風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケは、2017年10月17日付けでのAmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)の発行に続き、第5詩集「改訂版 ソネット詩集 光る波」(縦書き)を、2018年5月31日、Kindleストアにて発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 2011年10月1日・刊の紙本「ソネット詩集 光る波」に、数十ヶ所の加筆をし、編集しました。
 販売ページは、Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 ソネット 光る波」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。右サイドバーのバナーよりも着けます。
 kindle版で540円(税込み)、kindle unlimited版も発行しています。
 次回の無料キャンペーンを、9月初め頃に予定しています。

短編小説

 岩波文庫の室生犀星「或る少女の死まで 他二篇」より、第2作「性に目覚める頃」を読み了える。
 昨日(8月2日)の記事、
同・「幼年時代」に次ぐ。
概要
 僕の読んだ本は、1952年・初版、1969年・23刷改版、1991年・第48刷となっている。
 寺の里子になって、高等小学校を中退した「私」が、寺で自由に暮らしながら(実際は裁判所の給仕係かになっていた)、賽銭泥棒の美しい娘への欲求や、「表」という文学の友人で、娘にスレている同じ17歳の少年(後に「お玉さん」という決まった恋人ができる)が、描かれている。
感想
 賽銭泥棒の娘とは、賽銭箱に警告文を入れて、来させなくする。
 「表」は結核病(当時は不治の病気だった)で亡くなり、文学上の償いをする。「お玉さん」も結核病が伝染して臥す状態で、哀れを誘う。
 事実かフィクションか、詮索する必要がないので、男女の情の生々しい所も、哀れな様も、鑑賞できる。
 数十年後だろうが、僕の思春期とかけはなれていて、懐旧の思いは抱かなかった。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。


 

 河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・全訳)第2巻(1956年・刊)より、同巻・最後の作品、短編小説「鰐」を読み了える。
 今月8日の記事、
同・中編「いやな話」に次ぐ。
概要
 初出は、ドストエフスキーの主宰していた雑誌、「エポーハ」の1865年2月号(終刊号)だった。
 この全集では、収録ページ数の関係か、掲載順と発表順が違っている。
 1865年は、流刑・兵役よりドストエフスキーがペテルブルクへ1858年に戻った後であり、「死の家の記録」、「地下室の手記」の発表後である。また翌年には「罪と罰」を発表している。
感想
 「私」の友人、イヴァン・マトヴェーイチが見世物の鰐に呑み込まれて、腹中で元気に生き続け、見物人の多さに自惚れる、というストーリーである。「新しい経済関係の独創的な新理論を発明して」「人類の運命を逆転させ得る人間だ」という具合に。
 作者は「ただ読者を笑わすための純文学的な戯作」と述べたようだ。
 あまりにばかばかしいストーリーなので、何か深い寓意が込められているかと、僕は勘繰りたくなる。実際、憶測が世間一般に広がり、本人は後に唖然としたという。
 軽い冗談にも意味はある。この作品は、未完である。
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写真ACより、「ファンタジー」のイラスト1枚。



 河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・全訳)第2巻(1956年・刊)より、短編小説「クリスマスと結婚式」を読み了える。
 今月6日の記事、
同・「正直な泥棒」に次ぐ。
概要
 初出は「正直な泥棒」と同じく、1848年の「祖国雑誌」である。副題は「無名氏の手記」。
 「私」の手記という形である。5年前の大晦日の、子供の舞踏会へ場違いながら呼ばれるが、知名の実業家の手蔓たちに疲れ、小さい客間へ引っ込む。実業家の幼い娘と、恵まれない少年が睦んでいる所へ、主賓のユリアン・マスターコヴィッチが現われ、娘の持参金・30万ルーブリが結婚できる5年後には50万ルーブリになるだろうと算段して、「私」に気づかず、娘にお愛想を使う。主人夫妻も、その結婚に賛成の様である。
 5年後「私」は、16歳になったその娘と、ユリアンの結婚式の場を見掛けるが、娘の眼は泣き腫らしている。
感想
 実業家が名士と手蔓がほしくて娘を結婚させ、名士は持参金ほしさに女性の気持ちを汲まずに結婚する。
 妻に嫌われて、大金があっても、豊かに暮らせるものだろうか。
 また本当に強欲な者は、弱者に愛想もせず、自分が正しいと信じて強奪する、というのが僕の感想である。
 ドストエフスキーが本当に批判しているにしては、描写が客観的で、「私」に「それにしても胸算用が鮮やかに行ったもんだな!」との感慨を持たせた。発表時の検閲を恐れたのだろうか。

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写真ACより、「ゲームキャラクター」のイラスト1枚。



 河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・全訳)第2巻(1956年・刊)より、短編小説「正直な泥棒」を読み了える。
 4月20日の記事、
「人妻と寝台の下の良人」に次ぐ。
概要
 初出は、1848年の「祖国雑誌」。
 官吏の「私」が、下宿屋の台所の隅を間借りするようになった、アスターフィの長い話を聞く設定になっている。
 アスターフィがましな生活をしていた2年前、エメーリャという、酒で身を持ち崩した男が住み着き居候の形になった。
 アスターフィが留守の間に、大事なズボンが無くなり、しばらく酒を飲めなかったエメーリャが酔っている。アスターフィはエメーリャを問い詰めるが、エメーリャは盗みを否定する。
 しかしエメーリャが体調を崩し、亡くなる間際に、ズボンを盗んだ事を告げる。
感想
 酒(や賭博)で、身を持ち崩し、破滅に近い様になる人物はいる。
 ドストエフスキーが好んで描いた、破滅に至る人物の一人である。
 もっとも罪の告白は、近い死を受容した時になされて、やがて安心して亡くなるパターンだと、僕は思っている。
 ドストエフスキーが身の窮まる人物を描くのは、その淵の近くまで行った、自身の経験があるからだろう。
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写真ACより、「ゲームキャラクター」のイラスト1枚。



 河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・全訳)第2巻(1956年・刊)より、短編小説「人妻と寝台の下の良人」を読み了える。
 先行する
「弱い心」は、今月22日の記事にアップした。
概要
 初め「人妻」と「やきもち焼きの良人」と題する、2短編小説として発表され、17年後に作者によって1編に合わされた。1編として読むには、登場人物、ストーリーに無理があり、(一)と(二)に分けて読む。
 (一)「人妻」では、妻と夫、燕、愛人が出くわす話である。妻が何とかその場をごまかしてしまう。ドストエフスキーは当時、婦人の貞操に信を置いていなかったようだ。
 (二)「やきもち焼きの良人」では、妻の不倫を疑うあまり、見知らぬ婦人のベッドの下に他人の青年と共に、潜ってしまう男の話である。ここでは嫉妬が無様だと諭されている。
感想
 両編とも、金銭や仕事には苦しまない登場人物で、男女間のもつれ、というより切羽詰まった人物の、狂気めく言動に、作者の関心はあったようだ。
 嫉妬のテーマは後に、「永遠の良人」で完成されたと、解説にある。「永遠の良人」を、僕は読んだ記憶があるが、ストーリーは記憶していない。
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写真ACより、「お花屋さん」のイラスト1枚。


 河出書房「ドストエーフスキイ全集」(米川正夫・全訳)第2巻(1956年・刊)より、短編小説「ポルズンコフ」を読み了える。
 昨年8月10日の記事、
(同)「九通の手紙に盛られた小説」以来である。
 なぜこんなに期間が空いたかと言えば、2編の間にある中編小説、「主婦」を読み進められなかったからである。それなら一旦、それは避けて通って(後時、読む日があれば幸いである)、次の短編小説を読む事にした。
概要
 周囲の者に無心して(小説では、借金して、と書かれてもいる)生活しているポルズンコフが、自虐ネタの笑い話で座興を惹く話である。
 下級官吏だった頃、上司の娘が失恋して、彼と結婚する事になった。しかし思い直した上司が芝居を打って、破約、持参金も返却させ、ポルズンコフを免官してしまう。しばらくして元・上司に出会ったポルズンコフが、「卑怯者」と言ってやろうとして、口から出ない始末である。
感想
 失恋した娘を嫁がせようとする親心、舞い上がってしまう下級官吏、思い直した上司官僚の冷酷さ、などが座興話的にうまく描かれている。
 当時の貧民の道化の心理、それを面白がる者たちの心理、貧しい者たちの世界を描いて、ドストエフスキーの1世界である。
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写真ACより、「ゲームキャラクター」のイラスト1枚。


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 沖積舎「梅崎春生全集」第3巻(1984年・刊)より、初めの紹介をする。
 
第2巻の了いの記事は、今年2月14日にアップした。
 今回に僕が読んだのは、「輪唱」(「いなびかり」、「猫の話」、「午砲」の3作品より成る)、「赤帯の話」、「黒い花」の3編である。
「輪唱」
 「いなびかり」は、仏師だけれどもモク拾いをしている「おじいさん」、それを巻いて売っている「おばあさん」の話である。おばあさんが稀に鯨肉を買って来ると、野良猫に半分食われてしまい、火吹き竹で横面を殴りつける。
 「猫の話」では、若者の部屋に居着いた猫が、「いなびかり」の話で殴られてふらふらと自動車に轢かれ、その姿が消えるまでを、若者は窓より眺めている。
 「午砲」は、午砲を打つのが仕事の「叔父さん」と「少年」の物語である。前作の「若者」の少年時代の話らしい。
 3作とも、戦後の貧しい、生への執着が露わな作品である。
「赤帯の話」
 シベリア抑留中の「私」たちが、「赤帯」と呼ばれる人情味ある監督に接する話である。人間関係、食事などに、もっと苛酷であったように読んでいるが、そのような事態があったかも知れない。
「黒い花」
 
未決囚(女性)より裁判長への上申書の形を採っている。継母との確執、敗戦、ダンスホールへ通うようになり、不良たちと混じるようになり、殺人を犯してしまう経緯を、縷々と述べている。
 犯罪者の生い立ちとして、形式化があるようだけれど、戦後すぐの犯罪者として、ありえた話だろう




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