風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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葛原妙子

 砂子屋書房「葛原妙子全歌集」(2002年・刊)より、しまいの歌集「をがたま」を読み了える。
 先行する「鷹の井戸」は、先の8月29日の記事にアップした。



 葛原妙子は、1981年(74歳)に季刊歌誌「をがたま」を創刊したが、視力障害のため1983年に終刊。1984年より没年の1985年にかけて、発表がない。
 歌集「をがたま」は、その没後、盟友の森岡貞香が作品を集めて、1集と成したものである。
 このあと「をがたま」補遺、「異本 橙黄」があるが、僕は読み残す。
 これで「葛原妙子全歌集」のしまいである。この本も、僕に出会って不幸だっただろう。前衛短歌に理解ある者(近代短歌に苦しんだ者)、あるいは女性であったなら、もっと理解を得たかも知れない。
 俵万智以降、昭和萬葉集に学んだ僕は、前衛短歌の熱気を知らない。政治的前衛でもあった、岡井隆の歌は好きで、全歌集(生前版、思潮社・刊)を好意的に読んだのだけれども。


 以下に7首を引く。正字を新字に直した箇所がある。
微かなる日灼をたまへ青草と鳥の卵を食ひをる君に
あらはるるすゆに失せゐき ちかぢかと汝はたれ、とつぶやきし者
ビルの影たふれ 墓の影たふれ 明き冬至に人の影たふる
墓祭異形を交へ催せり幽魂らふそくのひかりにあそぶ
眼底にはつか紅をもつれしめ曼珠沙華とふ花の畢りぬ
流竄者なんぢにあらね入りてゆく暗き団地のありといふべく
前頭葉に薄霧かかりおぼつかなわが一対の脚降りてゆく
オガタマの花
写真ACより、「オガタマの花」の写真1枚。


 

 砂子屋書房・刊の「葛原妙子全歌集」(2002年)より、第7歌集「朱霊」を読み了える。
 第6歌集「葡萄木立」は、先の5月5日の記事にアップした。リンクより、関連過去記事へ遡れる。



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 全歌集の函の表の写真を再び挙げる。

 「朱霊」は、1970年、白玉書房・刊。715首、著者・後書を収める。
 前衛短歌の一人とされながら、僕にインパクトが少ないのはなぜだろう。戦争未亡人の森岡貞香ではなく、元・華族のプライドを秘めた富小路禎子でもなく、医師の妻に過ぎない。実質・厨歌に過ぎない作品もまじる。仮定の上の悲傷もある。
 稀に迫力のある幻視の歌、暗喩が決まった幻想の歌もある。
 啄木、「赤光」、「サラダ記念日」、「昭和万葉集」完読と進んだ僕は、後まで前衛短歌に触れる事が少なかった。生活の短歌しか詠めない由縁だろう。
 なお俵万智のライトヴァースは否定されたとされるが、僕には解せない。バブル期でなくとも、「かるみ」を目指す歌があって良い。


 以下に7首を引く。正字を新字に替えてある。
等身の鏡にあゆむ 現
(うつつ)よりふとたしかなるわれの足どり
夏澄むに悲痛せむかなあたらしき中国に老残の宦官ありとして
疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた ま、りぁ、りぁ、りぁ
南風の夜の月明水中に沈める死者は椅子に居りにき
犬などがことことと階段をのぼりゆくひたすらなるにわれは微笑す
昼しづかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつをり
陽を着たる一人の男低丘を迂回する道いま登りゆく



 砂子屋書房「葛原妙子全歌集」(2002年・刊)より、第5歌集「原牛」を読み了える。
 第4歌集「薔薇窓」の感想は、今年1月29日の記事にアップした。



 原著は、1959年、白玉書房・刊。室生犀星・序、500首、著者・あとがきを収める。
 医師を父として生まれ、医師に嫁ぎ、「ハイソサエティ、貴族的雰囲気」(岡井隆の栞の言葉)に暮らした。
 葛原妙子は、今の大学の国文科を出て、文学少女の成り上がった者だろうか。菱川善夫や塚本邦雄の、褒め上手に乗せられて。前衛を意識した詠みぶりは確かである。「たたへたる涙落ちざればらんらんとしてみひらくに似つ」の中句欠のような、冒険を重ねて。
 しかし彼女の成熟は、これ以降の歌集にあるようだ。


 以下に7首を引く。正字を新字に直した。
インク壺にインク充ちつつ 凍結のみづうみひびきてゐるも
寒き背後の床を走りたる灰色の目の猫の速度を
死神はてのひらに赤き球置きて人間と人間のあひを走れり
雉の鋭ごゑおこりくさむら戦ぎたりこころ異変に飢うるさびしき
心臓の標本一つある窓にぶだうの蔓の影ある時間
水辺の暗きに立ちをり身に負へる水の怨恨 草の怨恨
濃き蜜にわれをやしなふさんらんとわれは女蜂の翅を光らせ
0-92
写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。




 砂子屋書房「葛原妙子全歌集」(2002年・刊)より、第4歌集「薔薇窓」を読み了える。
 第3歌集「飛行」の感想は、今月11日の記事にアップした。



 歌集「薔薇窓」は、1978年、白玉書房・刊。1954年~1964年の307首が、他の歌集に遅れて単行された。

 僕の短歌観から言うと、ファンタジー(寺山修司を含む)を除き、想像の歌は意外と面白くない。「幻視の女王」などと、持て囃されたようだが。
 アクロバティックなまでの、句割れ、句跨りも、近代短歌、第2芸術論等から、脱け出すための藻掻きだったかも知れない。下句「過去はあると/ころに断たれき」など。
 ステレオの歌がある。当時はセパレート・ステレオ・セット、LPの時代だったろう。僕の記憶では、一般家庭に無かった。裕福でありながら、女性として、生活に満足できなかったのだろう。
 一方、家紋に美しさを見るなど、古風なところもある。
 「懲罰のごとく雪積み」の歌がある。積雪を観念語で比喩している。比喩などのレトリックは、心情を良く伝えるための手段だと、伝達論を未だに僕はほぼ信じているから、この比喩はわかりにくい。同じ歌に「氷の壺」という句があり、「~のような」があれば直喩、なければ暗喩という考えに、僕は疑問がある。
 後に挙げるけれども、「赤き手に砕く音する・・・」の秀歌がある。
 葛原妙子の歌集はまだまだ続き、僕は手探りで読んでいるので、どのような発展があるか知れない。


 以下に6首を引く。正字を新字に変えてある。
砂塵あがる街角にして幼子ら瞑目のやうなるまたたきをせり
寡婦となり給へる御目閃きて勁きをしづかに頼み申せる(師、太田水穂みまかりたまふ)
掃くことのうつくしきかも冬の庭真角(まかく)に掃くはすがしきろかも
あるひは砂礫に混り掃かれたる骨片のひとつわれかもしれず
フロントグラス陽を切り返す斎場の自動車(くるま)つぎつぎに向きを変へつつ
赤き手に砕く音する錐をもてにぶき氷を飛散せしめよ
0-50
写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。






 このブログは日刊の予定が、昨日は更新を休んだ。
 1昨日のKDPアカウント登録の記事に、記事でも紹介した海河童さんがコメントを下さった。それによると、印税に関して仕組みが変わり、1円から受け取れるという、ありがたい情報だった。

 砂子屋書房「葛原妙子全歌集」(2002年・刊)より、第3歌集「飛行」を読み了える。
 同・第2歌集「縄文」を読む、は昨年11月27日の記事にアップした。リンクより過去記事へ遡り得る。



 「飛行」は、1954年、白玉書房・刊。1953年を中心とした、336首を収める。装丁・近藤芳美。
 日本歌人クラブ会員、女人短歌会会員となり、五島美代子、森岡貞香、中井英夫らと交流した彼女は、先鋭的な歌風に向かう。生活は苦しくないながら、女性の苦しみがあったのだろう。
 しかし無駄な字余りの歌があり、自選したにしては美点のとくにない歌がある。1年で歌集を出すのは、早過ぎたのだろうか。
 歌集題は「飛行」と名付けられながら、飛び立って上昇して行く、試行期間のように思える。


 以下に7首を引く。正字を新字に直した。
夫の寡黙にがんじがらめとなるいまのいづかたにひらめき冬の花々
どの病室(へや)も花を愛せり人間のいのち希薄となりゆくときに
みづからをみづからの手であざむくにいかにか愉し化粧といふは
ときながくわれに潜めるもののかほしらざりしいまひしと見えくる
いちにんを倖(さきはひ)とせむたいそれし希ひをもてば暗き叢
鹽甕にいつぱいの鹽を充たすとて溢るるはなにのゆゑのなみだぞ
どの窓も傷口となるさん然と雪厚らなる街の照りいで
0-42
写真ACより、「ケーキ」のイラスト1枚。


 

 砂子屋書房「葛原妙子全歌集」(2002年・刊)より、第2歌集「縄文」を読み了える。
 第1歌集「橙黄」の感想は、先の9月12日の記事にアップした。



 歌集「縄文」の原著は、当時発行されず、1970年の三一書房「葛原妙子歌集」に、「未刊歌集」として加えられた。1950年~1952年の224首を収める。
 彼女の生活は恵まれていた。医師の妻となり、戦死した家族もなく(実母が没していた事を敗戦後に知る)、東京の家は焼けなかった。1939年4月より、太田水穂・四賀光子に師事したから、翼賛歌もあっただろうが、秘め通した。

 「縄文」には、句割れ・句跨り、字余り・字足らずの歌があり、叙述の歌があり、虚実の曖昧な歌がある。今の僕たちは、さして違和感がないが、アララギ流の「写生」「調べ」を信奉する歌壇に抗うには、相当の気力が必要だっただろう。戦後前衛短歌の出発へ、彼女の歌も向かう。


 以下に7首を引く。正字を新字に直してある。
貝の中に婦人の像を彫りこめし異国土産にくさり光れり
鴉のごとく老いし夫人が樹の間ゆくかのたたかひに生きのこりゐて
灯台長飼ひゐるあうむの饒舌は白きペンキの鎧戸の蔭
間余の錨 尺余の錨 砂に摺りひさげる町は魚臭に満ちぬ
たちまちに渦巻ける闇一本の蝋燭の燈をかざし入らむに
残照のしづむ群山みゆる窓おおほき肩掛を吊るしたり
わが十指くちばしとなる忙殺の時すぎしづかなる十二時は打つ

落葉(らくえふ)いまだ枯葉とならざれば眸茫々と黄(きい)の一庭
0-92
写真ACより、「キッチン・グッズ」のイラスト1枚。



 

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 先の8月17日の記事、川野里子「葛原妙子」を読む、の末尾に書いた通り、砂子屋書房「葛原妙子全歌集」(2002年・刊)に読み入る。
 写真は、全歌集の箱の表である。多機能プリンタでスキャンできないので、久しぶりにデジカメの台形補正機能を使った。2つあるスタンド灯の内、1つが故障してしてしまったので、片側より照明の、拙い写真である。

 第1歌集「橙黄(とうおう)」は、1950年、長谷川書房・刊。495首、著者あとがき「終りに」を収める。
 約1年の疎開生活、戦後5年の東京生活(医師の妻として。家は焼失を免れた)より詠まれる。
 葛原妙子(くずはら・たえこ、1907年~1985年)は、戦前から太田水穂「潮音」に拠りながら、43歳での第1歌集だった。
 まだ難解な詠みぶりではなく、疎開の窮迫生活、敗戦後の急変ぶりを描いている。
 1949年の「女人短歌会」創立に参加するなど、新しい女歌を目指したようだ。


 以下に7首を引く。正字は、新字に直した。
八貫の炭負ひて立つわが足踏(あぶ)みたしかなるとき涙流れたり
わがまぶたうるみてあらめこの男の子十二の食のすでにたくまし
竹煮ぐさしらしら白き日を翻(かへ)す異変といふはかくしづけきか(そのあした)
しばしばも心をよぎる暗愚あり追ひつめゆかむことのおそろし
寡婦たちを支ふるさびしき歌のありつよく脆くきりきりとすさぶときよし
盛夏十五度けざむき朝を飲食(おんじき)のすすむと云はばはばかりあらめ
わがうたにわれの紋章のいまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる



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