風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

 このブログを運営している新サスケ(ハンドル名)が、この10月17日付けで、AmazonのKindle本、第4詩集「詩集 日々のソネット」(縦書き)を発行しました。著者名は、柴田哲夫(僕のペンネームの1つ)です。
 再任用・リタイア前後の、庶民の日々の悲喜哀歓を綴った4章48編と、巻末に哲学風小連作・2章7編を収めます。
 Amazonの「Kindleストア」カテゴリーで、「柴田哲夫 詩集 日々のソネット」と入力して検索してくだされば、即で見つけられます。
 また、ブログの右サイドバーの上部、アクセスカウンターの下に、Amazonアソシエイトのリンク画像「あなたへ詩集をAmazonで」を貼りましたので、画像をクリックしてくだされば、購入サイトへ飛びます。
 kindle版で540円(税込み)、kindle unlimited版も発行しています。よろしくご購入をお願い致します。

翻訳

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 前川幸雄・詩集「弐楽半のうた」を読み了える。9月29日の記事「贈られた2冊」で紹介した、前川さんよりの2冊のうちの1冊である。
概要
 2017年9月、土曜美術社出版販売・刊。165ページ。
 前川幸雄(まえがわ・ゆきお、1937年~)さんは、国学院大学博士課程卒業後、工専講師時代に中国・西安外国語学院・他に留学し、上越教育大学・福井大学・仁愛大学で教授として、国語・中国語・漢文学を教えた。現在はカルチャーセンターの講師を務めている。 
 彼は、詩作(これまでに6冊の詩集)の他、現代中国詩の邦訳の先達として熱心で、これまでに5冊の翻訳詩集を出版している。他に翻訳小説集、漢詩を中心とした研究書がある。
感想
 5枚の日本画をめぐる4編の詩は、絵の鑑賞を越えて、思想を汲み取ろうとしている。
 「友情風景」9編では、友人、生徒、中国の詩人との友情を描く。
 また「先師追憶」5編では先達の師との出会いを描く。
 学問の、中国詩人の、知友の多い人である。
 橘曙覧になりかわった、「橘曙覧さんからの言伝て」なども面白い。
 詩と研究と教育に生涯を捧げて、傘寿を迎えようとする、幸福な学徒である。



 花神社「茨木のり子全詩集」(2013年・2刷)より、「韓国現代詩選」(1990年・花神社・刊)の、最終、4回めの紹介をする。
 
同・(3)は、先の1月11日の記事にアップした。
 今回は、黄東奎(ファンドンギュ)の4編、呉圭原(オギュウォン)の4編、崔華國(チェファグク)の4編、いずれも詩集初出を読みおえた。
 黄東奎の「小型百済佛像」では、「彼らはどこへ行くのか/どこに そしてわれわれは?/あなたはほほえむ/微笑 劇薬瓶の指示文を読みとるように/私はあなたの微笑を覗きこむ」と、社会の暗い部分も見て来た小仏像の心を思い遣る。
 呉圭原の「突然 間違って生きているという思いが」では、「どうせ間違って生きたのなら ひきつづき間違って生きる方法も方法であるよと/悪魔のような夜がわたしをたぶらかす」と締めて、詩人らしからぬ、1部の人の生き方を示している。
 崔華國は在日50年にわたる(当時)詩人であるが、第1詩集はハングルで書かれた。「美しき仇(ウォンス)」では、韓国の気象情報のラジオを聴いて、「美しき仇 ソウルの娘っ子よ//波立つ一すじの海峡を越えて/凶悪な老虎の乾ききった狂気のさまに/…」と、鋭い懐郷の思いを述べる。
 前回で、選ぶ詩人、作品に偏りがあると書いたが、彼女の詩人紹介では「モダニズム」、僕にはシュールリアリズムと取れる作品も翻訳していて、前言を撤回する。シュールリアリズムは、産業社会の狂気を表わしている。
 ただしこの詩集の「あとがき」で訳者は、「独断や偏見を恐れずに、一九八〇年代の、それぞれタイプの異なる、自分の気に入った詩だけを集めてみたいと。…すぐれた詩人でも、…すれちがってしまったということも多いに違いない」と、率直に述べている。
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「写真AC」より、焚き火の1枚。


 花神社「茨木のり子全詩集」(2013年2刷)の、「韓国現代詩選」(1990年、花神社・刊)より、3回めの紹介をする。
 今月5日の記事、
同(2)に次ぐ。
 今回は、河鐘五(ハジョンオ)の4編、黄明杰(ファンミョンゴル)の4編、金汝貞(キムヨジョン)の4編を、読みおえた。
 河鐘五の「屋台」は屋台の飲み屋を引く中年夫婦を、「ミドリマチ」では遊郭で苦しむ小娘を、描いて哀れだが、原詩集の出版時期にも拠るのか、既視感がある。「忘憂里で暮らしながら」では、父親と子(5歳)の会話があって、ようやくサラリーマン家庭を思わせるが、後半で強引に朝鮮統一の願いに向かう。
 金汝貞の「水鶏のことば」では、「くいなは/いろんな思い いろんな感覚 すべて/…/「トゥムプ トゥムプ」 きれいな鳴き声」と謳って、詩の原点を思わせる。「いのちの芯」では、「愛の病気を骨髄に封じ込めて/…/なんて悪性のはやりやまい/それでも女たちは争ってその病気を患ったのね/その病気の芯が/いのちの芯でもあったのだから」と謳い上げる。自分の達成や成功、つまり自己実現を男に託したのなら、哀れな話である。
 訳者の性格に拠るのだろうが、翻訳する詩人、詩に偏りがあるようだ。焚き火1
「写真AC」より、焚き火の1枚。


 花神社「茨木のり子全詩集」(2013年2刷)より、彼女が翻訳した「韓国現代詩選」の1回めの紹介をする。
 今月14日の
記事(←リンクしてあり)、「『スクラップブック』から」(3)に次ぐ。
 原著は、1990年、花神社・刊。
 年譜に拠ると、彼女は1976年(50歳)より朝鮮語を習い始め、1987年から3年間、季刊詩誌「花神」に韓国現代詩の翻訳を連載し、それらを中心に62編(詩集・約50冊から)を、まとめて刊行した。翌1991年、読売文学賞を受賞した。
 「あとがき」には、「隣国のひとびとの詩を好むこと尋常ならず」「ベストセラーになる詩集も多く、三十万部くらいは軽くいってしまうらしい」と嘆賞している。
 今回は、姜恩喬(カンウンギョ)の4編、金芝河(キムジハ)の5編、趙炳華(チョウビョンファ)の12編(おもに短詩)を読んだ。
 韓国は、大衆運動によって、政権を倒せる国だ。国民が幾ら頑張っても駄目な日本とは違う。芸術、囲碁、スポーツ等に対する、思い入れも違うのだろう。
 姜恩喬の「林」での、次々と木が揺れる様も、そのような心理を表わしているように思える。
 金芝河の「五賊」「蜚語」(僕は読んでいない)を、彼女は高く評価しない。「綱わたり」の末部を紹介する。「…見物衆はなろうなら/酷薄無惨がよござんすよ/生きる道なんざとっくの昔に封じられ/撲殺 血へど 何でもござれ 笑わせなくちゃ そうともよ/死とはすばらしいもの/たった一回こっきりの筈だから」。
 訳した詩人の末毎に、短い紹介が載っており、趙炳華は詩集「ルバイヤート」を想わせるが、はるかに暖かいと感じる、と述べられる。「共存の理由 12」の末連3行から。「別れがきたら/忘れることができる程度に/握手しよう」。
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フリー素材サイト「Pixabay」より、暖炉の1枚。


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