風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケが、2017年10月17日付けで、AmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)を発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 再任用・リタイア前後の、庶民の日々の悲喜哀歓を綴った4章48編と、巻末に哲学風小連作・2章7編を収めます。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 詩集 日々のソネット」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。
 また、ブログの右サイドバーの上部、アクセスカウンターの下に、Amazonアソシエイトのリンク画像「あなたへ詩集をAmazonで」を貼りましたので、画像をクリックしてくだされば、購入サイトへ飛びます。
 kindle版で540円(税込み)、kindle unlimited版も発行しています。よろしくご購入をお願い致します。

砂子屋書房

 昨日に続き、邑書林「セレクション歌人3 江戸雪集」(2003年・刊)より、「「椿夜」抄」と「「椿夜」以後」を読み了える。
 邑(ゆう)書林の「セレクション歌人」は、歌論集1冊を含めて、全34冊のシリーズである。「別冊セレクション歌論」を除き、平均160ページ、定価1、300円(+税)となっている。
概要
 江戸雪(えど・ゆき)の第2歌集「椿夜」は、2001年、砂子屋書房・刊。
 ながらみ現代短歌賞、咲くやこの花賞(大阪市・主催)文芸部門、受賞。
 「セレクション歌人」になぜ、この「椿夜」を完本で入れなかったか、疑問が残る。
感想
 彼女は結婚しても、心の危機に見舞われたりする。そして、あとがきに「いつのまにか私は詠うことなしには夜もまともに眠れなくなった。」と書くほど、短歌に没頭する。
 妊娠・出産を経ても、わが子可愛い、だけでは済まず、社会との和解は成されない。
 ひらがなの使いどころ、会話体の使い方に、優れている。
 「「椿夜」以後」は、この本で4ページ、23首のみである。
引用

 以下に8首を引く。
くらがりに時がどっぷり充ちていて街のボタンをすべておしたし
たたかったくらいで過去にしないでね坂道くだる長い胴体
川ねかす町にみしみし妊りて目がくらむまで光吐き出す
のぞまれてだいじにされていたりけり夏には夏の柊が立つ
ふゆくさのような髪して子よわれを愛しつづけよ憎みつづけよ
わが身体えぐり生まれしおさなごは月光のごとしずかに坐る
こわいのよ われに似る子が突然に空の奥処を指さすことも
忙しくしている友の声清しわが耳黒いつぼみとおもう
(「「椿夜」以後」より)
0-03
写真ACより、「おもてなし」のイラスト1枚。




IMG_0001
 邑書林「セレクション歌人3 江戸雪集」より、歌集「百合オイル」を読み了える。
 本の購入は、昨年12月22日の記事で紹介した。
 また第6歌集
「昼の夢の終わり」の感想は、同じく12月13日の記事にアップした。
概要
 彼女は1966年、大阪府・生まれ。1995年「塔」入会、のち選者。
 原著は、1997年、砂子屋書房・刊。第1歌集。
 彼女は中学~大学と、女子校に学んだ。また10代の頃、熱心に教会に通い、聖書に没頭した。
 それらの特殊性も、彼女が社会に出て苦しむ、1因となったのではないか。
感想
 社会の苦しみ、頼りない青年との恋、別の男性と結婚しての違和感、と彼女の苦しみは絶えないようだ。しかも簡単に許される事さえ、拒もうとする。
 彼女の苦しみの元が、すべて男性原理に由るものではないとしても、男性読者としては心苦しいものがある。
 歌を詠む事で、心身の自傷に至っていないようである事が、救いである。
 心情を述べた句と、叙景あるいは行為の句を、うまく継いでいる。
引用

 以下に7首を引用する。
いらだちをなだめてばかりの二十代立ちくらみして空も揺れたり
ぼちぼちと言いつついつも命がけ雲は静かに崩れてゆけり
膝くらくたっている今あとなにを失えばいい ゆりの木を抱く
跳びあがり摑んだ枝はやわらかく あきらめ方がよくわからない
ひいらぎの咲く門を過ぎこなゆきのふりはじめたり もう逢えないんだ
じいわりと冷えくる朝(あした)夫のシャツはおれば重し他人の生は
ゆるされてしまいたくない 石のうえ干した雨傘風にずれゆく



 青磁社「永田和宏作品集 Ⅰ」(2017年5月・刊)より、第6歌集「饗庭(あえば)」を読み了える。
 8月24日の
第5歌集「華氏」の記事に継ぐ。
概要
 原著は、1998年、砂子屋書房・刊。
 題名は、永田和宏の出生地に因み、夫人・河野裕子のアイデアだったと、二人のエッセイ集「たとへば君」に書かれていたと記憶する。(この本は、歌集を理解するにも傍らに置くべき本なので、文庫本を注文する予定である)。
 1991年~1995年の、480首を収める。40歳代後半の作品である。
感想
 息子・淳(歌人、現・出版社「青磁社」経営)、娘・紅(歌人、現・大学での研究者)が、思春期・青春期の危うさにあり、妻の歌人・河野裕子も若くはなくなってゆく危うさにあり、それらを見守って具体的に詠んだ歌がある。
 また講演・研究室での己を、余裕をもって見つめる歌がある。
 また母親の面影を知らない永田和宏は、ヴァチカンのピエタの図(あるいは像?)さえ、羨ましがり憎んでいる。
 主宰する「塔」の、「アララギ」の流れか、写生と呼ぶべき作品も多い。

引用
 以下に7首を引く。
今夜われは鬱のかわうそ 立ち代わり声をかけるな理由を問うな
がむしゃらにならねばついに到るなき喜びなどと説くさえ空し
父親をあだ名で呼べるいまどきの娘といえど楽しきものを
眠りいる聴衆の数を目で追いてそろそろ論をまとめにかかる
さしあたりひとつ挫折を先に送る脚長き子を危ぶみ目守る
(ち)さき耳に小(ちい)さき穴をあけきたる妻はかなしも厨に立てば
羨ましければかすか憎悪の兆せるをヴァチカンの闇に浮きたつピエタ
0-15
写真ACの「童話キャラクター」より、「シンデレラ姫」のイラスト1枚。





CIMG9239
 砂子屋書房・現代短歌文庫127「続 森岡貞香歌集」より、3歌集全編を読みおえ、末尾の「歌論・エッセイ」13編を読みおえた。
 先行する3番めの
歌集「敷妙」は、先の1月30日の記事にアップした。なおこの本では、1首1行となっており、正編の1首2行・1ページ2段とは異なっている。
  「覚書・文化としての短歌と歌人」は、4章に渉る覚書である。「Ⅰ」「Ⅱ」では、「女人短歌会」発足の頃の仲間、葛原妙子や五島美代子をめぐる回想と記録である。
 「Ⅲ」では、「ユリイカ」誌上での企画、詩人・大岡信との往復書簡を語っている。
 「Ⅳ」では、季刊同人歌誌「灰皿」(1957年~1959年まで、6号)や、「律」(1960年~1963年、3号、「ジュナル律」「律’68」に引き継がれる)の、戦後短歌の活動が語られる。
 「葛原妙子 ―覚書ノート」では葛原妙子を巡って、「挽歌のこころ」では主に五島美代子を巡って、それぞれ歌に即して語られる。
 「五十回忌近く」は、戦後帰還して約半年で亡くなった夫へ、50回忌近くに語りかける文章である。「なんという長い年月が過ぎたことか。わたしはそんなに長く生きてきたと思われません。」と結んでいる。


CIMG9239
 砂子屋書房・現代短歌文庫127「続 森岡貞香歌集」(3歌集全編+歌論・エッセイ)より、3番めの歌集「敷妙」を読みおえる。
 先行する
歌集「夏至」は、今月18日の記事にアップした。
 原著は、2001年、短歌研究社・刊。
 この「敷妙」は、年次的に「夏至」に次ぐ第8番の歌集であり、また森岡貞香(1916年~2009年)の生前最後の歌集である。没後、3歌集「九夜八日(ここのよやうか)」、「少時(しばらく)」、「帯紅(くれなゐ帯びたり)」が、いずれも砂子屋書房より出版された。(Wikipediaに拠る)。
 「敷妙」には、破格というより乱調の歌も少し交え(例えば「死ぬるにも何なさむにもなすことのなきと言ひさしてねむりし」では、下の句(77)の切りようもわからない)、逝いた母(同居していた)を詠うなど、優れた作品を多く収めた。
 この文庫には後、13編の歌論・エッセイを残すのみである。
 以下に7首を引く。


続きを読む

↑このページのトップヘ