「歌壇」6月号 (2)
 綜合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2019年6月号を、短歌作品中心に読み了える。
 到着は、今月16日の記事、入手した2冊(5)で報せた。
 同・5月号の感想は、先の4月23日の記事にアップした。リンクより、関連過去記事へ遡れる。
特集 熊野を訪ねて
 僕は宗教信仰を持たないので、熊野の奥深い山林にのみ興味がある。宗教は、あまりに権力と馴れ合って来た。縋るものが、宗教しかない、という人も憐れである。信仰なき祈り、という形が(日本人の大多数だろうが)、神の思し召しに最も近い、とある人が述べたと記憶する。短歌のみを読む。
巻頭作品
 「世は事も無し」的な作品が多い。社会問題を詠んでも、他人事である。
蘇る短歌 第15回 坂井修一
 英語で原爆「ファットマン」の「ファットとマンの間に・(てん)は要りますか」と問う生徒を、原爆の悲劇、ファットマンと呼ぶ心理に無関心で、試験成績にのみ関心があると非難する。しかし学問は、厳密性を求めるのであり、合理性と共に第1の事であり、非難するに当たらないと僕は思う。
引用

 小長井涼「酒舗一景」7首より。
はじめての百合根に「百合根記念日」と喜ぶ人を素直と思(も)はむ
 お酒が入ってのせいか、素直な人も、そう傍らで思う人も、純朴である。
 廣庭由利子「夏めく」7首より。
(いたつき)と聞きゐし人と偶然(たまさか)に立ち話する夕川の橋
 意外性と、回復に安堵する心が伝わる。
 僕がなぜ7首掲載より引用するかと言えば、歌が順直だからである。僕は長く歌を詠むが、有名になりたいとも、歌壇で活躍したいとも思わない。ある人は「短歌を栄達の方法にしてはならない」と述べたと記憶する。短歌の救いを信じるのみである。