風の庫

読んだ本、買った本、トピックスを紹介します。純文学系読書・中心です。

角川書店

 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、15番目の句集、横山白虹「空港」を読み了える。
 今月20日の記事、
沢木欣一・句集「沖縄吟遊集」に次ぐ。
 実は2冊の間に1句集、安部完市「にもつは絵馬」があるが、飛ばした。定型でない。と言って種田山頭火や尾崎放哉のように自由律でもない。上句・中句・下句の体裁を保っている。破調なのだ。それに逆年順も困る。1句集、1歌集の間に成長を追って読み進むのも、自称「読み部」の楽しみである。
概要
 原著は、1974年、牧羊社・刊。1946年~1973年の句を、年別に、季節順に並べる。
 彼は戦前の新興俳句を出自とし、新情緒主義を標榜した。戦後の1946年から始まっている事は、敗戦を区切りとして好い。
感想

 なぜ28年もの間の句集を出すのか。僕も「コスモス」時代の20余年の歌集を計画しているが、僕のように無名ではないのである。横山白虹(よこやま・はくこう、1899年~1983年)は、1973年、現代俳句協会会長になっているのだ。戦中に心恥じる所があったのか。
 詩性を求めるのか、まれに比喩が見られ(「秋天にあらゆるビルが爪立ちす」など)、俳歌に(近ごろは詩にも)比喩を嫌う僕には、引っ掛かる。
引用
 以下に5句を引く。
木苺の花咲けりわが紆余の道
石鏃と冬日をもらふ片手の中
球撞きの一人一人が雪嶺見る
露霜の一夜に窶れストの旗
秋日没つ麦の穂型の噴水に(モスクワ3句より)

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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。



62のソネット+36
 昨年12月9日の記事、入手した4冊(3)で報せた内、岩波書店・刊の谷川俊太郎詩集「62のソネット+36」kindle版を読み了える。なお英訳は手が出せなくて、読んでいない。
 ダウンロードは昨年12月6日。定価:540円。
概要
 この詩集の初版は、1957年、創元社・刊。
 様々なアンソロジーに収められ、このkindle版は2016年10月27日・刊。
 思潮社「谷川俊太郎詩集」(1965年・刊)で読み、
集英社文庫で読み、今回は3度目の読書(+36付きは2度目)である。集英社文庫・版については、前ブログ「サスケの本棚」2010年10月19日の記事に、リンクを張った。手許に資料がなくて、今は確認できないが、元は旧かなだったと記憶しており、その前提に書いている。
感想
 「偶感」「朝 Ⅰ」がおもに古典文法で書かれており、僕の記憶のように旧かなだったすると、かなり古風な書き方である。
 若者の若さの乱費であり、世界との調和の祝ぎ歌である。生活の苦労を、まだ知らない。
 その輝かしさや、垣間見る暗さに、今も若者が惹かれるのだろう。あるいは若い時代に読んだ、今の老人が。
 具体的リアリズムでなくても、心象的に惹かれる世界である。
 思潮社の作品集「谷川俊太郎詩集」「続 谷川俊太郎詩集」「詩集」の以後は、彼の詩をほとんど読んでいない。それで1月20日、集英社文庫「谷川俊太郎詩選集 4」kindle版を、ダウンロード購入した。どのような世界が広がるのだろう。



 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、13番目の句集、沢木欣一「沖縄吟遊集」を読み了える。
 今月3日の記事、
桂信子・句集「新緑」に次ぐ。
 なお2016年10月30日の記事に、同・大系第11巻より、沢木欣一・第2句集
「塩田」を取り上げた。
概要
 原著は、1974年、牧羊社・刊。330句、著者・あとがきを収める。第4句集。
 沢木欣一(さわき・きんいち、1919年~2001年)は、1968年、本土復帰(1972年)前の沖縄県に、文部省より約1ヶ月間、派遣され、そのほとんど書き下ろしに近い句集である。
 俳誌「風」に拠り社会性俳句を展開したが、60年安保闘争後、「即物具象」のスローガンを掲げ、子規の写生説を見直した。
感想
 なぜ「沖縄吟遊集」を、この大系に取り上げたか、わからない。同年「赤富士」、76年「二上挽歌」と、近い内に句集を発行している。
 これまでの歳時記に収まらない風物の多い沖縄県に苦吟し、後の世界俳句へつながると見たのだろうか。
 スローガン的でなく、漫遊記的でない句作が求められるが、後半ではやや風物に圧倒され、観光吟的になっている。
引用

 以下に5句を引く。
片蔭といふもののなし基地の街
辺戸岬甘藷(いも)蔓たぐりゐし女
盆太鼓大地へ音を叩き込む
わたつみの神女(かみんちよ)三日山籠り
芭蕉糸しろがね光り糸車
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、12番目の句集、桂信子「新緑」を読み了える。
 昨年12月17日の記事、
後藤比奈夫・句集「初心」に次ぐ。
概要
 原著は、1974年、牧羊社・刊。486句、あとがきを収める。第4句集。
 桂信子(かつら・のぶこ、1914年~2004年)は、日野草城に師事、「青玄」無鑑査同人となるも、草城・没後、1970年に辞し、俳誌「草苑」を創刊・主宰した。
 第1句集
「月光抄」(1949年・刊)については、同・大系第7巻より、前ブログ「サスケの本棚」の2013年8月30日の記事に引いた。
感想
 結婚して2年で死別、実家に戻り母と二人暮らし、就職、空襲、転勤、移住などの経験、また第1句集「月光抄」への批判等は、彼女の心を強くしたようだ。
 1954年、「女性俳句」を創刊している。
 女性が、男性俳人の古強者と伍して行くには、たいていでない苦労があったと思われる。失うものの少ない事が、強味だったろうか。
 句集の途中、1973年に、その残る母を失った。やや剛性の句風なのも、致し方ない成り行きだったか。
引用

 以下に5句を引く。
鉈つかう音炎天の寺の裏
霧に影うごき牡牛に昼の飢え
床下に空瓶乾く鮎の宿
わかさぎを薄味に煮て暮色くる
水仙を二三日見て旅に発つ
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写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、10番目の句集、森田峠「避暑散歩」を読み了える。
 今月14日の記事、成瀬桜桃子・句集「風色」に次ぐ。
概要
 原著は、1973年、牧羊社・刊。阿波野青畝・序、450句、著者・あとがき、火村卓造・解説を収める。1951年~1970年の句を、年毎に年次順に収めてある、第1句集。
 森田峠(もりた・とうげ、1924年~2013年)は大学卒業後、高校教員となる。
 1951年、阿波野青畝「かつらぎ」に入門、1990年、同誌・主宰を継承した。1986年「俳人協会賞」、2004年「詩歌文学館賞」受賞など。
感想
 まず題名(阿波野青畝・命名)から、違和感を持つ。避暑地の別荘を持っていた訳ではないようだが、避暑地の散歩は、僕には馴染まなかった。僕は農家の次男に生まれ、帰郷して働いたが、避暑の余裕はなかった。(子の幼い頃、家族で海水浴へは何年か行ったけれども)。近隣の在が、農家から兼業農家となる貧しさで、誰も避暑地へ行く考えが浮かばなかっただろう。
 1961年、「吟行を専らとする競詠会結成。」とある。時間と金銭の掛かる吟行会を専らとするのは、職業が教師だった余裕だろうか。
 句風は、虚子、青畝に学んだ写生を究めようとしたとされ、風物、吟じかたに新しさがある。
引用

 以下に5句を引く。
(ともづな)のくひこめるまま道凍てて
流失の橋のたもとに麦を干す
教へ子に逢へば春著の匂ふなり
わがためのもの奥にあり冷蔵庫
稿成りて春あけぼのの湯に浸る
0-14
写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。




 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、9番目の句集、成瀬桜桃子「風色」を読み了える。
 今月4日の記事、
桜井博道・句集「海上」に次ぐ。
概要
 原著は、1973年、牧羊社・刊。安住敦・序、466句、著者・あとがき、火村卓造・解説を収める。
 成瀬桜桃子(なるせ・おうとうし、1925年~2004年)は、1946年、久保田万太郎「春燈」創刊に参加、万太郎・没後、安住敦・主宰に師事した。1988年、敦・没後、推されて主宰となる。2003年、病を得て辞した。
感想
 母、祖母との三人暮らしの成長、結婚して子がダウン氏症であったなど、不幸が重なったけれども、俳句と信仰(クリスチャンらしい)の力に拠って、生活して来たようだ。
 この子を「神の子」として慈しみ、多くの句を成している。
 母の死、縁薄かった父の死、に際しても哀悼の句を吟じている。旅の句もある。
 社会性、前衛性は薄いけれども、定型に収まった句が、読者の気持ちを落ち着かせる。
引用
 以下に5句を引く。
ででむしは葉裏に月日たち易し
五月闇蓬髪にはかに櫛折れて(万太郎先生急逝)
悴みて跼むにあらず禱るなり
不孝者ハンケチ忘れきて泣けり(母逝く)
秋のプール雲の離合をうつしけり
0-09
写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。


 角川書店「増補 現代俳句大系」第14巻(1981年・刊)より、8番目の句集、桜井博道「海上」を読み了える。
 先の10月29日の記事、
川崎展宏・句集「葛の葉」に次ぐ。
概要
 原著は、1973年、牧羊社・刊。加藤楸邨・跋、431句、著者・後記、火村卓造「海上解説」を収める。
 句は1950年以前~1971年を、ほぼ年毎に年代順にまとめてある。
 桜井博道(さくらい・はくどう、1931年~1991年)は、1949年、加藤楸邨「寒雷」に入会。1970年、森澄雄の「杉」創刊に参加。大学商学部大学院修士課程・卒。家業の「桜井家具店」専務取締役(当時)。
感想
 字余りの句が多く、定型の句を探そうとすると苦労するくらいである。
 徒らに字余りが多く、工夫すれば定型に収まりそうである。助詞の省略も多い。
 師・加藤楸邨や周囲にそのような俳人が多かったのかも知れないが、「それで良い」という態度が嫌である。定型詩の意義を成さない。前衛俳句でもない。
 しかし後に長く病臥したとあるから、俳風の変化があったかも知れない。後に句集「文鎮」、「椅子」がある。
引用

 以下に定型句を主に5句を引く。
最上川乗りて夏帽小さく座す
頬白の空降りてくる草に臥て
花火終へ押しもどりくるもののあり
ひと夜経てなほ雨のなか信濃柿
まぶしめり蛇口をあるく天道虫
0-06
写真ACより、「乗り物」のイラスト1枚。





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