風の庫

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短詩

 A・幸代さんの年刊個人詩誌「野ゆき」vol.11を読み了える。
 到着は今月2日の記事、2冊と1紙が届く、にアップした。


 リンクより、過去号の記事へ遡れる。

「野ゆき」vol.11
 「野ゆき」vol.11の表紙である。発行者名は、ブランクにしてある。
 「返事して」、「満月」、「亀」、「焼き芋」、「友よ」の5編の短詩を収める。
 「返事して」は、見失ったメガネ、ケイタイ、鍵などが、呼んだら返事してくれる機能を備えるよう、願う内容である。ITの進歩で、実現しそうである。
 「友よ」は、10数年前に亡くなった、異性の友を偲ぶ。「私のほうが憎まれっ子だったか」ほか自省的である。優しく、清潔で、かつ行動力のある彼女の、1面が知られる。
 了解は得ていないけれど、「満月」という、全6行の作品を引く。

  満月
   A・幸代

あれまあ満月は
過ぎちまったのかえ
あんなに待ってたのに
しばらく雨続きだったから
仕方ないけど

空は薄情だよねえ

 満月は、人生の盛りを表すのだろうか。盛りの時期を、煙って過ぎた人を、憐れむのだろうか。僕の場合は大丈夫である。紙の詩集を最近出版していないが、ネットで活動し、Kindle本を何冊か出版し、次の目標も次の次の目標もある。
 11号に至る、着実な歩みを続ける年刊個人詩誌「野ゆき」の、次の号を待ちたい。

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 先の4月15日の記事、入手した3冊を紹介する(8)で報せた内、Kindle版「室生犀星作品集」より、「抒情小曲集」を読み了える。


室生犀星作品集
 この作品集の作品の順番は、分類別でなく、題名のあいうえお順なので、独特である。室生犀星の詩集は、古い岩波文庫(1965年・12刷、自選)しか持っていないので、新しく多くの詩に出会える。

 「抒情小曲集」は、「愛の詩集」に次ぐ第2詩集(同年に刊行された)である。
 94編の短詩を集めている。白秋、朔太郎、自分、他の序文が長い。
 「特つた」(持った?)、「青さ波」(青き波?)、「葱はおとろゆ」(衰ふ?)等の、誤りと見られる箇所がある。
 「みやこへ」(7行)には、「けさから飯も食べずに/青い顔してわがうたふ」のフレーズがあり、生死を賭けた、飯よりも詩が好きな例の、詩である。
 3部の内の第2部に移ると、5音句・7音句が多くなり、「時無草」のような冷たい抒情が見られる。
 第3部の「街にて」では、「…服は泥をもて汚され/…/れいらくの汚なき姿をうつす/…/血みどろに惨としてわれ歩む」と困窮の様を描いた。
 小説家へ移行して成功するまで、当時の多くの若者詩人の一人だったのだろう。


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年刊句集「福井県 第57集」
 福井県俳句作家協会「年刊句集 福井県 第57集」(2019年3月20日・刊)より、8回めの紹介をする。
 先の5月22日の記事、同・(7)に次ぐ。
 今回で第57集の作品集のすべてを読み了えた事になる。
 昨年の第56集と同じく、8回めで紹介できて幸いである。
概要
 今回は、192ページ~218ページの、47名、470句を読んだ。
 敦賀地区(敦賀市、美浜町)、若狭東地区(三方郡、三方上中郡)、若狭西地区(小浜市、おおい町、高浜町)の、3地区のすべてである。
 このあと、各俳句大会入賞句、出句者索引を含め、付随項目を収める。
感想

 ほぼ有季定型の句で、季節の短詩の良さを、十分に味わった。俳句らしい大胆な省略や、海辺の町らしい句に、改めて新鮮さを感じた。
 俳句を創らない僕が、県の俳句アンソロジーを紹介し、拙評や引用で、福井県俳壇に、要らぬ波風を小さくても立てなかったか、心配である。
 今後も福井県俳壇が栄えるように、願っている。
引用
 以下に5句を引く。
懸命に父の腕まで泳ぎ着く(N・一雄)
初競や海の色濃き出世魚(M・千代枝)
ちびつこの眼きらきら蟻の道(T・恭子)
春光や海を汲み上げ船洗ふ(H・稔)
ケーブルで着く山頂の青嵐(H・照江)



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野ゆきNo.9

 最近に届いた2冊を紹介する。
 先日、県内の詩人、A・幸代さんが個人詩誌「野ゆき vol.9」を贈ってくださった。年1回の発行のようだ。
 vol.8は昨年12月19日の記事、
「届いた2冊とUSBメモリ」にアップしている。なおその時のもう1冊は、綜合歌誌「歌壇」2018年1月号である。
 年末のプレゼントはお歳暮みたいだが、お歳暮など貰った事のない僕は、早いクリスマス・プレゼントと(信仰はないが)受け取っておこう。短詩を1ページに1編で、5編を収める。

歌壇1月号
 綜合歌誌「歌壇」2019年1月号が12月14日に届いた。抱き合わせ販売にしたAmazonを諦め、出版社の本阿弥書店より、直接送って貰うようにした。送料無料。
 2019年と打ち込んで、急に心が慌しい。

 なお記事題の(4)は、(2)~(4)は順番付いているが、単に「届いた2冊」と題した記事がその前に6編あるので、このブログの正式な順次を表わしていない。
 2冊とも、読み了えたなら、ここで紹介したい。


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 吟遊社「春山行夫詩集」(1990年・刊、ほぼ全詩集)より、最後の詩集「砂漠の薔薇」の1回目の紹介をする。
 先行する
「水の黄昏」(2)は、先の8月27日の記事にアップした。
概要
 著者の手書きの詩集である。標題の上に「短詩集」と名付けられ、初期作品の中でも、3行詩、4行詩を中心とする。「紙製の美学」の付題を付す。
 この本で414ページ~497ページの、84ページと長いので、2回に分けて紹介する。
 全体を幾つかの章に分け、その中に短詩を収めている。
 今回は、414ページ「童話の春」の章の「砂漠の薔薇」より、464ページ「都のプロメナード」の章の「牢獄」までを読み了える。
感想
 短詩は、ほぼ機智(ウィット)あるいは真情吐露を、楽しむものだが、多くの詩に感興が湧かない。視点の集中が足りないようだ。
 「カナリヤの雨」は「ちひさけれどもうれひこそ/かなしきものかカナリヤの/ちひさいたまごに雨がふる」の3行で、古型に拠り古い感情を詠っている。
 「一つの林檎」は、「けふも林檎一つ/つめたいこころに買ひに行く」の2行の詩である。忙しい心と、冷たい心が出会っても、感興は湧かないものだ。
 ルナールの「博物誌」に想を得た、「動物舎」にはいくらか興の湧く作品がある。「羊」の2行、「どっさり紙を食べよ/いつそ羊皮の表紙になれ」は、残酷な機智がある。
 次回の「砂漠の薔薇」(2)で以って、「春山行夫詩集」の紹介の、終いとしたい。
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写真ACの「童話キャラクター」より、「シンデレラ姫」のイラスト1枚。


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