風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

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覚悟

 僕の所属する結社「覇王樹」の顧問、渡辺茂子さんより、第3歌集「アネモネの風」を贈られていた。到着は、先の6月5日の記事にアップした。

 リンクより、第2歌集「湖と青花」の感想へ遡れる。

渡辺茂子「アネモネの風」
 第3歌集「アネモネの風」は、2021年5月31日、不識書院・刊。427首、著者・あとがきを収める。新輯覇王樹叢書第231篇。
 初読の時には、良さがよく分からなかったが、最近読んでみると、付箋を貼った歌だけで無慮24枚。感慨の深い歌ばかりだった。
 「歌は自照の文学、即ち、人生如何に生きるかの追求である」との師の言葉を胸に、歌作に励む日々、とあとがきにある。「老照の歌」「残照日記」の句の所以だろう。
 「詩歌の覚悟」とまた「自負も悔悟も」とも詠む。しかし夫と確執のあった息子は和解し、孫にクッキーを焼くを楽しみとする。猫を飼い、毛糸編み、ビーズ編み、裁縫等に没頭する1面も持つ。
 旅に出る事もあり、旅行詠をよくする。
 僕は「歌は自照の文学」と思わず、「短歌は自己救済の文学である」との言い伝えを信じ、生活詠を続けて来たのみである。

 以下に、上に上げた以外の歌から、7首を引く。
自画像も月日と共に変はり来て見えざる己の闇にをののく
海渡る蝶のいのちに立ちつくす伊良子岬の白き渚に
立葵ひたに伸びゆき廃帝を守りし裔の額
(ぬか)清かりき
四万十の沈下橋ひとり渡りゆく風となり水のことば聴きつつ
駅までを抜きてゆきたる幾人か皆美しき背
(せな)そよがする
ふるさとの夕焼空が恋しきと心弱りを姉よ語るな
夫に焼く一匹の鮎ぬめぬめと係恋はすでに遠くなりたり






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 渡辺本爾さんの詩集「時間の船に浮かぶ」を読み了える。
 受贈の時のことは、今月10日の記事にアップした。




時間の船に浮かぶ
 2020年11月21日、能登印刷出版部・刊。*印に仕切られた3章に31編を収める。
 彼は長く教職にあり、8年間、市の教育長を務めた。また県詩人懇話会の初代・代表・岡崎純さんが身を引いたあと、人望を以って2代めの代表を長く務めている。
 題名に不審があり、「時間の(水面に)船を浮かべる」が、文法的には正しいかと思うが、詩に集中していない僕の僻目かとも思う。

 巻頭の詩「雪のおわり」に「旅立ってきたまちは/白い世界の果てにあり/二度ともどることはないだろう」のフレーズがあり、人生への覚悟を示す。また「行くぞ/としぜんに言葉がうまれ」には、僕が早朝に病理再検査のためS病院へ向かう時、何度も「行くぞ」と胸中に呟いて、元気を貰った。
 逝く際の母を描いて「二月抄」では、「母のいのちが舞いはじめ/ぼくらはその静かな/母の舞台を仰ぎ見ていた」と美しく昇華した。福井には、若くして母を亡くし、母恋を綴る故・広部英一さん、渡辺本爾さん、小鍛治徳夫さんの、詩人の系譜があるようだ。
 「言葉はあるか」では、「言葉を忘れることは/心を失うこと」と始まるが、言葉のないところに心が始まると、僕は考える。

 表題作「時間の船に浮かぶ」では、「立ちつくした父の時間は/既に失われて/同じところをどうどう巡りしている」と、認知症の老父を描く。
 「さむらいのように」の結末は、「腹の底からさむらいのように生きたいと思う」と締める。ルサンチマンの僕には、ない志である。

 「陶酔境」では、高山の湯に浸る設定で、「身にまとった日常を下界に捨てて/おのが骸骨を/今ごしごし洗っているところであるが」と自己浄化を描く。
 「うゐのおくやま けふこえて」では、「知らないところで/時代が動く鐘が鳴っていた」としても、まだ歩み続けようとする。

 平成30年間の31編と厳選であり、人生後半に入った豊かな果実である。




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 小島ゆかり・第14歌集「六六魚」を読み了える。
 古書店よりの到着は、今月5日の記事、入手した4冊を紹介する(11)で報せた。




小島ゆかり 六六魚
 2018年9月1日、本阿弥書店・刊。448首、著者・あとがきを収める。
 僕は彼女の歌集を、ほとんどすべて読んで来た。僕はもう短歌結社「コスモス」を放れ、彼女の歌にケチを付けたかったが、ケチの1つも、作品上は付けられない。

 自分を戒める娘に反発をして強がりを書き、次女のできちゃった婚を受け入れ、「われはもや初孫得たり」と「われはもや安見児得たり」をもじり、基本的に前向きである。人間の貪欲、貧しい政治を嘆くけれども。彼女の初期からある、草木鳥獣との交流感は健在であり、シュールな面を見せる。
 「われのみの歩み」とも詠んで、歌の覚悟を示すようだ。忙しく活動する彼女が「怠けきつたる日」と詠むのは、意外で怖い。彼女の歌には、何でも身に引きつけて詠む点があり、リアルさを保証している。
 華甲(還暦)を越え、過労気味の心身を労り、これからも歌に邁進してほしい。


 以下に8首を引く。
「昔は」と言ふたびわれを戒むる娘はむかしわれが産みたり
水際に立てばすぐさま押し寄せる鯉の貪欲にんげんに似る
下の子はけふ母になり とほざかる風景のなか夏の雨ふる
見つめ合ふうち入れ替はることあるをふたりのみ知り猫と暮らせる
「何者」と問ふ若者に「只者」と応へ立ち去る秋の妄想
老境も佳境に入るかこのごろの母はホントのことばかり言ふ
なにもかも怠けきつたる日の夜は丁寧語にて猫にもの言ふ
みづからをまづいたはれと言ふごとく胸に抱ふるパンあたたかし



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 同人詩誌「果実」の同人であり、福井県詩人懇話会・代表の渡辺本爾さんが、詩集「時間の船に浮かぶ」を贈って下さった。

時間の船に浮かぶ
 2020年11月21日、能登印刷出版部・刊。91ページ。3章31編を収める。
 若くして亡くした母、認知症の父、自分の覚悟を歌って、力量1杯の作品ばかりである。

 渡辺本爾さんの詩集を遡ると、先のブログ「サスケの本棚」2015年8月23日の記事、「渡辺本爾詩集 2」まで遡る。記事より「同 1」へ遡れる。



 単行本詩集としては、「華苑」のあと、「ぼくの夜汽車」(1989年、能登印刷出版部・刊)に続く。
 平成の30年間に書かれた、この詩集を読み了えたなら、つたない感想なりと記事アップしたい。



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佐藤涼子 Midnight Sun
 今月25日の記事「2冊を入手」で報せた内、佐藤涼子・歌集「Midnight Sun」のkindle unlimited版を、タブレットで読み了える。
概要
 単行本:2016年12月9日・刊、1,836円。
 kindle版:2017年1月30日・刊、800円。
 佐藤涼子(さとう・りょうこ)は、宮城県・在住。2012年「塔短歌会」入会。
 2012年12月~2016年9月までの304首、江戸雪「解説 「弱さ」を恥じている、そして守っている。」、著者の短い「あとがき」を収める。

感想
 第1章第1節の「グレープフルーツムーン」では生活詠や青春詠だったのが、第2節「記録」では震災詠、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の被害とその5年後までの後遺を描く。震災当時のことは回想詠らしいが、被災者らしい切迫感があって、心に迫る。
 その後の歌は、被災以後を生き延びる歌と、新しくはない恋の歌が並ぶ。「かぼちゃ煮てセーター編んだと詠むような人生だってあったはずだが」と詠んで、安楽な生のない覚悟をしている。
引用

 歌集の初めの方から7首を引く。
震度7母が我が子を抱くように職場の床でパソコンを抱く
眩暈か余震かもはや誰にも区別はつかない ただ揺れている
「母さんは流されたぞ」と告げられた者でも勤務させるしかない
手鍋から湯を注がれて髪洗い「もう疲れた」と泣いたその夜
もう駄目と悲鳴を上げる決心がようやくついた三年たって
一年で地平の高さが変わったか 更地の町の違いを探す
愛されていた人が死んだ 生かされて何かがずれた朝がまた来る




佐藤涼子さんから、ツイートを頂きました。
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