊数に換算すれば多くはない。
 淡い恋の話で、性描写もほとんどない。出会いがあり、高揚があり、すれ違って別れてゆく、失恋ばかりである。ミステリーめかした作品もある。
 インディーズ作家の作品を、メジャーな作家の作品と、同じ目線で見てはいけないと思う。発表場所も、読者層も、収入も違う。彼女も、小説で生活できる程の収入は得ていないだろう。
 機会を掴んで、メジャーへ進出すれば、僕も喜んで祝いたい。



三浦しをん 天上の飲み物
 三浦しをんの短編小説、「天上の飲み物」kindle unlimited版を読み了える。
 タブレットへのダウンロードは、今月25日の記事
「2冊を入手」の初めで報せた。
概要
 三浦しをんは、1976年・生。
 「まほろ駅前多田便利軒」で直木賞を、「船を編む」で本屋大賞を受賞。
 三浦しをんの本は、僕はこれが初めてである。
 「船を編む」が話題になった時、今さら辞書編集者のストーリーなどを・・・電子辞書の開発と向上と進展の裏側を覗きたい、と思ったのは僕だけではない筈である。企業秘密だから公開されないだろうけれども。
 「天上の飲み物」は赤ワインの事で、初出は季刊の「サントリークォータリー」である。納得する。宣伝誌に、意に添うストーリーを発表しても良い。
感想
 400年以上生きるドラキュラが、人間の生活に慣れ、今は大学生・後藤次郎・21歳として、酒屋の2階に下宿し、25歳のOL・宮村有美に恋している。
 しかし主人公は、恋人の血を飲む事も、血を与えてドラキュラ界に引き入れる欲求も、我慢して耐える。短いエピソードとはいえ、何の寓意か。
 ドラキュラは、作家を指すか、自由業を指すか、起業家を指すか。サラリーマンではない世界を指すようである。その世界に引き入れたい欲求がありながら、サラリーマンの世界から、引き剥がせない。
 下世話なようだが、単なるドラキュラと娘さんの恋物語と思えなかった。


 



 岩波文庫の室生犀星「或る少女の死まで 他二篇」より、第2作「性に目覚める頃」を読み了える。
 昨日(8月2日)の記事、
同・「幼年時代」に次ぐ。
概要
 僕の読んだ本は、1952年・初版、1969年・23刷改版、1991年・第48刷となっている。
 寺の里子になって、高等小学校を中退した「私」が、寺で自由に暮らしながら(実際は裁判所の給仕係かになっていた)、賽銭泥棒の美しい娘への欲求や、「表」という文学の友人で、娘にスレている同じ17歳の少年(後に「お玉さん」という決まった恋人ができる)が、描かれている。
感想
 賽銭泥棒の娘とは、賽銭箱に警告文を入れて、来させなくする。
 「表」は結核病(当時は不治の病気だった)で亡くなり、文学上の償いをする。「お玉さん」も結核病が伝染して臥す状態で、哀れを誘う。
 事実かフィクションか、詮索する必要がないので、男女の情の生々しい所も、哀れな様も、鑑賞できる。
 数十年後だろうが、僕の思春期とかけはなれていて、懐旧の思いは抱かなかった。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。


 

 河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・全訳)第2巻(1956年・刊)より、同巻・最後の作品、短編小説「鰐」を読み了える。
 今月8日の記事、
同・中編「いやな話」に次ぐ。
概要
 初出は、ドストエフスキーの主宰していた雑誌、「エポーハ」の1865年2月号(終刊号)だった。
 この全集では、収録ページ数の関係か、掲載順と発表順が違っている。
 1865年は、流刑・兵役よりドストエフスキーがペテルブルクへ1858年に戻った後であり、「死の家の記録」、「地下室の手記」の発表後である。また翌年には「罪と罰」を発表している。
感想
 「私」の友人、イヴァン・マトヴェーイチが見世物の鰐に呑み込まれて、腹中で元気に生き続け、見物人の多さに自惚れる、というストーリーである。「新しい経済関係の独創的な新理論を発明して」「人類の運命を逆転させ得る人間だ」という具合に。
 作者は「ただ読者を笑わすための純文学的な戯作」と述べたようだ。
 あまりにばかばかしいストーリーなので、何か深い寓意が込められているかと、僕は勘繰りたくなる。実際、憶測が世間一般に広がり、本人は後に唖然としたという。
 軽い冗談にも意味はある。この作品は、未完である。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。



 河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・全訳)第2巻(1956年・刊)より、短編小説「クリスマスと結婚式」を読み了える。
 今月6日の記事、
同・「正直な泥棒」に次ぐ。
概要
 初出は「正直な泥棒」と同じく、1848年の「祖国雑誌」である。副題は「無名氏の手記」。
 「私」の手記という形である。5年前の大晦日の、子供の舞踏会へ場違いながら呼ばれるが、知名の実業家の手蔓たちに疲れ、小さい客間へ引っ込む。実業家の幼い娘と、恵まれない少年が睦んでいる所へ、主賓のユリアン・マスターコヴィッチが現われ、娘の持参金・30万ルーブリが結婚できる5年後には50万ルーブリになるだろうと算段して、「私」に気づかず、娘にお愛想を使う。主人夫妻も、その結婚に賛成の様である。
 5年後「私」は、16歳になったその娘と、ユリアンの結婚式の場を見掛けるが、娘の眼は泣き腫らしている。
感想
 実業家が名士と手蔓がほしくて娘を結婚させ、名士は持参金ほしさに女性の気持ちを汲まずに結婚する。
 妻に嫌われて、大金があっても、豊かに暮らせるものだろうか。
 また本当に強欲な者は、弱者に愛想もせず、自分が正しいと信じて強奪する、というのが僕の感想である。
 ドストエフスキーが本当に批判しているにしては、描写が客観的で、「私」に「それにしても胸算用が鮮やかに行ったもんだな!」との感慨を持たせた。発表時の検閲を恐れたのだろうか。

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写真ACより、「ゲームキャラクター」のイラスト1枚。



 河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・全訳)第2巻(1956年・刊)より、短編小説「正直な泥棒」を読み了える。
 4月20日の記事、
「人妻と寝台の下の良人」に次ぐ。
概要
 初出は、1848年の「祖国雑誌」。
 官吏の「私」が、下宿屋の台所の隅を間借りするようになった、アスターフィの長い話を聞く設定になっている。
 アスターフィがましな生活をしていた2年前、エメーリャという、酒で身を持ち崩した男が住み着き居候の形になった。
 アスターフィが留守の間に、大事なズボンが無くなり、しばらく酒を飲めなかったエメーリャが酔っている。アスターフィはエメーリャを問い詰めるが、エメーリャは盗みを否定する。
 しかしエメーリャが体調を崩し、亡くなる間際に、ズボンを盗んだ事を告げる。
感想
 酒(や賭博)で、身を持ち崩し、破滅に近い様になる人物はいる。
 ドストエフスキーが好んで描いた、破滅に至る人物の一人である。
 もっとも罪の告白は、近い死を受容した時になされて、やがて安心して亡くなるパターンだと、僕は思っている。
 ドストエフスキーが身の窮まる人物を描くのは、その淵の近くまで行った、自身の経験があるからだろう。
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写真ACより、「ゲームキャラクター」のイラスト1枚。



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